クライアントに名を連ねるビッグネーム

ボクシングや格闘技の試合で、拳を保護するために巻くバンテージ。このバンテージ巻きを仕事にする、日本唯一のプロフェッショナルがいる。

永末NICK貴之。通称、ニック。

多いときには、バンテージを一度巻くだけで2桁万円のギャラが支払われるという。

彼のクライアントには、ビッグネームが名を連ねる。ボクサーなら、世界3階級制覇のモンスター・井上尚弥(※2022年12月13日にバンタム級で世界4団体王座統一を達成)、元世界3階級王者で中京の怪物とも称される田中恒成。格闘家なら、キックボクシング界の神童・那須川天心、那須川天心のライバルである志朗、UFCファイター佐藤天。ほかにもニックがバンテージを巻いてきた選手は数知れない。

バンテージ職人として、現在複数のスポンサーがつくニック。「自分から営業したことはない」と語る彼が、どのようにして今の地位を築いたのだろうか?そして、彼が巻くバンテージは何が違うのだろうか?

日本で唯一のバンテージ職人・永末NICK貴之さん
日本で唯一のバンテージ職人・永末NICK貴之さん【撮影=川内イオ】


人生を決めたジムでの出会い

ニックは1981年12月、東京の板橋区で生まれた。小学生のころに野球を始め、高校まで白球を追いかけた。ポジションはキャッチャー。憧れの選手は、ヤクルトの古田敦也選手(※2007年に現役引退)だった。

「小学校のときからずっと古田のプレーを見ていました。リードには自信があって、どう組み立てるのか考えるのが楽しかったですね。自分は肩がよくなくてあまり盗塁を刺せないので、どうやって塁に出さないか、盗塁されないためにはどうすればいいのかだけを意識していました」

強豪ひしめく東京で目立った成績は残せなかったが、高校は野球推薦で進学したというから、頭を使ったリードが評価されていたのだろう。

高校卒業後は、東京リゾート&スポーツ専門学校に進んだ。当時、プロ野球のロッテでトレーナーをしていた立花龍司さんをテレビで見て、「こういう仕事があるんだ、おもしろそうだな」と思ったのがきっかけだった。

専門学校に在学中、スポーツクラブでアルバイトをした。このときのある出会いが、本格的にトレーナーを目指すきっかけになったという。

「いつも一番暇な時間帯に40代の糖尿病の方が来ていたので、付きっきりでトレーニングメニューを組んだんです。そうしたら3カ月で15キロぐらい落ちて、おしゃれをし始めたんですよ。見た目が変わるのはわかっていたんですけど、トレーニングで内面も変わるというのがすごくおもしろくて、この道でやっていこうと思いました」

専門学校を出たあと、高校時代の後輩から誘われて、あるジムに就職した。そこは、日本の総合格闘技イベント「PRIDE」のレフェリーが開いたジムで、格闘家も出入りしていた。

小学生のころにロシア出身のボクシング世界チャンピオン、勇利アルバチャコフの試合を観てボクシングファンになったニックは格闘技も好きだった。このジムで働いていたらいずれ格闘家のトレーニングを担当することになるだろうと思い、「(格闘技や体の動かし方について)とことん勉強しよう」と考えていたという。そう、ニックのキャリアはトレーナーから始まったのだ。

このころ、格闘家を担当するなら身体を大きくしようと思い立ち、毎日肉を2キロほど食べて筋トレをした。それで肉ばかり食べていたから「ニック」と呼ばれるようになった。

トレーニングのおもしろさに目覚め、トレーナーを目指したのがキャリアの始まり
トレーニングのおもしろさに目覚め、トレーナーを目指したのがキャリアの始まり【撮影=川内イオ】


カリスマカットマンにバンテージを巻いてもらった日

転機が訪れたのは、ジムオーナーのつながりもあり、「PRIDE」で不正防止のためにバンテージチェックを担当していた25歳のとき。

そのころ、「PRIDE」のレフェリーミーティングで、アメリカのカリスマ的な名カットマン、ジェイコブ・“スティッチ”・デュランの講習会が行われた。カットマンとは試合中の出血を瞬時に止めるスペシャリストだが、スティッチはバンテージを巻く技術も超一流として知られていた。

この講習でスティッチからバンテージを巻いてもらったのが、ニックだった。日本では、テーピング、包帯、テーピングの順に巻く。スティッチは華麗な手さばきでテーピングと包帯を操り、美しさを感じる出来栄えだった。何よりも驚嘆したのは、経験したことのないフィット感だった。

