1951年(昭和26年)群馬県の街の小さな豆腐店からスタートし、豆腐業界に新たな風を吹き込んできた相模屋食料。代表取締役社長の鳥越淳司さんは、入社した2022年度(平成14年度)の28億円だった売り上げを、現在400億円を超える企業へと導いた。この著しい進化の背景には、斬新な商品で豆腐の概念を覆すチャレンジ精神がある。破綻寸前の同業他社の再建を含む社会貢献や、伝統を守りつつ新たな商品を生み出す姿勢が、業界トップの地位を確立させたのだ。そんな、成功の立役である鳥越社長に、その驚異的な成長の秘密と、伝統と革新をテーマにした新たな挑戦について伺った。

相模屋食料株式会社 代表取締役社長 鳥越淳司さん
相模屋食料株式会社 代表取締役社長 鳥越淳司さん【撮影=宮川朋久】


14倍の急成長を遂げた相模屋グループの驚異的な成長とその裏側

ーー相模屋食料の規模について教えていただけますか?
【鳥越淳司】相模屋食料は、1951年(昭和26年)の創業以来、日本の食文化に欠かせないおとうふの製造を通じて、健康とおいしさを追求し続けています。そして、2008年度(平成20年度)とうふ業界トップ企業となりました。2024年現在は、グループ全体で考えると、パートさんを含めて1100人を超える規模の会社となっています。

ーー年商はどのくらいですか?
【鳥越淳司】現在、グループ全体で400億を少し超えるくらいです。まだ2月決算前なので正確な数字は出せませんが、406億くらいですね。

ーー鳥越さんが入社された当時と比べて、業績はどう変わりましたか?
【鳥越淳司】入社時と比較して、令和5年度の業績は約14倍に成長しました。具体的には378億円の成長で、これは大きな変化です。

【画像】令和4年度の売り上げは368億円で、平成14年度実績から13倍の成長だったが、令和5年度はさらに成長し14倍となっている
【画像】令和4年度の売り上げは368億円で、平成14年度実績から13倍の成長だったが、令和5年度はさらに成長し14倍となっている【画像提供=相模屋食料】

 

ーーそのような急成長を遂げた秘訣は何ですか?
【鳥越淳司】私が入社する前から常に成長を続けてきましたが、どうせやるのならば、誰もが笑うぐらいの高いところを目指そうと始めて、ここまで辿り着きました。その原動力のひとつに、前職で経験した苦い体験もあります。私は以前、雪印乳業で働いていまして、当時発生した食中毒事件で、謝罪のため大阪へ行ったんです。それで、お客様からの「なぜこんなことに?」という質問に対し、製造現場のことを知らずに何も答えられなかったことが、すごく罪深いことだなと感じたんです。そのときに、もの作りの現場を知ることの大切さを痛感したので、相模屋食料に入社後はとうふづくりに没頭しました。
 
ーー奥様のご実家が相模屋食料の創業家だったと聞きましたが、社長になることは最初から決まっていたんですか?
【鳥越淳司】創業家の三女と結婚し、入社当初から跡を継ぐことは決まっていました。雪印乳業時代に、私が担当していたスーパーさんで、妻も相模屋の営業として訪れていました。そこで、豆乳とヨーグルトを組み合わせたプロモーションを一緒に行うことがあったりして、知り合ったのが出会いのきっかけだったんですね。おとうふに関しては、正直、木綿と絹の違いもわからないほど知識がありませんでした。
 
ーーおとうふに関する興味は、社長になってから深められたんですね。
【鳥越淳司】そうですね。特に工場で直接とうふ作りに携わった経験が大きかったです。一般的には研修の一環としておとうふ作りを学ぶことが多いですが、私は毎朝1時から手作りで2年間行いました。その結果、研修以上に職人レベルでとうふを作れるようになり、それが大きな強みになっています。何かを作るときには、自分で作れなければアイデアを形にすることが難しいです。アイデアを出すこと自体が難しいうえに、それを実現することはさらに難しい。しかし、おとうふに関しては、あの時期に培った経験のおかげで、実現可能だという自信を持っています。
 
ーー入社して最初に手掛けた製品を、覚えていますか?
【鳥越淳司】最初に手掛けた製品は、確か『とろける生とうふ』だったかな?とうふ作りを熟知して初めて手応えを感じられた製品は、44億円の売り上げを記録している大ヒット商品『焼いておいしい絹厚揚げ』でしたね。豆腐業界では、これはかなりの数字で、売り上げでいうと10位くらいのメーカー1社分に相当します。この製品は、「焼いておいしい、もっちりとした食感」をコンセプトに開発したんです。もともとそのような食感の市場はなかったのですが、私たちが市場を切り開きました。入社後に手掛けた製品の中で、最も成功したのがこの製品だと思います。

