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135年続く老舗の和菓子で周りの人を1秒でも長く笑顔に!失敗を恐れずに挑戦し続ける、元ギャル女将の生き方

2022/10/27 18:30 | 更新 2023/04/16 23:57
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埼玉県桶川(おけがわ)市で135年続く老舗和菓子店『五穀祭菓 をかの』6代目女将の榊萌美さん。テレビ取材をキッカケに注目を集め、SNSやポップアップなどを通して新商品や新ブランドをアピールし、1000万円あった店の借金を2年連続で黒字にV字回復させた。桶川の小さな和菓子店から、一躍、全国区な和菓子店へ成長させたそのアイデンティティや手腕、生い立ちについてお話を伺いました。

メイン


ギャルから6代目女将へ。入社を決意させた幼い頃の自分の言葉

――まず、榊さんの現在の仕事について教えてください。
【榊萌美】埼玉県桶川市で、創業135年の『五穀祭菓 をかの』という和菓子屋を営んでいます、6代目の榊萌美です。

――女将としてご活躍されていますが、具体的にどのような仕事を担当されているのですか?
【榊萌美】かなり多岐にわたりますが、毎日ではないけど店頭に立つこともありますし、商品開発をしたり、POPやチラシを書いたりもしますね。あと、都内の催事などに出店することもあるので、事務的なやりとりや取材対応などもやっています。なんかもう、目の前にあることを毎日やっている感じです(笑)。


『五穀祭菓 をかの』6代目女将・榊萌美さん
『五穀祭菓 をかの』6代目女将・榊萌美さん【撮影=阿部昌也】


――職人さんになろうと思ったことは?
【榊萌美】職人になるつもりはなかったのですが、「やっぱりつくれたほうがいいよな」と思って、一度だけ父に相談したことがあったんです。すると「お前は職人にならないほうがいい」と言われて。父は、『をかの』の5代目ですが、ずっとガチガチの職人でやってきたので、経営者としては知識不足だと感じていたそうなんです。だから、職人になると「経営のことが考えられなくなる」と言われました。昔から、私の自由な感性みたいなところを、すごく買ってくれる父だったので、「やっぱり、お前は自分の好きなようにやったほうがいいと思うから、つくることだけじゃなくて、いろいろな世界を見なさい」と言ってくれて。その言葉があったので職人にはならなかったんです。

【榊萌美】試作をしたり商品開発をしたりすることは職人じゃなくてもできるので、「これとこれを掛け合わせてみたらどうなるだろう?」とか、「これおいしそうだからつくってみよう!」と思いついたら試作してみて、父に食べてみてもらっています。そして、それを商品化に向けて仕上げていくのが父の仕事なので、その役割はお任せしていますね。

――5代目のお父さんに言われてうれしかったことはありますか?
【榊萌美】新ブランドで、『YOKAN -予感-』という羊羹を考案したときに、初めて「なんかコレいいかもね」と言ってくれたことですね。今までは、新しいものをつくってみても、結局、商品化まで至らなくて。父も「えぇ〜」「う〜ん」といった反応がずっとでしたから(笑)。

――お店を継ぐことは子どもの頃から考えていたんですか?
【榊萌美】そうですね。小さい頃から両親が働いていて、暇だった私はおもちゃのサングラスをかけて三輪車で商店街のいろいろなお店を周っていたんですよ。八百屋さんで「ママに『おつかいに行って』って言われた〜」とアピールして、リンゴをもらって帰ったり、毎日いろいろなお店に行って迷惑をかけていました(笑)。小さいときは、母が2階に行って店番がいなくなると、私がお留守番をすることもありました。「いらっしゃいませ〜。お団子ですかぁ?」と声をかけると、お客さんが「偉いね」と、店の和菓子を買ってくれるんです。しかも、それを私に食べさせてくれていました(笑)。そんな感じで、街の人たちがみんな家族みたいな感覚でずっと育ってきたんです。だから、大好きな人や街に関わっていたかったので、お店を継ぐことは当たり前だと思っていました。でも、大きくなると自分の時間で精一杯になってしまったんです。気がつくと、「通っていたパン屋さんなくなっちゃったんだ」とか、どんどん商店街のお店が減っていって。今、桶川は再開発があって、店の反対側のお店はどんどんなくなっていますね。

――そんな商店街の現状で、「店を継ぎます」と伝えたときのご両親の反応はどんな感じでしたか?
【榊萌美】実は、もともとは、教師を目指していたんです。でも当時、すごくデキが悪くって、「教育学部に受かったことが奇跡」と言われたくらい(苦笑)。高校でも、知らない先生が「おめでとう!」と言ってくれたり、教頭先生から呼び出されて「よく頑張ったな!」と、なぜか、どら焼きをもらったり(笑)。みんな期待して喜んでくれていたんです。だから、あとになって教育学部をやめるときも、周りの人たちから「もったいないじゃん!やめないほうがいいよ」と言われたんですけど、「いや、やりたくないから、もうやめる」と決心して。

