乙武洋匡さん
乙武洋匡さん【撮影=阿部昌也】

ベストセラー作家、スポーツジャーナリスト、テレビキャスター、タレント・インフルエンサー、教職員、さらにはサッカークラブのGMといった経歴を持つ乙武洋匡さん。惜しくも当選はならなかったが、今年は政治の道へのチャレンジも果たした。実に多岐に渡るキャリを誇る乙武さんへのインタビューを3回にわたってお届け。今回は、挑戦の基準、そのシゴト観について話を聞いた。

――乙武さんにとって「仕事」とは何ですか?
【乙武洋匡】すごく難しいなと思っています。仕事って大きく分けると、たぶん、ふたつの側面があって、ひとつは、自分の食い扶持を稼いでいく、いわゆる“ライスワーク”といわれるもの。もうひとつは、自分自身のやりがいや自己実現、社会貢献という“ライフワーク”と呼ばれるもの。この2本柱が合わさって「仕事」と呼ばれるのだと思います。ただ、ありがたいことに、私の場合は『五体不満足』の本が多くの方に読まれたことによるアドバンテージがあるため、ライスワークをあまり意識せずに済んでいる部分があるので、ライフワークで自分の活動方針を決めています。仕事というと、ライスワークとライフワークを足したものだと捉えている方が非常に多いので、私の中では「仕事」と呼ぶよりは「活動」と呼ぶほうがしっくりきているというのが、ある意味、私のシゴト観ですね。

――作家、スポーツジャーナリスト、テレビキャスター・タレント、教職員、YouTuber、サッカークラブ「EDO ALL UNITED(One Tokyo)」のGM(2022年)など、実に幅広いジャンルでのキャリアをお持ちですが、どういう基準で挑戦されているのか、乙武さんのキャリア観を教えてもらえますか?
【乙武洋匡】サッカークラブのGMだけは、仕事としてお金をもらってやっているというよりも、月々の会費を払って行っているので趣味に近いと思います(笑)。仕事に関しては、一貫した判断基準を持っていて、それは「自分でなければ務まらないかどうか」ということです。例えば、もし私がその依頼をお断りして、ほかの方にオファーがいって、その方でも十分に私の代わりが務まると思えるものについては、ご辞退をすることが多いです。このご依頼に関しては私じゃないと話せないことがあるとか、私だからこそ出せる価値がある、そう思えるものに関しては、お引き受けさせていただくという判断基準で選んでいますね。

――振り返ってみて、今の乙武さんから「20代、30代の自分」にアドバイスを送るとしたら、伝えておきたいことはありますか?
【乙武洋匡】時代の進化には、その時点の自分にはまったく想定できないスピードでの変化幅が生まれてくるので、計画をすることはあまり優位ではない気がしています。そういう意味で、プランを立て過ぎず、自分が魅力的だと思える人と常に交流を図りながら、アンテナを立てておくといい、そういうアドバイスになってくるのかなと思います。

――確かに、想定しても、それを上回る進化がありますよね。
【乙武洋匡】(浅野さんが同級生ということでより伝わると思いますが)僕らが小学生だった頃、インターネットが出てくることなんて夢にも思っていなかったし、そもそも携帯電話ですらイメージできていなかったですよね。インターネット前の世界とインターネット後の世界で、仕事の幅は大きく変わったと思いますし、新たに生まれた職業もたくさんある。たとえば、SEは今でこそ耳なじみのある職業になりましたけど、僕らが子どもの頃、「SE」って言われても「“セ”って何?」みたいな話になっちゃいますよね(笑)。今後、Web3とかメタバースが普及してきたときに、「通勤って何?」みたいな時代になるかもしれない。そうなったときに、身体障害者にとって負の側面である移動ということがハンデにならなくなると、さまざまな障害があるなかで、身体障害者に関しては、働くことに対するハードルの少ない世界が、すぐそこまで来ているのかもしれない、とか。でも、自分が20代後半だった20年前にそんな社会を想像できていたかというと、ここまで進展するとは思っていなかった。そう考えると、「“決め決めのプラン”を立てても、社会の条件は変わってくるよ」ということは伝えたいと思いますね。

乙武洋匡さん
乙武洋匡さん【撮影=阿部昌也】

――自分でなければ務まらないかどうか、という判断基準について、この「自分にしかできないこと」を見つけるのは難しくもあると思います。自分にしかできないことの探し方など、アドバイスをいただけることがあればお願いします。
【乙武洋匡】私は、この体に生まれてラッキーな側面も大きいと思います。どういうことかというと、皆さんよりも「自分にしかできないこと探し」に必死にならずとも、わりと見つけやすい。マイノリティだからこそ、自分にしかできないことを見つけやすく、少しアンテナを張り巡らせただけで「私にしかできないこと」が見つかりやすい環境にあると思います。健常者として生きてきて、自分の中にマイノリティを見出せていない方にとっては、ある側面では生きやすい世界かもしれない。でも一方で、「自分らしさとは何か」「自分だからこそできることは何か」を見つけるという文脈でいうと、ものすごく苦労されると思うんです。そのうえで、自分にしかできないことをつくり出していくためには、保身に走らないことだと思います。同調圧力の強い日本社会の中で保身に走ることは、他者との同一性を重視することだと思います。なるべく浮かない、尖らない、目立たないことが、自分を守る術になっていると思うんです。もちろん、それはそれで、傷つく機会も少なくなるし、他者から批判されるリスクも少なくなっていく。ただ、それは同時に「自分らしさを失っていく」ということと表裏一体だと思うんですよ。