『焼いておいしい絹厚揚げ』は、第30回優秀ヒット賞を受賞した大ヒット賞品
『焼いておいしい絹厚揚げ』は、第30回優秀ヒット賞を受賞した大ヒット賞品【画像提供=相模屋食料】


ーー入社当時の貴社はどのような規模だったんですか?
【鳥越淳司】今でこそ23工場ありますが、当時は、群馬の第一工場と第二工場の2つの工場だけで製造していました。販売ルートも群馬中心で、東京でも購入することはできましたが、地元のおとうふ屋さんという位置づけでしたね。業界内でのランキングも30位以内には入っていなかったと思います。
 
ーー貴社の商品開発における、ほかのおとうふ屋さんとの違いは何でしょうか?
【鳥越淳司】まず、おいしいおとうふを追求する姿勢が私たちの特徴ですね。残念ながら、この点を軽視しがちなおとうふ屋さんが多いと感じています。おいしさへのこだわりを持続するのは、簡単なことではありません。最初は「うちも作ろう」って頑張ってやっていたところが多かったと思うんですけれども、おとうふってずっと作っていると価格競争になるんですよ。おいしいって数値化できないじゃないですか。ですから数値化できる価格や効率性に、徐々にシフトしていって、本来の目的である“おいしさ”を見失ってしまうんですよね。おいしいものを追求して作るものと、効率を上げようとして作るものとでは、やっぱりできあがりは同じように見えてもぜんぜん違いますから。そこは大きな差になりますよね。
 
ーーその“おいしさ”を受け継いで、進化させているのですね。
【鳥越淳司】はい、正直なところ、おいしさは言葉で語るのが難しいです。どんなに「おいしいですよ」と言っても、実際にはその真価を言葉では表現しきれないじゃないですか。だからこそ、私たちは言葉に頼ることなく、実際の味でお客様に納得していただくことを大切にしています。ポッとおいしいと謳うおとうふを出したところで、おいしいものって山ほどあるので。しかも、おいしさは見えない。だから、努力を重ね、ひたすらおいしいおとうふを作り続けることが大事なんじゃないかなと思いますね。
 
ーー会社が成長しても、その姿勢は変わっていない?
【鳥越淳司】変わりませんね。私たちには多くのグループ会社がありますが、どの会社もおいしさを最優先に考えています。コスト削減や効率化に走るのは簡単ですが、私たちはそうじゃないんですよ。おいしいものを作ることに集中するのは、今も昔も変わらない部分です。
 

職人技と五感を大事にする経営者としての哲学

ーー2002年の入社から急速にキャリアを重ね、2007年には社長に就任されました。その間の業績向上において、特に大切にされていた信念は何ですか?
【鳥越淳司】一番大切にしているのは、やはり現場ですね。もの作りにおいては工場での作業、つまり実際に手を動かしてものを作ることを重視しています。数字では測れない技や腕、経験といった、五感を使った感覚が大事だと考えています。匂いを嗅いで材料の状態を判断したり、「もうちょっと煮たほうがいいな」と、触感で加工の具合を確かめたりすることが品質向上に直結します。そのため、どんなに忙しくても現場に足を運び、視察ではなく自ら作業に参加することを心がけています。

自らが現場に出て作業に参加することを心がけている鳥越社長。技や感覚を大切にするという考えは、入社以来、変わっていないという
自らが現場に出て作業に参加することを心がけている鳥越社長。技や感覚を大切にするという考えは、入社以来、変わっていないという【撮影=宮川朋久】

 
ーー社員とのコミュニケーションも大切にされているのでしょうか?
【鳥越淳司】もちろん、社員とのコミュニケーションも大切にしていますよ。言葉での指示も当然しますが、ただデスクから指示を出すだけでなく、実際に現場で一緒に作業をしながら「これは、こうやったほうがいい」と、よりよい方法を一緒に考えながら実践していきます。私たちは再建も含めて多くのプロジェクトを手掛けていますが、その成功の速度がほかと比べて速いのも、この現場主義によるところが大きいと自負しています。
 
ーーM&Aを通じての再建活動はどのくらい行っているのですか?
【鳥越淳司】これまで11社を手掛けてきました。ただ、最近は豆腐メーカーが次々と苦境に立たされています。年間で500軒、多い年だと1000軒の豆腐店とメーカーがなくなる状況で、1社でも救いたいと始めたのが2012年から。もう11年が経ちましたね。
 