【榊萌美】でも、和菓子の人気もどんどん下降線を辿っていたので、ウチも将来どうなるかわからない…。売り上げも減っているし、来てくれているお客さまも、昔から来ていただいている人たちがメインだったので、両親には遠回しに反対されました。

――まだその頃はギャルだったんですよね?
【榊萌美】私は学校のテスト結果も下のほうだし、運動やっても下のほう、みんなの中で「よーい、ドン!」でテッペンを目指すのがすごく苦手なんですね。だから、ずっと「デキが悪い、デキが悪い」って言われていて。自分自身で、できないのがわかっていたから、結果を出すことが好きなタイプじゃなく、人に喜ばれるほうが好きだなと思っていて。高校生のときはギャルだったんですけど、でもやっぱり根っこはどこか真面目なので、見た目だけギャルでした(笑)。どちらかというと、周りのみんなに合わせてやっていた部分も多くて。だから、「なんか将来だりぃ〜。大人になんてなりたくねぇ〜」とみんなが言っていたなかで、「だよね〜」と同調しながら、私は「早く大人になりたい」って思っていたし。早く何か人の役に立つ仕事とかしたいなと思って、最初は心理カウンセラーになろうと思ったんです。罪を犯した人だったりを更正させるお手伝いがしたいと思っていたんですけど、大学を調べたら数学が必修だったんですよね。私、数学が苦手で、偏差値30切ったこともあるんです(苦笑)。本当に、本当にできなくて。分数の計算とか、今も苦手なくらい。だから「わっ!無理だ!」と思って(笑)。それで、人の役に立つ仕事、他に何があるかな?と考えたとき、すごく得意な国語の偏差値が70を超えていたから、高校の国語の先生になろうと思って。試験がAO入試(現在の総合型選抜)と小論文だったんですけど、小論文が得意だったので、成績が悪くても教育学部に入れちゃったんですよね。

――すごい!映画にもなった小説のようなエピソードですね
【榊萌美】でも、入学しても、やっぱり勉強についていけないし、周りの友達や環境も変わって、なんか楽しくないなって思いながら毎日通っていたんです。それで、ある日教育実習に行ったんですけど、そのときに職員室で女の先生同士が悪口を言い合っていたんですよ。しかも、その先生が私の担当になって…「うぁ、一番ダメなタイプだ」と思って。髪も黒くしていたけど、ギャルの雰囲気って滲み出るじゃないですか。すごく清楚な子とギャルって、元の部分が違うんですよね(笑)。どうも、その担当の先生にとって、私は嫌いなタイプだったらしく、私への口調がかなり強めだったんですよね。それでビクビクしちゃって、毎日きついなって思って。そう考えだしたら、教師をやりたくなくなっていって…。

【榊萌美】それで、「教師を目指さないのに、教育学部にいる意味ってあるのか?」とか、「転部したら、何かやりたいことあるのか?」とか、「じゃあ、辞めて就職するっていっても、何をするんだろう?」と考えているうちに、目標だった夢を失いやる気もなくなって、学校に行かなくなっちゃったんです。ずっと毎日バイトしかしていなくて、昼間から夜中までバイトして、朝過ぎてから帰ってきて、昼過ぎに起きるみたいな生活をしていて…。

――ギャルだった榊さんが、家業を継ごうと思ったときに、一番大きな理由ってどの辺なんですか?
【榊萌美】ちょうどその頃、母が入院してお見舞いに行ったら、父と母が「お店をどうするか」という話をしていて、そこで初めて「誰かが継がないとなくなるんだな」と認識したんです。でも、私は、よくある経営者みたいにガンガン進んでいくタイプじゃないですし、人に強く注意もできないし、なんか流されやすいし、だから無理だなって。確かに、「私が継がないでお店がなくなっちゃったら、今来てくれるお客さんや従業員はどうなるんだろう?」とは思ったんですけど、「まぁ誰かが何とかするだろう」と最初は軽く考えていたんです。

【榊萌美】そんなある日、同級生のお母さんに会うと、「何しているの?お店を継がないの?」と聞かれたんです。「なんで継ぐと思うの?継がないよ(笑)」と、笑いながら返すと、「小学校の卒業式の日に継ぐって言っていたじゃん。みんな楽しみにしているんだよ。継ぎなよ」と、私の記憶からすっかり消えていたことを聞かされて。「そうだったっけ?」と思って、帰ってその頃のビデオを探して見てみたら、画面に「継ぐ!」と言っている自分の姿が映って、すごくカッコよく見えたんですよね。