「フィット感が全然違いました。うまくない人だと隙間だらけでガバガバだったりするんですよ。それが一切ない。でもきつくもなくて、優しく包み込まれている感じ。今まで見てきた人とはレベルが違いました」

当時の日本では、バンテージは選手の指導者が巻くのが当たり前で、専門的な知識もなく誰もが「ただなんとなく巻いている」状態だった。バンテージも巻くカットマンとして、ボクシングの本場アメリカで名を成していたスティッチの技術と比べるべくもない。

未体験の着け心地に目を見張ったニックは、好奇心から「この包帯、どこで売ってるんですか?」と尋ねた。すると、スティッチは真顔でこう答えた。

「20年かけて見つけてきたものを、なんでお前に5分で教えなきゃいけないんだ?巻き方を教えてることでさえ、特別なことなんだぞ」

予想外の厳しい一言にハッとしながら、同時に腕一本で生きるプロの姿勢を目の当たりにして、「オレもああなりたい」という思いが湧いてきた。

世界で活躍するプロとの出会いで、野望が生まれた
世界で活躍するプロとの出会いで、野望が生まれた【撮影=川内イオ】


世界中から取り寄せた包帯とテーピング

それから数日が経つと、「オレは世界レベルになれる」という気持ちに変わっていた。それは、根拠のない妄想ではなく、スティッチを超えてやるという野望だった。

「冷静に考えたら、自分が専門学校で勉強してきたテーピングの理論をうまく使えばもっといいものができるんじゃないかと思ったんですよ。しっかり拳を保護したり、ケガをしている人にどう巻くのかという知識があったから」

世界を目指すうえで必要なのは、技術と道具。少なくとも日本で一般的に使用されている包帯とテーピングではスティッチのようなフィット感を生み出せないと感じたニックは、世界中から取り寄せ始めた。当時の給料は25万円弱で、生活費以外はほとんどつぎ込んだ。

そのうえで、ジムの選手たちに声をかけてバンテージを巻かせてもらった。最初はスティッチの巻き方を思い浮かべながら、学校で習得したテーピングの理論を応用した。しかし、途中で「マネをするなら、スティッチ本人に巻いてもらったほうがいい。人のマネをしてお金をもらうのはイヤだ」と思うようになり、巻き方をリセットした。

そうして1年を超える試行錯誤を重ねたニックはある日、「これからはプロとしてお金をもらおう」と決意した。とはいえ、最初は選手に交通費を求めるところからスタートだった。

「人のマネをしてお金をもらうのはイヤだ」と、それまで学んだ知識も生かし試行錯誤
「人のマネをしてお金をもらうのはイヤだ」と、それまで学んだ知識も生かし試行錯誤【撮影=川内イオ】


選手からギャラを上げてくるようになった理由

先述したように、ボクシングを含め、日本の格闘技界では選手の指導者がバンテージを巻いてきたため、そこにお金を払うという文化はない。

当時、キックボクシングのトレーナーをしていたニックが選手たちに、「試合当日のバンテージを巻くなら交通費を出してほしい」というと、500円、1000円でも渋られた。「だったらジムの人に巻いてもらってください」というスタンスで臨み、交通費を払ってくれた選手にはベストを尽くした。

バンテージを巻いた選手には毎回必ず感謝され、その評判を聞いたほかの選手から依頼が来るようになった。そのうちに、予想外の出来事が起きた。選手のほうから、「次は交通費プラス3000円でどうですか?」とギャラを提示してくるようになったのだ。謝礼を支払ってもニックに来てほしいと思われるようになったのは、キックボクシングの選手にとって現実的な事情もあった。

「キックボクシングはテーピングを丸めてナックルに入れて拳を固くするムエタイ式が主流なので、拳が壊れやすいんですよ。自分は逆に拳を保護するために、相手に当たるところは柔らかくクッション性をもたせつつ、安定感を出すために別のところをしっかり締めます。もし拳を骨折すると選手はだいたい半年間、試合ができません。半年あればその間に2、3回試合できるんですよ。選手がどっちを選ぶかです」

プロにとって、半年間の離脱は痛手だ。稼げないし、次の試合に向けて練習もできない。お金を払ってケガを防げるなら、それに越したことはないと考える選手がニックを頼るようになった。

