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元Jリーガー志望から経営者へ。人生のミッションは「人と人がリアルで会うことを残し続ける」こと

2023/03/29 18:30 | 更新 2023/04/02 11:36
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日常生活の困りごとから生まれた駐車場のシェアリングサービス『akippa(あきっぱ)』。誰でも簡単に空きスペースを駐車場としてシェアすることができ、借りる際はネット予約で駐車場を確保することができる便利なサービスだ。このサービスの開発者でありakippa株式会社の代表取締役社長CEOの金谷元気さんは、元Jリーガー志望のアスリートという経歴を持つ。今回は金谷さんに起業のきっかけや『akippa』誕生の背景、そして今後の展望について話を聞いた。

今回お話を伺った金谷元気さん。ももクロ(ももいろクローバーZ)が大好きとのことで、この日もライブTシャツを着てインタビューに応じてくれた
今回お話を伺った金谷元気さん。ももクロ(ももいろクローバーZ)が大好きとのことで、この日もライブTシャツを着てインタビューに応じてくれた【撮影=三佐和隆士】


アスリートから起業家へ。商売の道は“100円の傘”から

――まずは金谷さんの経歴について、起業にいたるまでの背景を教えてください。
【金谷元気】プロサッカー選手を目指し、高校卒業後は関西サッカーリーグというところでプレーしていました。アマチュア契約だったのでアルバイトもしなきゃいけなかったのですが、あまり向いていなかったんです。人から言われたことをするとか、オペレーションに従って決まった業務をするとか、そういったことがすごく苦手で。だんだんシフトに入れてもらえなくなってくるんですね。生活が困窮していくなかで、ある日どうしてもお金が足りない事態になり、100円均一で売っている傘を雨に濡れている人に300円で売ったという経験があって。

【金谷元気】そんなことをしているうちにだんだんと商売に興味を持つようになり、当時起業家として世間を賑わせていた堀江貴文さんやサイバーエージェントの藤田晋さんの本を読み漁り、起業したいと思ったのがはじまりです。とはいえサッカーが本業だったので、22歳まではちゃんとチャレンジするという気持ちでやっていました。同い年の人が大学を卒業するタイミングでプロになれなかったら引退しよう、区切りをつけようと思っていたんです。最後、J2のザスパ草津(現:ザスパクサツ群馬)というクラブの練習生になってプレーしましたが最終的にプロ契約にはいたらなかったためキッパリ引退し、24歳のときに合同会社ギャラクシーエージェンシーを立ち上げました。

――なぜ、傘を売ろうと?
【金谷元気】恥ずかしい話なのですがお金が本当になくて、当時付き合っていた彼女とデートに行った帰りに電車賃がなくなってしまったんです。「ごめんけど出しといてくれる?」と言ったら「財布を持ってきてない」と(笑)。財布には200円しかない、電車賃もない。なんとかしないと、と思って。追い込まれたら強いタイプなんですよね(笑)。

【金谷元気】大阪にアポロ(あべのアポロシネマ)という映画館がありそこの地下に100円均一があったので傘を2本買って、雨に濡れている人に「300円です」と売ってみたら2人組に即売れて、200円が600円になり無事に電車に乗ることができました。「絶対に売れる」という確信はありましたね。

――発想力と行動力がすごいですね!求人事業もされていたと拝見しました。
【金谷元気】個人事業でもやっていましたし、会社を作ったあともやっていました。シフトを入れてもらえなくなるという話をしましたが、だからこそ掛け持ちのアルバイトを探すべく常に求人広告を見ていたんです。傘を売る経験をしたあとに、「求人広告のチラシくらいは自分で作れるんちゃうかな」と思ったんですよ。そこで作り方を調べたところ、営業で案件を獲得してパソコンに打ち込み、印刷会社にフロッピー(ディスク)を持っていけばできるとわかりました。

【金谷元気】傘を売って以来、営業が得意だということに気がついたので「いける」と思い、知人から紹介してもらった飲食店などに求人広告を1枠1万円で販売。Windows98のPCを購入し、Wordで求人広告を作っていました。結構好調でしたね。

