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しょうゆメーカーが千葉県に集中している理由とは?身近な調味料だからこそ知らないしょうゆづくりの裏側

2024/04/01 12:00
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千葉県には、しょうゆメーカーが数多く存在することをご存知だろうか。まず千葉県北部においては、日本におけるシェアNo.1のキッコーマンは野田市に、同じく大手のヤマサ醤油は銚子市に本社がある。これら大手以外にも複数のしょうゆメーカーが本社を構え、さらに千葉全体に視野を広げれば、房総半島の外房内房にも多数のしょうゆメーカーが存在する。

どうしてこれほどまでに千葉県にしょうゆメーカーが集中しているのか。不思議に思った筆者は、キッコーマンの本拠地・野田市にある「キッコーマンもの知りしょうゆ館」を訪ね、その秘密を探ることにした。取材に応じ、解説してくれたのは同館の館長・山下弘太郎さん。いざ、“千葉×しょうゆ”の秘密に迫る!

日本におけるしょうゆシェアNo.1で、工場や本社を千葉県野田市に構えるキッコーマン
日本におけるしょうゆシェアNo.1で、工場や本社を千葉県野田市に構えるキッコーマン


千葉県北部がしょうゆづくりに適していた2つの理由

山下さんによると、千葉県、特に北部に大手しょうゆメーカーの本拠地が存在する理由には、大きく2つの要因があるという。

「まず、千葉県におけるしょうゆづくりが始まったのは、17世紀からと言われています。その伝統的な製法を保ちながらしょうゆをつくる場合、『原料の生産地に近い立地』が望ましかったため、千葉県北部に多くの製造者が集まったのだと思います。しょうゆの生産に欠かせない大豆は茨城県で盛んに作られていますし、同じく欠かせない小麦も千葉県で多く採れます。また、海が近いため塩にも困りませんでした。これらの原料の調達をするうえで、関東圏の中でも特に適していたのが千葉県北部だったということですね。そして、江戸時代の醸造業は河川と密接に関連して発達しました。原料を運ぶのもしょうゆを納品するのも当時は水運でしたが、同時代に江戸川が開削されたこともあり、野田市はさらにしょうゆづくりに適した地になりました。

一方で、キッコーマンがある野田市に対し、銚子市のほうにもヤマサ醤油、ヒゲタ醤油といった大きなメーカーがありますが、このほかにも当時は地場しょうゆメーカーが多く存在しました。今でも各地に『地場味噌』がありますが、味噌と同じく、しょうゆも銚子エリアでは地場産業だったのではないかと思います。そんななか、江戸という一大市場ができたことで競争が激化。その競争のなかをキッコーマンも生き抜いてきて、それはヤマサ醤油とヒゲタ醤油も同じくだと思います。銚子市や千葉の他エリアでは地場のままに留まりながら今日もしょうゆづくりを行い続けるメーカーも存在します。これらが千葉県にしょうゆメーカーが多い大きな2つの理由だと考えています」

「キッコーマンもの知りしょうゆ館」館長の山下弘太郎さん
「キッコーマンもの知りしょうゆ館」館長の山下弘太郎さん

野田市と流山市の醸造家8家が協力し、近代的企業を目指すために1917年に設立された野田醤油株式会社(現在のキッコーマン)。写真は野田市に構えられた社屋(1926年)
野田市と流山市の醸造家8家が協力し、近代的企業を目指すために1917年に設立された野田醤油株式会社(現在のキッコーマン)。写真は野田市に構えられた社屋(1926年)


ところで、平安時代から室町時代までのしょうゆづくりの中心地は京都で、それが徐々に兵庫県、岡山県などに広まっていったという説がある。山下さんは「このころもまた、“原料調達のしやすさ”が大きな理由だったのかと思います」と言うが、キッコーマンをはじめとした千葉県北部のしょうゆメーカーが確立される以前は、これらの上方しょうゆが江戸にも送られてきていたのだという。