Cygames presents RISE ELDORADO 2022/日本ウェルター級王座統一戦10回戦
Cygames presents RISE ELDORADO 2022/日本ウェルター級王座統一戦10回戦【撮影=川内イオ】


初めてギャラが2桁を超えた試合

交通費をもらうようになって1年も経たないうちに、一回のバンテージで1万円を支払う選手が出てきた。それも、ニックが提示したのではなく、選手がその価値を認めてのことだった。

格闘技の世界は狭い。キックボクシング界でニックの存在が知られるようになると、競技、団体の枠を超えて総合格闘技やボクシングの選手からも声がかかるようになっていった。

「みんな、悩んでたんでしょうね。自分がパーソナルトレーニングで見ていた選手もしょっちゅう拳を壊していたし。それに、拳を何回も骨折している人のなかには、怖くて思いっきりパンチを打てないっていう人もいるぐらいなので、ニーズがあったと思います」

問い合わせが増えてきたタイミングで、ニックは自分の技術に値段を付けた。ファイトマネーによって金額を設定するようにしたのだ。それは今も変わらず、新人の試合でも世界戦でも設定どおりの金額をもらっているという。

ニックが忘れられないのは、2016年9月4日に行われたモンスター・井上尚弥の3度目の防衛戦。ニックが親しくしているREBOOT.IBA BOXING GYM(リブートイバボクシングジム)の射場哲也会長からの紹介で、井上選手が所属する大橋ボクシングジムの大橋秀行会長から「やってみないか?」と誘われた。強打が売りの井上選手は拳にリスクを抱えていたのだ。

ニックによると、格闘家の手は千差万別で、岩のように硬い人もいれば、餅のように柔らかい人もいる。井上選手と初めて顔を合わせ、バンテージを巻いたとき、特に硬くも柔らかくもない手を見て、「思ったより普通だな。この手であんなに倒すんだ……」と驚いたそうだ。

神奈川県座間市で開催されたこの試合で、井上選手はランキング1位のタイ人選手に10回KO勝ちを収めた。拳を痛めずに試合を終えたことを評価され、初めて2桁のギャラが支払われた。この試合から数年間に渡って、井上選手のバンテージを巻くことになる(現在は担当を離れている)。

 インタビューの数日前に行われたある試合で実際に使われたバンテージ
インタビューの数日前に行われたある試合で実際に使われたバンテージ【撮影=川内イオ】


独特のアプローチ

井上選手のバンテージを巻き始めたことでニックも注目を集め、依頼が増えた。ニックのクライアントは、拳に大きな負荷がかかるハードパンチャーが多い。

元世界3階級王者の田中恒成選手も、拳を痛めてからニックに連絡が来た。試しに一度ニックがバンテージを巻いてミット打ちをしたところ、それまで試合でも強くパンチを打てなかった田中選手が思い切り打っても痛みを感じず、喜んだ。これを機に、田中選手の試合のたびにバンテージも担当するようになった。

ニックのアプローチは独特だ。事前に選手の情報を集めて特徴を見極め、要望を聞く。最初のころは拳の保護がメインだったが、そのうちに「この試合はフックを多めに使いたい」という戦術にも応じるようになった。千差万別の要望に応えるために、事前にどう巻くのかをイメージする。

選手と顔を合わせて実際に巻くときには、感覚的にフィットしているかどうか、イエスかノーかしか聞かない。どこどこに違和感がある、もっとここをこうしてほしいという意見を耳にすると、その言葉にとらわれてしまうからだ。ノーと言われたら、何が悪かったのかをひとりで考えて、その場で改善する。

「自分で考えることによって、答えがひとつじゃなくなるんですよ。ここをこうしたらこうなるというアイデアが何パターンも出てくるんです。だからいつも良いか悪いかだけを聞きます。包帯もテーピングもそれぞれ特徴があるので、目的によって使い分けています。片方の手だけで、包帯を4から5種類、テーピングを3種類使ったこともありますよ。左右も変えます」

試合前の段階で選手が「イエス!」と言っても、ニックの頭の中で「もっとこうしたほうがいい」と閃けば、試合当日にそれを試す。それを選手には伝えない。あくまで、イエスorノー。もしノーと言われれば、すぐにまた修正する。だから、ニックのバンテージは二度と同じ型にならない。

数々の包帯やテーピングを目的に応じて使い分けるという
数々の包帯やテーピングを目的に応じて使い分けるという【撮影=川内イオ】


思い出に残っている試合とは?