――アルバイトが向いていないとのことですが、具体的にはどのようなアルバイトをされていたのでしょうか?
【金谷元気】めちゃくちゃアルバイトしたのでたくさんありますが、大手のハンバーガーチェーンやファミリーレストランなど……国道170号線沿いにあった柏原市や八尾市南部のお店のほとんどで働きました(笑)。面接はだいたい受かるんです、コミュニケーションは得意なので。でも働き出すと、なんせ不器用で。「人はいいんだけどね……」と、よく言われました(苦笑)。

【金谷元気】だから「サッカーでプロになれなかったら生きていけない」と思っていたんです。仕事ができないから。そんなときに営業はできる、むしろ得意だと気がついたんです。自分で考えて何かをするということが自分は得意なんだなと。

――それに気がついたとき、営業の道には進まず自分で起業しようと思ったのはなぜですか?
【金谷元気】サッカーでプロになって、世界でも活躍して、日本の人に元気を与えたいと思っていたんです。そう考えると自分が生きていくためだけに営業として働くというのは自分のなかではあまりおもしろくないと感じたのと、単純に起業家の方々の本を読んでワクワクしたというか。サッカーと同じくらい情熱が湧き起こったというのが理由です。

――アスリートのセカンドキャリア開拓は苦労する点も多かったかと思いますが、アスリートとしての活動が仕事に生かされていると感じることはありますか?
【金谷元気】たくさんあります。ひとつは、小学校も高校もキャプテンをしていて人をまとめる立場を経験していたこと。ひとチームだいたい20名くらいで、そのくらいの人数をまとめるのは得意でした。しかも高校3年生のとき顧問の先生が転勤してしまって、選手兼監督みたいな立場になって。キャプテンだけやるのと、監督とキャプテン両方やるのは全然違っていたので、それを経験できたのはすごく大きかったと思います。会社を作ったときも20〜30人規模の組織にするまでは特に困ることはなかったですね。

――リーダーとして人をまとめることに慣れていたんですね。
【金谷元気】そうですね。もうひとつ、当社はサッカーチーム17クラブと提携しているのですが、ジュニアユース(中学生年代のユース)時代の後輩がセレッソ大阪で働いており、ひとつ目の事例として提携してもらうなどサッカーで得た人脈は活用しています。

「サッカーと同じくらい情熱が湧き起こった」得意なことを生かし日本の人に元気を与えたいと語る金谷さん
「サッカーと同じくらい情熱が湧き起こった」得意なことを生かし日本の人に元気を与えたいと語る金谷さん【撮影=三佐和隆士】


会社の命運を分けたミッションの制定

――サッカー選手時代に得たものが、今につながっているのですね。では、ここからは『akippa』についてお聞きします。“日常生活の困りごとを解決する”というビジネスモデルですが、ミッションとして掲げている「“なくてはならぬ”をつくる」の由来について教えてください。
【金谷元気】もともと営業代行会社だったので大手キャリアの携帯電話やウォーターサーバーなどを販売していたのですが、だんだんと「数字ばかり追っていてお客様のためになっていないな」と思うようになりました。ちょうどそのころ、共同創業者の松井からも「この会社、ミッションないですよね」と話があり、「なかったらもうやっていけないです。数字ばかり追ってお客様のためになっていないし」と。

【金谷元気】辞められたら困るしちゃんと考えなきゃということで(苦笑)、考えていたある日、自宅が停電して電気が使えないという経験をしました。テレビも見られないしスマホも充電できない。電気がないと困ると痛感し、そこで「電気のように必要不可欠なものをつくりたい」という思いにいたりました。それから次の日会社に行って松井に「“なくてはならぬ”をつくる、ってどう?」と伝えると「うちっぽくていいですね」と同意してくれて、2013年、ちょうど10年前にミッションとして制定しました。それがまさか、会社の命運を分けることになるとは思いませんでしたが。

――ミッションが命運を分けたとは?
【金谷元気】まさに、駐車場シェアリングサービス『akippa』を立ち上げることになるということですね。

――なるほど、では『akippa』立ち上げの背景を教えてください。
【金谷元気】「“なくてはならぬ”をつくる」ということは、つまり世の中の困りごとを解決することと定義づけました。世の中の困りごとを解決するために、まずどんな困りごとがあるか知ろうということで、メンバー全員に「困りごとを書いてほしい」と言いました。自分で思いつかなければ家族や友人にも聞いて書いてもらって、合計200個くらい集まりました。