【榊萌美】人に胸を張って生きられない日々を過ごしていた自分にとって、まっすぐ前を向いて「家を継ぐ!」と言い切れる何の根拠もない自信に満ちた自分が輝いて見えたんです。それで、「なんかやりたいかも!」とメラメラ心に火がついたんですよ。人のためになることをするのは目的であって、教師はただの手段だったんです。だから、手段が変わっても、目的さえあきらめなければいいかなと。それで「お客さまや従業員、家族のために、和菓子の道でやっていきたいな」と思えたから、「よし!伝えよう」と、決心した日の夕方に「店を継ぐ!」と、両親に伝えました。すると、「は?何言っているの?学校は?」と、案の定、反対されました(笑)。「いや、いや、無理だよ」と言われました。でも、「本当に、教師を目指す気がなくて学費がもったいない。これ以上学校に通うのは無理だし、時間も無駄だから辞めたい」と、自分の考えを伝えました。

【榊萌美】でも、本当に社会の常識がなく、“です。ます。”くらいしか言えない感じでした。それで、家を継ぐ前に、バイト先だったアパレル会社のマネージャーに「ここで働いていいですか?」とお願いして、2年くらい就職して、いろいろ学ばせてもらいました。

――決断してから、行動に移すまでが早いですね。
【榊萌美】無理なんですよね。自分に嘘がつけなすぎて、やりたくないことをやれないんですよ。自分の目標を達成するためのつらいことって、つらくないじゃないですか。逆に楽しみになるんですよね。目標を実現するためだから。でも、そうでなくなると、瞬間で嫌になるんです。よく言えば自分に素直なんです(笑)。

『五穀祭菓 をかの』は、埼玉県桶川(おけがわ)市で135年続く老舗和菓子店
『五穀祭菓 をかの』は、埼玉県桶川(おけがわ)市で135年続く老舗和菓子店【撮影=阿部昌也】


目の前に突きつけられた、借金1000万円という現実。
子どもの頃の自分から再生のヒントを発見するも、無知から招いた大ピンチ!

――入社後の話ですが、入社後半年ほどして、話題になったヒット商品「葛きゃんでぃ」を開発されました。そもそも新商品をつくろうと考えた理由と、「葛きゃんでぃ」を思いついた理由について教えてください。
【榊萌美】入社してみると、商品のロスがすごく多いことに気づきました。17時以降になると商品の値下げをしていたんですね。値下げって大手コーヒーチェーン店で実施していて、一時期すごくいいって話題になりましたよね。でも、規模の大きい会社だから成り立つものだと私は思っていて、ウチくらいの規模の会社で同じことをやってしまうと、商品価値がどんどん下がってしまい、定価で購入してくれるお客さんがいなくなってしまうんです。安売りした商品を求める方が増えて、利益率がどんどん下がって、職人のやる気もなくなる。安く売らなきゃいけないから小さくしたり、本来ならおいしさの部分で戦うべきなのに、安さに切り替わってしまうと、もともと好きで購入してくれていたお客さんが離れていって。負のスパイラルに陥っているなと。まずは、それを断ち切るためにどうしたらいいか考えていました。

【榊萌美】そのため、値下げをやめて、商品を売り切るために、看板商品だった豆大福の販売日数を2日間に変えてみたんです。そうしたら、味が落ちて失敗しちゃったんですよ。結果、お客さんが離れてしまい…。こりゃダメだと、すぐ戻しました。それで、家族で「じゃあ、どうしたらいいんだろう」と話し合い、全商品をぐるっと見回したんです。すると「葛ゼリーが1個も売れてないよね」と気がついて。「やめない?」って言ったら、母が、「でも、あんたゼリー昔好きだったじゃん。なんで食べなくなったの?」と聞いてきて。そのときにハッと思い出したのですが、私はゼリーを凍らせたものが好きだっただけで、ゼリーそのものは好きじゃなかったんです。それで、「凍らせたらいいかも」と思いついたんです。あと、コンビニバイト時代にアイスに賞味期限がないことを知ったのもキッカケですね。それを覚えていたので、「ゼリーを凍らせばいいんじゃない?」と提案しました。早速、葛ゼリーの問屋さんに問い合わせると「アイスにできますよ」という返答だったので、試作を作ってみることにしました。

【榊萌美】ちょうど1週間後にお祭りがあったんですよね。お祭りになると、店の前の通りに溢れかえるぐらい人が増えるので、ちょっと試しで売ってみることにしたんです。最初は不恰好なパッケージで、小さな葛ゼリーのアイスを100円で販売したんですけど、それが2日で1000本も売れたんです。1日1個も売れなかったゼリーが嘘のように売れたので、これをちゃんと商品化しようということになって。それできちんとパッケージデザインをして、今の「葛きゃんでぃ」として販売し始めました。でも、急に話題になったわけではなく、1年後にたまたまSNSに投稿した写真を見た人がテレビ局の方で、「創業100年以上続く会社で新商品を出している店を探している」と問い合わせてきてくれて、番組で取り上げられたのがキッカケでした。