トップ選手をクライアントに持つようになると、それまで以上に名前が売れた。ついには、マネージャーが必要になるほど多忙になった。ひとつの興行で3、4人のバンテージを巻くこともざらで、これまでの最大人数は1日に8人。ニックは、選手のケガ予防や選手寿命を延ばすためにもっと自分のバンテージを知ってもらいたいという考えから、プロに限らずどんなレベルの人からも相談を受け、経済状況に合わせてバンテージを巻いている。この姿勢も引っ張りだこになる理由のひとつだろう。

近年は、クライアント同士の対戦も珍しくない。2019年9月には、格闘技イベント「RISE」のワールドシリーズで、ニックがフィジカルトレーニングから試合当日のバンテージまでトータルでみているふたりの選手、那須川天心と志朗の試合が行われた。ニックはこのとき、何を考えていたのだろうか?

「試合前はもうすべての感情を殺して、志朗といるときは志朗のことだけを考えて、天心といるときは天心のことだけを考えるようにしていました。どちらに対してもベストの対応をします」

ニックは2018年末に行われた那須川天心とフロイド・メイウェザー戦のバンテージも担当するなど、これまでさまざまなビッグマッチを経験してきた。「思い出に残っている試合はありますか?」と尋ねると、意外なエピソードをあげた。

「もう引退した日本チャンピオンのボクサーの試合です。南米のタイトルを目指す試合で、会場のメキシコまで同行しました。遠征費は選手が負担するのですが、自分のファイトマネーをほぼ全額使って僕を呼んでくれました。それだけかけても自分を選んでくれたと思うと本当にうれしかったですね。

恐らくこの選手にとって、試合に勝つためにはニックのバンテージが不可欠だったのだろう。

オンリーワンになるために

ニックはあくまで裏方ながら、その活躍は企業の目に留まった。最初にスポンサー契約を結んだのは、格闘技の世界戦でよく使われているアメリカのテーピングメーカー「WAR TAPE」。

「WAR TAPEからは物品提供を受けています。日本のテーピングメーカーからも話があったんですけど、アジアでWAR TAPEからサポートを受けている人がいなかったので、アジア人初っていいなと思って。自分、なんでも誰もやっていないことをやりたいんですよ(笑)」

それから1社、また1社と個人スポンサーが増えていった。思わず「すごいですね!」と言うと、「海外では当たり前です」と返された。ビジネスという面でも、ニックはひとりで新たなマーケットを開拓しているのだ。

現在はトレーナーとバンテージの二刀流だが、仕事の幅を広げるためにカットマンの技術も磨いている。

「ライセンスの問題でボクシングのセコンドには入れないんですが、キックボクシングや総合格闘技ではセコンドにつきます。まだ足りないなと思ってるのはカットマンの実践経験なので、知り合いの医者に話を聞いたり、海外の試合でインターバル中にカットマンが血を止めているシーンを繰り返しみたりしています。人に頼めないから、自分の手を切って練習することもありますよ」

ニックがかつて目標にした名カットマンのスティッチは、バンテージ職人でもあった。ニックはバンテージの技術に加えて、フィジカルトレーナーとして那須川天心など世界クラスの選手を指導してきた実績がある。カットマンとしての技術が高まれば、トレーニングから試合を終えるまですべてを任せられる存在になるわけだ。そのどん欲な姿勢には、理由がある。

「日本人のトレーナーやカットマンが、海外で行われる外国人の試合に呼ばれたことはないと思うんですよ。自分はオンリーワンになりたいので、この仕事を始めたときから世界で評価されて海外で仕事をするのが目標です。外国人の世界チャンピオンから呼ばれたら最高だな」

すでにニックの実力は海外でも知られており、メキシコのボクサーから何度か仕事のオファーが来たこともある。ただ、そのときは条件が合わなかったので見送ったそうだ。

かつて古田選手に憧れた研究熱心な野球少年は今、格闘技の世界で大舞台を目指す。

どん欲に磨き続けた技術で世界進出を目指すニックさん
どん欲に磨き続けた技術で世界進出を目指すニックさん【撮影=川内イオ】


この記事のひときわ#やくにたつ
・人のマネではなく、自分にしかできないものを目指す
・自分のスキルに自分で値段を付ける
・良いが悪いかだけを聞き、そこからは自分で考える

取材・文・撮影=川内イオ