【金谷元気】200個から6個に絞り、そのなかに「駐車場は現地に行ってはじめて満車だとわかる」という困りごとがあり、みんながそれを見て口々に「マンションとかだったら空いているのに」「実家の駐車場が空いている」と言っていて、“これだ!”と思ったんですよ。供給側も空いていて、駐車場に停めたくて困っている人がいる。これからの時代だったらスマホでつなげられるということで、『akippa』の構想が生まれました。

――確かに、空いているスペースがあるのに停められないというのはジレンマですよね。
【金谷元気】おかしいですよね。何が問題だったかというと、コインパーキングは精算機とロック板を用意しないといけないということでした。でもそれらは数百万円のコストがかかるので、そのコストをかけて投資回収できる場所にしか展開できないんです。でも需要はある程度あってコインパーキングにするほどでもない場所は、精算機をスマホに変えてしまえばコストゼロで作れるし、1円も儲からなくても登録することはできますよね。

――まだ世の中にほとんどないサービスを立ち上げ成長させるにあたり、苦労したこと、大変だったことはありますか?
【金谷元気】もともと営業代行会社だったので、スタート時にエンジニアがひとりもいなかったということですね。まず構想を形にしてくれる人を探すというところからスタートだったので、アナログですが紙にスマホの絵を書いて、ここのボタンを押したらこうなります、みたいなワイヤーフレームをガーっと書いて、それをもとに作ってもらいました。そのときのエンジニアとデザイナーはコワーキングスペースで見つけたのですが(笑)。

――見つけたというのは?
【金谷元気】大阪の本町にある『オオサカンスペース』というコワーキングスペースを運営している人に「こういうサービスなんですけど」と伝えてアドバイスをもらいながら「作ってくれそうな人、これ好きそうな人いませんか?」と聞いて紹介してもらったんです。そのときのエンジニアさんには、いまも関わっていただいています。

――すごい出会いですね。現在は社内にそういった人材は増えていらっしゃるのでしょうか?
【金谷元気】そうですね。社内にも増えましたし、業務委託の方もあわせてプロダクトで15名くらい。まだまだ小さいので、いまどんどん採用を強化しているところです。

【金谷元気】苦労したことでいうともうひとつ、コールドスタート問題がありました。コールドスタート問題とは何かというと、最初は貸し手も借り手も全くおらず過疎化している状態ですね。これをどう解決するかという問題がありました。

――どのように解決されたのでしょうか?
【金谷元気】まず貸し手、駐車場を集めるのは営業が得意だったのであまり問題ではありませんでした。まだ営業代行事業をみんなでやっていましたが、そこから営業をひとり抜擢してこういう方法でトークして獲っていこうという話をして。街を自転車で回りながら駐車場を集める、これはできましたと。

【金谷元気】一方で、借り手であるユーザーを集めないといけない。広告費用がゼロだったのでどうやろうかと悩んだのですが、新卒の広報メンバーがプレスリリースをとにかく送りメディアに取り上げてもらうという手法を実践。それが功を奏して『がっちりマンデー!!』や『ZIP!』など、取り上げていただく機会が増えてユーザーも数万人まで集めることができました。その結果、2014年4月にサービスを開始してから2023年3月現在、予約できる駐車場は常時3万5000件以上、登録会員数は累計300万人を超えています。

「“なくてはならぬ”をつくる」ため、会社全体で200個もの困りごとを書き出したという
「“なくてはならぬ”をつくる」ため、会社全体で200個もの困りごとを書き出したという【撮影=三佐和隆士】


akippa株式会社
代表取締役社長 CEO
金谷 元気(かなや げんき)
1984年、大阪府生まれ。高校卒業後はJリーガーをめざし関西リーグなどでプレー。引退後から2年間は上場企業で営業を経験し、2009年2月に24歳で創業。2011年、株式会社へ組織変更し代表取締役に就任。

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