――売れてないこの商品…という発見からスタートしたんですね。
【榊萌美】そう(笑)。そして私、子どもの頃の自分にものすごく助けられていますね(笑)。

――コロナ禍で、最高1000万円の赤字を2年連続で黒字に転換されたそうですが、具体的にどういうことを実行されてきたのか教えていただけますか?
【榊萌美】まず、コロナ禍に入る直前の24歳のときに自分で経営をしたいと言って、初めて決算書を見せてもらい、そこで「ヤバい!」って気づいたんです。「何とかしないと!」って。それまでパソコンもちゃんと触ったことがなかったんですけど、経営計画を作って、両親と「どういう人に売っていきたいか?」「どういう会社にしていきたいか?」という話をして、「よし頑張ろう!みんなでやってくぞ!」というタイミングで、コロナが始まったんですよ…。

【榊萌美】コロナ禍になると、本当に店の売り上げが落ちるし、もう誰も買わなくなるじゃないですか。当時は店頭でのギフトがメインでしたし、ネット販売には力を入れていなかったんですよね。ホームページ経由でメールが届いたら承るくらいで。

――ネット販売に目をつけたんですか?
【榊萌美】実は、お店に立ってもお客さんがなかなかこないなかでずっと仕事をしているときに、副業をしてみたことがあったんです。自分で別の仕事をして、それをこっちとつなげられるようになったらいいなみたいな感じで、銀座のホテルのアンバサダーなどを、ちょこちょこやっていたんです。そのときに、誰でも簡単にネットショップが作成できる「BASE」の存在を知って。以前、大手ネットショッピングモールに出したことがあったのですが、初期コストがかかるし、リスクが高かったのでネット販売はもうやらないと決めていたんです。でもBASEの場合は初期コストがかからないので、人気があったイチゴ大福で出店して、Instagramに「めっちゃおいしいんで買ってください」と投稿してみました。すると、200件以上の注文があったんです。初めて梱包して伝票を打って配送して「これがネット販売のやり方か!」と感動しました。

【榊萌美】そんな感覚をちょっと学んだ1カ月後に、たまたま「葛きゃんでぃ」を取材してくれたテレビ局から「コロナ禍で取材ができないから、総集編で紹介させてください」と、また連絡が来たんです。当初は、「よかったね。葛きゃんでぃもBASEで販売できるね」って喜んでいたんです。そして放送を見ていたら、ランキング形式で紹介されて、なんと1位を獲得しちゃったんです!もちろん本当に嬉しいしありがたい事なんですけど、そこからずっと電話が鳴りやまなくて…。ヤバい!ヤバい!ヤバい!って(笑)。24時間経たないうちに2500件の注文が入ったんですよ。しかもミスって、BASEだけでなくホームページからも注文が入るようになっていたので、ダブルで注文が入っちゃって…。受注したものがどれくらいで発送できるかもわからないし、次の販売がいつできるかもわからない。作業しながらも電話は鳴りやまないし、「注文できないんですか?」「なんで、テレビに出ているのに用意しねぇんだよ」と言われて、謝ることしかできませんでした。

【榊萌美】ホームページの発送分は、まずメールが来たら印刷して電卓で値段を計算して、金額をメールで伝えるんですね。それで返事をもらって、銀行振込の入金確認をしてから伝票に打ち込みをして発送するんです。その作業を5000件以上やりました。メールの返信だけでも1週間以上かかってしまって…。結局すべて送り切るのに3カ月くらいかかっちゃいました。その間に売り逃しももちろんあったと思いますし、何よりもすごくみんな疲弊しちゃって…。店頭で売れないから発送に回ってもらったのですが、「これをやりたいわけじゃない」と2人、職人さんも「アイスをつくるために来てんじゃねぇんだよ」と20年以上勤めてくれていた人が辞めてしまい…。そして、地元の人からもあまりいい顔をされなくなって。やっぱりコロナ禍だったので、いっぱいお客さんが来ると、怖いと感じてしまいますよね。さらに、SNSでエゴサすると知らない人から「コイツの代で絶対つぶれるだろうな」とか、「かわいそう、こんなに続いたお店なのに」とか、「パクリなのに、自分で考えたわけじゃないのに」とか書かれていて。テレビで紹介されたのは、ラッキーでしたけど、とてもショックでしたね。

――苦しい経験ですね。当時の反響の大きさと、対応しきれなかった失敗から得たものは、どんなことですか?
【榊萌美】あのときは仕組みがわかっていなくて。作れる個数を考えてから販売するのが当たり前なんですけど、やっぱり経験したことがなかったから、そんな当たり前のこともできなかったんです。ところが、今年の3月に同じような放送があって、なんと!再びグランプリを受賞できたんです。私からしたら、リベンジじゃないですか。今回は「もう絶対外さない!やってやる!」と心が熱く燃えたので、失敗を経験しておいてよかったですね。それで、あのときの失敗を繰り返さないために全部予約してもらうようにして、2カ月先の注文まで取れるようにしたんです。おかげで、取りこぼし分はあまりなかったかなと思っています。だから、得られたものは、同じ失敗を繰り返さないように工夫すること、負けない強い気持ちですね。