ーースーパーの豆腐売り場に並ぶ見慣れたブランドも、貴社の手によって生まれ変わっていたんですね。
【鳥越淳司】ありがとうございます。実は、昔は輝いていた会社が多いんです。でも、価格競争に飲まれて破綻寸前に。やはり、価格だけで戦うと本来の品質が犠牲になり、さらに困難な状況に追い込まれるという、負のスパイラルに巻き込まれてしまうんですね。私たちの役割は、その会社が持っていた魅力と黄金時代の商品を取り戻すこと。そういった各店の地域に根差した主力商品のことを、私たちは“地豆腐”と呼んでいます。売り上げに重きを置いてしまった職人さんは、“地豆腐”の魅力を忘れてしまったかもしれませんが、お客様からすれば「これこれ、これが欲しかったんだ」と喜んでいただけるんですよ。潜在需要はかなりあると考えています。

【鳥越淳司】一方で、業界からは「潰れたとうふ屋を再建するなんて絶対できない」って、疑問視されていました。しかし、ほぼ黒字化させ債務超過も解消しました。もともと彼らが持っていた大切な主力商品を軸にしてやれば、再建可能なことが証明できたと思っています。

地域に根付いてきた“地豆腐”を復活させることが、傾いた地元メーカー再建のカギとなった
地域に根付いてきた“地豆腐”を復活させることが、傾いた地元メーカー再建のカギとなった【撮影=宮川朋久】


ーーピンチだった豆腐店がすべて黒字化しているなんて、本当に素晴らしいですね。
【鳥越淳司】全国に広がる破綻の波を乗り越え、まさか九州にまでグループ会社ができるとは思ってもいませんでした。
 
ーーその取り組みが、会社の急成長の原動力になっているんですね。
【鳥越淳司】そのとおりですね。私たちは「伝統と革新」という方針で進めています。昔ながらのおとうふを守り、再生させることで伝統を大切にし、同時に新しいカテゴリの商品を生み出して革新を追求しています。きっと片方だけだったら、おそらく今の位置づけにはいなかったでしょうね。このような製品を生み出せるのは、おとうふ作りの基盤があるからこそ。伝統あるおとうふ屋さんって、ものすごい技術を必ず持っていて、それぞれ違う得意分野を持っています。ですから、何か新しいおとうふを作ろうとしたときに、私がやってきたとうふづくりと各社が持つ独自の技術を組み合わせることで、新たな可能性が生まれるわけです。その結果、革新的な豆腐カテゴリーが形成され、今、うまく回っているのかなと思っています。
 

地豆腐を再生させ伝統の継承へ!再建活動の黒字化への道

ーー「伝統は革新の連続である」とおっしゃっていましたが、これは鳥越さんのモットーですか?
【鳥越淳司】はい。京都の料理界で、昔からそう言われているそうなんです。私は、料亭には行ったことがありませんが、京都出身者として確かに伝統とは革新の積み重ねにほかならないと感じています。京都の老舗でさえ、革新を続けることで伝統が築かれてきたという歴史があるわけですから、私たちもそのような道を歩んでいきたいと考えています。
 
ーーつまり、単に古いものを守るだけでなく、新しい要素を取り入れて伝統を築いていくということですね。
【鳥越淳司】はい、そのとおりです。伝統というと古くさいものと捉えられがちですが、実際には新しいアイデアが積み重なって初めて伝統が形成されるんです。それが伝統を築く方法だと思います。確かに、その積み重ねによって形成される伝統は、とても分厚いものになりますね。

「新しいアイディアの積み重ねが、伝統を形成する」と語る鳥越社長
「新しいアイディアの積み重ねが、伝統を形成する」と語る鳥越社長【撮影=宮川朋久】


ーー会社の強みとしてスピードを挙げていますが、即判断即実行を実現できている理由はなぜですか?
【鳥越淳司】うちは、カッコよく言うとフラットで柔軟性がある組織。カッコ悪く言うと少々ぐちゃぐちゃな組織です。煩わしい手順や形式にとらわれず、振り返ってみたときに“くだらない”と思える無駄なルールは排除しています。ただし、決定事項があれば、一丸となってその方向に進む、ちょっと昭和な雰囲気のスタイルを大切にしています。スタートダッシュさえうまく決まれば、ほとんどのことは実現可能だと信じているからなんです。そうでなければ、『ザクとうふ』も『うにのようなビヨンドとうふ』もできませんし、こういった再建もできていなかったと思います。今があるということは、その信念が正しかったということでしょうね。
 
