AppBank株式会社代表取締役兼創業者であり、YouTubeの黎明期を牽引してきた「マックスむらい」さん。当時の勢いは凄まじく、1、2時間の配信で累計視聴者数が50~100万人、「お願い!ランキング」(テレビ朝日系列)をはじめとした数々のテレビ番組への出演、ソニー・ミュージックレーベルズの社内レコードレーベルよりメジャーデビューも果たした。歩いて数分程度の移動でも、タクシーに乗らなければ人だかりができて歩けなくなってしまうほどの人気であったという。

「マックスむらい」の愛称でYouTuber黎明期から活躍している村井智建。本業はYouTuberではなく会社経営者
「マックスむらい」の愛称でYouTuber黎明期から活躍している村井智建。本業はYouTuberではなく会社経営者


現在のチャンネル登録者数も、当時より落ち込んでしまったものの、いまだに142万人(2023年3月25日現在)という「マックスむらい」さんに、全盛期時代の話から、「脱・マックスむらい」を掲げる現在の話を聞いた。

ーーまずはあらためて、自己紹介をお願いします。
【村井智建(以下、村井)】AppBank株式会社代表取締役の村井智建です。「マックスむらい」という名前で「パズル&ドラゴンズ」(以下、「パズドラ」)や「モンスターストライク」などのゲーム実況動画を上げていたので知ってくださっている方も多いと思いますが、会社経営が本業です。

ーー現在までの経歴をお伺いしたいです。
【村井】防衛大学校へ入学したのですが、3カ月で退校して、その2日後にはITベンチャー企業である「ガイアックス」へ入社しました。「ガイアックス」を選んだのは、本屋さんでたまたま50社ほどのITベンチャーを紹介するムック本を見つけ、そのなかで「ガイアックス」だけが学歴不問で求人していたから。アポイントも取らずに押しかけ直談判して入社しました。

【村井】その後2005年に「ガイアックス」が上場したタイミングで営業の役員となったのですが、2008年7月、iPhoneが日本に上陸したタイミングで手に入れ、そこからスマホアプリ紹介メディアをスタート。

【村井】この延長線上に2013年1月「ニコニコ」上で「パズドラ」の生配信があり、そこで「マックスむらい」が生まれました。そこからYouTuberを並行して始め、一度は両立が難しかったので代表取締役を降りたのですが、2020年にあらためて代表取締役に復帰して今にいたります。

ーー「マックスむらい」が生まれた、というところですが、YouTuberのパイオニア的存在である「マックスむらい」誕生のきっかけを詳しく教えてください。
【村井】当時は攻略wiki的にスマホゲームを紹介していたんですが、動画もやろうと考えていたときに本当にたまたまドワンゴの社員の方が会社に来ていて。そこで私が「『パズドラ』で生放送しませんか?」と声をかけたのが始まりです。当時、ゲーム実況は顔出しをしない文化でしたし、うちの社員も誰も顔出ししたくないようだったので、私が出ることになりました。

【村井】「マックスむらい」という名前の由来は、私が使わないくせに毎回新しいMacが出たらフルスペックのものを購入していて、社内で「社長だからって……」というちょっとした嫌味も込めて「フルスペックむらい」と呼ばれていたから。「フルスペック」だとちょっとわかりにくいかも、ということで似た意味の「マックスむらい」になったんです。

村井智建が語る「マックスむらい」誕生のきっかけ
村井智建が語る「マックスむらい」誕生のきっかけ


ーーなかば勢いで誕生した「マックスむらい」は、当時インターネットの世界を超え、大きな影響力を持つ存在になっていきました。今思う「マックスむらい」のすごさはどこにあったと思いますか?
【村井】気合いで無理なことをやっちゃっていたところだと思います。「パズドラ」には“落ちコン”と呼ばれる、いわゆる運要素のラッキーコンボがあるのですが、これを生放送中に、100万人の人たちが「絶対に無理だ!」「できるわけない!」と思っているなかで決めちゃう、とか。こういうドラマティックなことがたくさん起こるから、多くの方が「マックスむらい」を見て、熱狂してくれたんだと思います。まあ、本当にただ叫びながらやっていたらそうなった(落ちコンが決まった)だけなので、不確定要素しかないすごさではあるのですが……。