「失敗から学び、工夫することが大事」
「失敗から学び、工夫することが大事」【撮影=阿部昌也】


――吸収がとても早いですね。
【榊萌美】いやいや。ほんとうにもう「絶対!やってやる!」という感じだったので(笑)。

――苦労や失敗、挫折もたくさんあるようですが、なかでも「これは苦しかったな」というエピソードを教えてください。
【榊萌美】突然売れて辞めていく人が出たり、エゴサで悪口を見つけて落ち込んだりしていたころ、父の知人で私も仲良くしている人から、「今のみんなの顔見てみろよ!お前のせいだぞ!」と怒られたことがあったんです。「お前が何も考えないで作って売って、あいつも辞めたし、みんな悲しい顔をして」と、かなりキツく言われてしまいました。もう、毎日電話でいろいろなお客さんに謝って、寝る時間もほとんどなかったけど、それでもやっぱり商品を送らなきゃいけないから、発送作業をしなきゃいけなくて。毎日、毎日120%以上でずっと動いて頑張っているけど、私のせいでみんなの顔はどんどん辛く暗くなっていって…。どうして「人のためにやりたいって思って始めたことなのに、関わる人全員を不幸にさせているんだろう?」って考えるようになっていました。やりたいことだったはずなのに、もう正反対の方向に気持ちが向かっていて、「もう辞めたいな」って思ったんですよ。

【榊萌美】そんなすごく落ち込んでいる時期に、葛粉の問屋さんから、「ありがとうございます!」と突然お礼を言われたんです。「え?」っと思い、よくよく話を聞いてみると、問屋さんもコロナ禍の影響で、他の和菓子屋さんから受けた注文が大量にキャンセルになってしまったそうなんです。でも「葛きゃんでぃ」がテレビで紹介され、他の和菓子屋さんも同じような商品を作り始めたおかげで、問屋さんへの発注が復活して「なんとか生き返りました。ありがとうございます」と感謝されました。同じころに、他の和菓子屋さんからInstagramのDMで「ウチも始めていいですか?」とか、「相乗効果で売れました」というメッセージをもらうようになって、「私がやっていたことって、悪いことじゃなかったんだな」と思えるようになれたんです。

――悪いことじゃないと思いますよ。
【榊萌美】でも、やっぱり、周りにどういう影響を及ぼすかを考えず、自分で突っ走っちゃったから、しんどかったですね。状況的に「あぁヤバいな」と、もっと悪かったときはいくらでもありますけど、それは自分の不安だったので。自分のことはいずれ消えるけれど、人の悲しいことや苦しいことはどうにもできないから、絶対次はみんなが笑顔でできるようにリベンジしようって思っていました。

元ギャル女将の、仕事に対するブレない前向きな姿勢

――榊さんが仕事において大切にしていることを教えてください。
【榊萌美】自分の幸せのためにする行動にズレがないか、確認することをすごく大事にしています。私にとっての幸せは、人のためなることなので、「お客さんのためになることって何だろう」とか「従業員のためになることって何だろう」とか考えるようにしています。だから、みんなを笑顔にするためなら頑張れるんですよ。でも、仕事を進めていくなかで、どうしてもズレちゃうときってあるじゃないですか。「なんか楽しくないな」と思ったときに、「私って今幸せかな」と考えるようにしています。「幸せじゃないな」と感じたら、それは恐らく辛いことが目的になっているので、「何のためにやっていたんだっけ?」とお風呂で考えるんです。そういう自問自答をして、「これが幸せだからやっていたんだよね」と確認をしています。反省をして切り替えることも大切ですね。

「今、幸せかどうか。自問自答して目的を確認するようにしています」
「今、幸せかどうか。自問自答して目的を確認するようにしています」【撮影=阿部昌也】


――自分と対話をするんですね。
【榊萌美】いつもしています。誰からも褒めてもらえないので、嫌なことがあるとベッドに入って「あそこで怒らない私はエライよな」とか、「あの場面でキツイこと言わないから私っていいヤツだな」とか、自分を褒めて、私が好きな自分でいられるようにしています(笑)。

――リーダーとして周りの人をマネジメントするうえで、大事にしていることを教えてください。
【榊萌美】全然できていないんですよね(苦笑)。というか、マネジメントしているとも思ってなくて…。普通なら、できていなきゃいけないじゃないですか。きっと他の経営者の方は、弱い部分を絶対に従業員には見せないし、「メンバーから言われるようになっちゃダメ」と聞きますし。でも私って、従業員から完璧を求められてないんですよね。だから、従業員のみんなに対して「できない」と当たり前に言える環境なんです。それでも、「もぅ〜」と言いながらやってくれる人が多いので、そこに甘えてしまっている部分もあります(笑)。だから、嘘はつかないようにしていますね。