ーー失敗と判断するときも、その決断は早いんですか?
【鳥越淳司】ダメだと感じたら、すぐに「じゃあ、や~めよ!」と即決ですね。誰かの案だからとか、始めたからには、という理由で引き延ばすことはありません。撤退は早ければ早いほどいい、そう考えています。
 
ーーだらだらと続けるよりは、スパッと切り替えるほうが?
【鳥越淳司】「もうちょっと」というのはありません。「もうダメだ、次、次!」とスピーディーに次のステップに移る、そんな感じです。
 
ーー現在、11社のグループ会社があるそうですが、グループ化の背景にはどんな理由があるんですか?
【鳥越淳司】「破綻しそうだから助けてくれ」という声があったからです。どこからでも「助けてくれ」と言われれば、必ず飛んで行き話を聞いています。救えるなら何としてでも救いたい、そんな気持ちでいます。ただ、「2週間後には潰れる」というような急を要する案件も多く、残念ながら救えなかった企業もありました。でも基本的には、どんな場所でどんな状況であろうと、助けを求められたら取り組むというスタンスです。
 
ーー再建に当たってのポイントは、どういう部分にありますか?
【鳥越淳司】企業が持つ強みを生かすことですね。それ以外は思い切って切り捨てます。一点に集中し、「おいしいものを作ろう!」と全員で力を合わせるんです。おいしいものができれば、それが売れ、ずっと作り続けられるようになるので。こだわり作り続けることで、シンプルになり無駄が省かれるんです。おいしく、お客様に喜ばれるものを作り続けることができれば、ムダがない分黒字化につながるんですね。ただ当たり前のことをやっているまでで、それが黒字化への一番の近道なんです。

とうふの場合、美味しいものを作り続けることで、それが必然的に売れる商品になるので、ムダなく黒字化につながるそう
とうふの場合、美味しいものを作り続けることで、それが必然的に売れる商品になるので、ムダなく黒字化につながるそう【撮影=宮川朋久】


ーー相模屋グループ全体の今後の展望について教えていただけますか?
【鳥越淳司】相模屋グループは、圧倒的に業界トップの位置に立ちました。ですから、今は、豆腐業界の再建や豆腐のマーケット、豆腐文化を守り、未来を築いていくことが私たちの使命だと考えています。今後も破綻しそうな豆腐メーカーをできる限り救い、“地豆腐”を活性化させていきたいですね。これらは、事業拡大が目的ではなく、豆腐文化そのものに焦点を当て、それをどう育てていくかに注力したいと思っています。
 
ーー豆腐文化を守るという考えにいたったきっかけは何だったのですか?
【鳥越淳司】そうですね。再建するため各社を訪れると、それぞれが持っているとうふづくりの技の素晴らしさに気づいたんですよ。見た目は古びた機械かと思いきや、職人が操作すると「こんなとうふづくりあるの!」と驚くほどの技術を見せてくれるんです。それがとても興味深く、さらにとうふづくりの奥深さに魅了されました。同じ木綿とうふでも、地域によって全く異なるんですよ。工程を紙に書くと同じでも、実際の製造過程やできあがりは大きく異なります。このとうふの多様性、地域ごとの独自の文化を支えるおとうふ作りがあることを知り、それを大切にしていきたいと強く感じたんです。
 
ーー“地豆腐”の多様性が、まさにその魅力を形成しているわけですね。
【鳥越淳司】そう、まさにそのとおりなんですよ。豆腐文化には未知の可能性がたくさんあるんです。ですから、これをもっと世に広めていきたい、そう思っています。実は、アメリカでもおとうふが大人気で、木綿とうふの需要が供給を上回るほど。アメリカのとうふメーカーも大繁盛しているんですよ。今が、おとうふを世界に広げる大きなチャンスなんですよね。そのベースを私たちが築けたら素晴らしいと考えています。
 
ーー将来的には、日本以外の国々でも販売を目指しているんですね。
【鳥越淳司】はい、その方向で頑張りたいと思っています。
 
ーーありがとうございました。世界進出も楽しみです。
 
鳥越社長のリーダーシップのもと、伝統を守りつつも新しい味の探求を怠らず、豆腐文化の可能性を広げてきた相模屋食料。鳥越氏にとって最も重要なのは、豆腐一つひとつに込められた職人の技と、地域ごとの豊かな豆腐文化の継承。鳥越氏が語る「伝統は革新の連続である」という言葉には、新しい価値を創造しつつも、根底にある本質を大切にする哲学が込められていた。手作りから学んだ職人技と、破綻寸前の同業者を再建するという相模屋食料の大胆な挑戦は、単なるビジネスの成功を超え、豆腐文化の発展に貢献していくことだろう。
 
取材・文=北村康行 撮影=宮川朋久