ただし、江戸と西日本では食文化の違いがあり、こいくちのしょうゆが好まれていたため、千葉エリアで地場しょうゆとして発展した経緯があるとも教えてくれた。キッコーマン、ヤマサ醤油、ヒゲタ醤油ではこの時代に確立された“大豆と小麦からつくる”伝統的な「本醸造方式」を守り抜く一方で、現在千葉県の各所に残る地場しょうゆメーカーの中には“大豆以外のものからつくる”ところも多くなっているそうだ。

「昭和初期、大豆などの原料供給がひっ迫する時期がありました。これを受けて、大豆の代替としてアミノ酸液というものが使用され、この製造方法が同時期に中小のしょうゆメーカーに広まっていきました。そのまま戦後も醸造設備を更新せずに、アミノ酸液による混合醸造を続けるしょうゆメーカーも多くあり、市場が混乱したそうです。後に、日本のJAS法(日本農林規格等に関する法律)ができてから、キッコーマン、ヤマサ醤油、ヒゲタ醤油などが製造し続けている伝統的な『本醸造方式』と、もろみの中にアミノ酸を加える『混合醸造方式』、協業組合から生しょうゆを購入してそれにアミノ酸を加える『混合方式』の3つに分類されるようになりました。

現在、日本全国に1000社以上のしょうゆメーカーが存在しますが、大豆と小麦からしょうゆをつくる工場は200社あるかないかだと思います。ただ、この3分類のどのしょうゆであっても、それぞれが多くの人の生活に根ざしたものです。各家庭で親しまれてきたものですから、いずれのしょうゆも食文化として尊重すべきだと思います」

「本醸造方式」を貫くキッコーマンの製麹の様子
「本醸造方式」を貫くキッコーマンの製麹の様子

「色、味、香り」にこだわり、さまざまな細かい工程を経てボトルに充塡。野田市から各地へと出荷される
「色、味、香り」にこだわり、さまざまな細かい工程を経てボトルに充塡。野田市から各地へと出荷される

現在では世界市場向けに各国に生産拠点がある
現在では世界市場向けに各国に生産拠点がある


野田市で培われた「本醸造方式」の秘密を知ることができる施設

ここまでで紹介したしょうゆの製造方法、特にキッコーマンが長年継承してきた「本醸造方式」の秘密がよくわかるのが、山下さんが館長を務める「キッコーマンもの知りしょうゆ館」。普段何気なく使っているしょうゆだが、館内では「こんなに手間がかかるものなのか」と驚くばかりだった。

「キッコーマンもの知りしょうゆ館」では同社が貫く「本醸造方式」しょうゆの秘密がよくわかる
「キッコーマンもの知りしょうゆ館」では同社が貫く「本醸造方式」しょうゆの秘密がよくわかる

同館ではオリジナルグッズ販売のほか、併設の「まめカフェ」では「しょうゆソフトクリーム」と「豆乳しょうゆソフトクリーム」も販売
同館ではオリジナルグッズ販売のほか、併設の「まめカフェ」では「しょうゆソフトクリーム」と「豆乳しょうゆソフトクリーム」も販売


「キッコーマンは、しょうゆづくりに適した野田市の風土と合わせて、ここまで生き延びてこられました。こういったことも含め、しょうゆづくり、『本醸造方式』の秘密を知っていただけるのが当館だと思います。現在、キッコーマンでは多彩なしょうゆを生み出しています。昔からおなじみのキッコーマンしょうゆもあれば、『いつでも新鮮 しぼりたて生しょうゆ』『減塩しょうゆ』などもあります。いろいろとお使いいただいて、ご家庭にあったものを選んでいただければ幸いです」

多彩なラインナップがあるキッコーマンの商品群
多彩なラインナップがあるキッコーマンの商品群


山下さんから聞いた千葉県北部にしょうゆメーカーが多くある理由に加え、「キッコーマンもの知りしょうゆ館」の展示からもしょうゆの秘密を多く知ることができた。日本人にとってとても身近で、よく知っているように思えてしまうしょうゆ。今一度、自分のお気に入りのしょうゆを考えてみてもいいかもしれない。

取材・文=松田義人(deco)

公式サイト:
https://www.kikkoman.com/jp/shokuiku/factory/noda/

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