【榊萌美】経営者ってスマートにカッコよくあるのが理想だと思うんですけど、もし、そういう自分だったら、従業員のみんなはここまでやってくれていないだろうなって思うことがすごく多くて。恐らく私がやったことを理解してくれているから、ついてきてくれているんだろうなって思います。
足りないことが多い自分でもついてきてくれるから、私も足りない部分を返そうって思えるし。やっぱり自分だけ得をしようという考えがないから、そういうのも理解してくれているんだと思います。辛いときもみんなの前で泣いちゃったりするし。この前も一緒にやってくれている人の前で「ごめんね。私ホントにダメなヤツだわ」ってギャンギャン泣いて。「頑張りたいって思っているのに、なんか前みたいに頑張れない」って言ったら、その従業員の人が「私たちは頑張ってなんて1ミリも思っていないよ。楽しんでやってくれればそれでいいし、私たちはそのつもりでやっているから」と言ってくれて。そんなふうに言ってくれる仲間がいる経営者って何人いるんだろうなって思って。従業員をたくさん抱えたり、優秀と言われる人材を集めることは、お金を払えばできるかもしれないけど、そういうのがなくても心の底から一緒に頑張ってくれて、心が折れそうなときに支えてくれる仲間って、そう簡単にいないじゃないですか。一般的な経営者の型にはまらず、素直な気持ちをぶつけてきたから今があると思っています。正確には、型にはまれないんですけどね(苦笑)。

【榊萌美】だから、正直、私は自分を経営者とは見ていないんですよ。占いでも「向いていません!」と、ハッキリ言われました(笑)。でも、それでもできるなと思っていて。組織作りは苦手かもしれないけど、仲間たちに自分がちゃんとやっている背中を見てもらって、結果で返していけば、みんなも頑張ってくれると思っています。たまに落ち込むこともあるけど、「絶対に折れずに、従業員のみんなに返してあげよう」という気持ちでやっていくことが大事だなと私は思っています。やっぱり、マネジメントはできてないですね(笑)。

――取り繕わないこと、嘘をつかないことは、尊いことだと思います。確かに、経営者のなかには弱みを見せないタイプの方も多いですが、榊さんは、取り繕わない姿を見せることでメンバーがついてくるタイプなんですね。
【榊萌美】偽ってやることが私にとっては幸せじゃないから、この環境でやらせてもらっていることが本当にありがたいと思います。

「嘘をつかず素直な気持ちで」型にはまらない、榊さんらしいマネジメント
「嘘をつかず素直な気持ちで」型にはまらない、榊さんらしいマネジメント【撮影=阿部昌也】


――さきほどエゴサの話が出ましたが、SNSでの情報発信で心がけていることはありますか?
SNSって、フォロワーを増やす事を目的とする方って多いじゃないですか。でも私は、フォロワーを増やすためじゃなくて、「私はこういう人なんだよ」って知ってもらうためにやっています。フォロワーを増やすために、こうして、ああして、何時に投稿して、文字数は何文字で写真はこうするなど、セオリーがあると思うんですけど、私はそれを気にしたら義務になってしまって「何も書けない、、」ってなってしまうと思います。

【榊萌美】だから、たとえば「Twitterに写真を載せたら伸びない」って言われようが、知ってもらえればそれでいいし。私が有益そうな情報を発信しても、「どうしたこいつ?」となるのは明白なので(笑)。SNSって自分と人を比べちゃうじゃないですか。そうしたくなくても、他の人からそういう目で見られるし。だから、そういうのを感じさせない人がいないと疲れちゃうかなと思って発信しています。そして、毎日続けることは大事だと思っているので、日記みたいにしたり、“詰め詰め倶楽部”っていうユルい動画コンテンツもつくったりしてるんです(笑)。

――存じてます(笑)。TVで拝見した際、「場面でよくね?」という言葉が取り上げられていたのですが、あらためて真意を教えてもらえますか?
【榊萌美】事前に決めてやることって、トキメキがないじゃないですか。やってよかったなって思うことって、なんか直感的に判断したことが多いんです。やったほうがいいと思ったときが、自分の感情が一番高いから「場面でよくね?」って。決めちゃうと、決めたあとに「本当だったらこのタイミングでコレができたのに」とか後悔したりする。どちらかというと、私の場合はその時々の場面、場面で動いたほうがいいことがあるんですよね。

――榊さんは決断が早いというか、「今だな」と思ったらすぐに行動に移されていますよね。
【榊萌美】先日も占いで「引っ越しするなら、今!」と言われたので、帰ってすぐ予約しました(笑)。だから、周りは振り回されて大変なんですよね。それでも、今までちゃんと結果として戻ってきているからなんとか許してもらえています。

――次に新ブランドの『萌え木』について教えてください。どういった想いを込めて立ち上げたブランドですか?
【榊萌美】かき氷を、『をかの』で販売するようになって、初めて来店してくださるお客さんが増えていたんですね。そして、かき氷をキッカケに、どら焼きや豆大福など別のお菓子を買ってくれるようになって、そのお客さまが帰省のお土産を買いに、「いつもは適当なものを買っていたけど、今年は和菓子を買うことにした」と来てくださったんですよ。「今まで敷居が高かったけど、かき氷をキッカケに和菓子も食べたらおいしかったから、日頃から買うようになった」と言ってくださって。そのとき、こういうサイクルが商売だよなって思ったんです。これを全国や世界的に展開できたら、和菓子を選択する機会が増えんるんじゃないかなと。それで、“和菓子の入り口を広げる”をコンセプトに、『萌え木』を始めました。