ーーそんな「マックスむらい」の、今だから言える裏話はありますか?
【村井】1年間で12月30日だけ休み、あとは364日働いていました。「マックスむらい」時代の睡眠時間は毎日平均2時間ほど。本当に目まぐるしい毎日でした。ちょっとでも空いた時間があればすぐにスケジュールが抑えられてしまうので、友人や仕事関係者の打ち合わせを入れようとしても2カ月後の深夜2時ならなんとか……という状況で、仕事上の付き合いが激減してしまいました。当時は、「村井、調子乗ってる」と言われていたようです。私自身はとにかく毎日目の前の仕事をやっていただけなのですが、たくさんのものを失ったと思います。

ーー逆に得たものはありますか?
【村井】知名度というのは貯金だなと思っています。オワコン、と言われてしまうこともありますが、それでもいまだに「マックスむらい」という名前は多くの人に知っていただけていますし、それがいろいろな場所で役に立っていると感じることは多いです。また、これだけ顔出ししているので絶対に逃げないはずだ、というビジネス上での信頼度はあると思います。

【村井】失ったものも多いですが、得たものも同じくらい多いとは思います。

ーーコロナ禍以降、芸能界からの参入も多かったYouTube業界に対して、今思うことは?
【村井】正直何も思わないんですが…。でも、今は発信しないといけない時代なので、YouTubeだけが特別なわけではなく、あくまでもYouTubeもSNSのひとつだという認識です。ブログやTwitterをやるのとなんら変わらない。でも、ブログのブームが落ち着いたように、YouTube自体のブームも間もなく落ち着くと思います。なので、YouTubeにだけフォーカスしていくという風潮は危険だなと思っています。

【村井】YouTubeって、あくまでもYouTubeという会社からYouTuberが給与をもらっているようなイメージで、「好きなことで、生きていく」というほど、決して自由なわけではないんです。また、この会社はとても複雑で、3、4カ月ごとにバズる要素を恣意的に変えてきて、新しいジャンルを作ってそのジャンルを流行らせるために有名人を5人くらい作って、そしたらすぐにまた新しいジャンルに移行していくんです。

【村井】だから、YouTubeに参入して、そこでバズを生み出したいという目的があるとするのであれば、とにかくこのトレンドをずっと追っていくしかなく、かなり大変な仕事になってしまうと思います。私がいたときよりも戦国時代で本当に大変そうだな、と思って見ています。

ーーそんなYouTube上での戦いをやめ、直近では「脱・マックスむらい」を掲げていますが、その考えにいたった理由は?
【村井】「マックスむらい」がある種大きなムーブメントになり、依存してしまっている部分が大きかったのですが、上場企業が、いちYouTuberに依存しているのってかなり不健康だと思っているので、「マックスむらい」に依存しない新規事業を作るべきだと考えています。しかしながら、財産であることには間違いないので、事業を手助けする存在としての「マックスむらい」だったらオッケーですが、「マックスむらい」がやっている事業という見せ方はしたくないし、するべきではないと思っています。

【村井】ちなみに、「脱・マックスむらい」を掲げて3年経ったんですが、ようやく新規事業で芽が出始めたなと感じています。「ストア事業」として、スマホアプリ「HARAJUKU」を起点としたIPコラボレーション事業が成長しています。和カフェ「原宿竹下通り友竹庵」でコラボスイーツを買ったり、「HARAJUKU」のデジタルくじ機能で買ったコラボ商品をグッズ販売所「原宿friend」で受け取ったりできるというものです。また「DXソリューション事業」として、独自設計のBLE Beaconを用いたイベント・ライブの物販DXソリューションの提供が非常に伸びてきており、このままいけば「脱・マックスむらい」も叶うと思っています。

2023年は「脱・マックスむらい」を掲げる。知名度に頼らない事業の黒字化を目指す
2023年は「脱・マックスむらい」を掲げる。知名度に頼らない事業の黒字化を目指す


ーーでは、今年こそは「脱・マックスむらい」ということで、目標をお聞かせください。
【村井】2015年ぶりの黒字化を是が非でも達成したいです。2020年に代表復帰してから丸3年。3年以内の黒字化を目指してがむしゃらにがんばってきたんですが、いまだ達成できておらず……。おかげさまで、先ほどお伝えした新規事業が好調なので、このまま黒字化できればと思っております。負け癖がついている組織というのは本意ではないので、多少の力技を使っても黒字化を成し遂げたいですね。

この記事のひときわ #やくにたつ
・気合いで無理なことをやっちゃう
・知名度は貯金
・発信しないといけない時代
・常に挑戦し続ける