【榊萌美】和菓子業界にもピラミッドの序列があると思っていて、みんなその頂点を目指して頑張っているんですけど、結局、それだと小さい規模の会社は続かなくなってしまうんです。だから、私はここに風穴を開けて、入り口の需要を満たす役割をしたいと思いました。私が新しいことをすることに対して、「何がギャルだよ」「何が葛きゃんでぃだよ」と、嫌な顔をする人もいると思うんです。でも、私がそういうふうにメディアに出たり、違うことをして話題になることで、店に行ってみようという人もいると思うし、他のお店で『葛アイス』を買ったついでに他の和菓子も買ってみようと思ってくれる人もいるかもしれないじゃないですか。私は、そういう連鎖をもっと大きくしたいと考えていたんです。

【榊萌美】最初は、『をかの』で新ブランドをやろうと思っていたんですが、昔馴染みのお客さんが「私の一番好きなお店が、私が死ぬまで変わらない状態でここにあることが本当に幸せ」と言ってくれていて。それで私のやりたいことで、お店を変えてしまうのは違うなと思って。やっぱり135年続くって本当にすごいことじゃないですか。10年続く会社が1割にも満たないという今の日本で、135年も続いているのはお客さんたちのおかげだから、みなさんが好きなお店のまま残していきたいという気持ちがあって。だから『をかの』はこの形でやって、新ブランドで新しいことを始めていきたいなと考えています。

大都市で開催するポップアップで見つけた新しい魅力と可能性

――関西と銀座、渋谷でポップアップを展開されてみて、反響について振り返って思うことや、やってみて感じたことを教えてください。
【榊萌美】まず、田舎のちっちゃい和菓子屋が、東京と大阪で店ができる未来がくるなんて思ってもいなかったので、夢みたいだなって思います。渋谷モディで初のポップアップをやった帰り道に、クルマで渋谷スクランブルスクエアの前を通ったんです。そのとき、「5年後にあそこに店出すから」って言ったら、なんと半年後に出店できたんですよ。やっぱり言葉にするって大事だなと思いましたね。それで、ポップアップを渋谷スクランブルスクエアに出店してみると、初めてのブランドにしてはすごく売れたんです。でも、お客さんのほとんどが、SNSで私を知ってくださっているフォロワーさんだったり、知り合いだったのと、大阪も同じ感じだったので、「自分が出続けないと売れないお店ってどうなんだろう?このままだと終わりが来るな」って不安になりました。

【榊萌美】そんな不安を抱えながら、今度は銀座にポップアップを出店したら、嫌な予感が的中したんです。フォロワーさんも知り合いの方が数名来てくれただけで、売り上げが目標に全然届かなくて「ヤバい!」って…。それで、2日目から声出しをしたり、お客さんに私のブランドに対する想いなどを説明したりして、会話をするようにしたんです。そうしたら、「これ見たことある」「おいしそう」と買ってくださるようになって。銀座の街って、近所の方がリピートしてくれるケースが多いんです。結果、自分の知り合いの助けがないなか、テレビに出たってことを抜きにしても、一番売り上げが良かったので、少し自信がつきました。私がいなくても、私の心が折れたときでも、ダメになるお店じゃないんだなって気づきました(笑)。

【榊萌美】その後、また渋谷でポップアップを出店したら、通りかかったお客さんが「コレ買えなかったやつだ!」「え?何で売っているの!?」「まさか買えるとは思わなかった」と言ってくださって、すごいなって思ったんですよ。都内では誰も知らない桶川のお店だったのに、銀座で買ったお客さんが、情報を調べて「渋谷でやってるって言っていたから来たよ」と声をかけてくださったりして、一歩ずつ進んでいるんだなって実感しました。ちゃんと商品として、お店として戦っていけると思えたことがうれしかったですね。

――ポップアップで大きな発見があったんですね。
【榊萌美】ありました。ポップアップの出店のときは、朝から晩までずっと立ち続けなきゃいけなかったんです。そして、帰ってから次の日の準備をして、自分で納品するっていうことを1日も休みなく続けていました。だから、やっぱり体力に限界がきちゃって…。お客さんに「疲れてるね」とか、「ちゃんと寝てる?」と心配されてしまったんです。「大丈夫です。元気です」ってずっと言っていたけど、やっぱりクマがすごいから、顔を見たらわかるじゃないですか。心配しに来てくれているわけじゃないのに、なんか本当申し訳ないなって毎日感じていました。でも、今こうして、私が出なくてもお店として売れるようになったので、自分もいい状態でお店に立てるようになったし、知らない方に知ってもらうチャンスもまた増えると思っています。

【榊萌美】今、ちょっと落ち着いてきたので、11月にまた銀座に出店予定なんです。次にチャレンジすることも決めていて、『石焼ポテト』っていう商品なんですけど、これがすごくおいしくて評判がいいものの、でき立てで販売したことがなかったんですよ。だから、オーブンを使ってその場で焼き立てを出してみることにしました。ポップアップは、毎回、同じことがなくって、前回に知ったことや学んだことを次に生かすという繰り返しだから、刺激的で楽しいです。

――常に新しい発見をして挑戦を続ける。大切だとはわかりつつ、難しいことだとも思います。なぜ榊さんはそれができるんですか?
【榊萌美】楽しいからじゃないですか?私、楽しいことしかやりたくないんです(笑)。特に、ポップアップは売るためにやってないからかもしれないですね。だって、お客さんも飽きちゃうじゃないですか。売り上げの増減ではなく、お客さんに来てもらう理由をつくらなかったら、せっかくポップアップを出しても楽しくないじゃないですか。

【榊萌美】お客さんから「あれやったらおいしそうじゃないですか?」とか「これあったら来たい」という和菓子の食べ方を提案してもらって、「じゃあ、やってみる!」って試作したり。たとえ失敗しても同じ業種の方に話せるじゃないですか。「私、これやってコケたんだよね。やるとき参考にして」って(笑)。ずっと同じことを繰り返しても何も得られないけど、新しいことに挑戦することで、プラスになることもマイナスになることも学べて、それを伝えることもできるし、自分自身の経験にもなる。そういうのが楽しいからやっていますね。苦になったらやりたくなくなっちゃうから。

――最後に、榊さんの今後の野望を教えてください。
【榊萌美】私って、仕事をしているうちにやりたいことが次から次へと出てきちゃうんです。1年後にどうなっているかなんて、去年、想像もしていなかったし…。私、“場面でよくね”なオンナだから(笑)。でも、ブレないでいたいなとは思っています。やっぱり、“人のためになること”をするために、『をかの』は小さい状態でも長く続くようにやって、『萌え木』で新しいことをすることは大事ですね。今は、講演会などもやらせてもらっていますし、いろいろなことに挑戦をして結果を知って、それを伝えていくことも大事。自分がやることで「救われた」とか、自分と関わることで「楽になった」とか、何か少しでもそういう人が増えてくれたらうれしいなと思っています。

「根本にあるのは、”人のために”という気持ち」
「根本にあるのは、”人のために”という気持ち」【撮影=阿部昌也】


【榊萌美】野望ではないですけど、信頼される人になりたいんですよ。自分も騙されそうになったことはゼロではないし、周りの人の話を聞いていても、汚い大人っていっぱいいるじゃないですか。判断の良し悪しがつかずに踏み込んでしまい、心が折れて立ち上がれなくなる人だってたくさんいて。そんなときに「100%信頼できる人がいれば救えるじゃん」と気づいたんですよ。「どうしよう。こういうことがあったけど、誰にも言えないし、ちょっと聞いてみようかな?」と不安に思っている人が、気軽に相談できるような存在になりたい。「その人の言っていることを否定するわけではないけど、その選択をするとこういうリスクがあるよ」というのを教えられる大人でいたいなって、すごく思います。不幸になる人がひとりでも減ったらいいと思うし、私は、自分自身が頑張れる力という“エゴ”のために、これからも人のためになることに挑戦したいです。

――エゴで目標が設定できるって一番理想ですね。
【榊萌美】確かに(笑)。幸せな生き方です。私はラッキーだったんですよ。周りの人が助けてくれたので。

――すごく幸せな生き方ですね。
【榊萌美】 和菓子を通じて、私に関わる人たちを1秒でも長く笑顔にできる、そんな人間になりたいです。私は、ブランドものにも興味がないし、いい暮らしにも興味がないんですよ。だから、いいものを持っていないといけない、いい相手とつき合わなきゃいけない、いい会社に入らないといけないって、そこで戦わなきゃいけないのって本当に大変だなって感じます。他人がいないと判断できないことで惑わされるのは、楽しくなくなってしまう。桶川にいるとそれがあまりないんです(笑)。疲れたなって感じるときは、多分それを強要されることが多いんだと思うんです。地元で夕陽が沈んでいく景色を眺めていられるのが幸せだし、こういう生活ができている、今がとても幸せなんです。

この記事のひときわ#やくにたつ
・自分の幸せのためにする行動にズレがないか確認する
・目的がブレなければ、手段は変わってもいい
・前回と同じ失敗を繰り返さないよう工夫する

取材・文=北村康行、撮影=阿部昌也

【プロフィール】榊萌美(さかきもえみ)。五穀祭菓をかの 取締役副社長。1995年生まれ、埼玉県出身。1887(明治20)年から続く老舗和菓子店『五穀祭菓をかの』の6代目女将。大学を中退後、アパレル企業で2年間のアルバイトを経て入社。2019年副社長に就任。溶けないアイス『葛きゃんでぃ』を考案し、2022年には『萌え木』をスタートさせ『YOKAN -予感-』を発売。新しい和菓子を提案し、女性を中心に人気を集めている。

公式YouTube:和菓子屋女将Moemi

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