【乙武洋匡】だから私は、一般的なきれいごととして言われるような「チャレンジが大事だよ」とか「個性を大事にしなさい」といった言葉を、安易には使えないと思っていて。なぜなら、どちらもリスクが大きいことだと思うからです。チャレンジすれば失敗はつきものだし、個性を大事にしようすれば、他者と衝突したり、他者から後ろ指を指されることもある。残念ながら、日本はまだそういう社会なので、そういったリスクをはらんでしまう。それでもチャレンジしたいですか、尖っていたいですか、自分にしかできないことを探していきたいですか、ということは、ご自身に問うてほしい。そのリスクを飲み込んででもやりたい方が、チャレンジをしてほしいし、自分にしかできないことを探してほしいと思うんですよね。でもまあ、一般的に大学を卒業してから、今の時代だと40年以上、働かないといけないなかで、同化し続けたまま、個性を押し殺して40年。「それって大丈夫ですか?」とは思います(苦笑)。

――おっしゃるとおり、そのほうがリスクではないかと思います。
【乙武洋匡】我々が若かった頃は、まだバブルの残り香で、20代の頃は日本が成長している“虚像”を抱きながら仕事ができていました。人と同じでいれば日本社会は成長し、そのレールから外れなければ、成長のおこぼれにあずかれる。そういった幻想を抱けていた時代だと思います。だからこそ、尖る必要はなかったし、人と同じことをしていれば、レールの上に乗っていれば、必ず果実をもらえるという考えで生きていられた。でも、これからは人口が減っていき、日本経済もシュリンクしていくなかで、どういう人材が削られていくかというと、おそらく代替可能な人材が削られていくのだと思います。そうなると、これまではみんなと同じことが安全でリスクがなかったけど、今後は、みんなと同じことがリスクで、最も身分が不安定な対象になると思うんです。だからこそ、今までリスクだと思われていた、尖ることや他者と違う経験を積んでいくことが、むしろ武器になってくるし、身分を安定させていく時代になると思います。

【乙武洋匡】少し年の離れた友人で、親に頼み込んで、小学6年生の夏休みからバルセロナに単身でサッカー留学をしにいった人がいます。「行きたい」と言った本人も本人だし、単身で送り出した親御さんも親御さんだと思いますが(笑)、これは今までの価値観でいうと「リスク」ですよね。もし、ご自分のお子さんがそういうことを言い出したら「馬鹿なことを言っていないで、勉強しなさい」という親は多いと思うんです。それは子どもの夢を邪魔したいからではなく、子どもの将来を不安に思うからこそ、子どもを守ろうという考えから「小学生時代からの留学なんて」と、止めるのだと思います。「せめて高校を出てからにしなさい」と。でも、高校を出て、大学を出て、就職浪人をする学生がたくさんいるような時代に、それほど勉強が好きでもない人間が高校を出たり、大学を出る必要がありますか?という話になるんです。

【乙武洋匡】私の友人に話を戻すと、小学生のときにバルセロナにサッカー留学をしました。でも、プロサッカー選手になれる確率は低く、夢がかなう可能性は低いでしょう。ただし、もしその夢がかなわなかったとしても、スペイン語はペラペラになりますよね。同じ夢を持って、世界中からバルセロナに集ってきた仲間と知り合い、世界中にネットワークができますよね。さらに、小学生時代から親元を離れて単身、異国で武者修行をするバイタリティが培われますよね。この3つだけで、この人材欲しいじゃないですか。好きだったサッカーを中途半端にやり続け、たいして好きでもない勉強をさせられた高卒の子と、小学生のときに単身バルセロナに渡り、サッカー選手になることはできなかったけれどもスペイン語がペラペラで、世界中に仲間がいて、めちゃくちゃ尖ったバイタリティがある子と、どっちを採用するかとなったら、もちろん企業ごとの価値観があると思いますが、私は後者を採用します。すべての企業に満遍なく好かれる人材ではないかもしれないけど、どこかの企業に強く好まれる人材であると考えると、これからは、そっちのほうが食いっぱぐれないと思うんですよね。

――まさに、リスクのとらえ方ですね。尖ることについて、Twitterなどが象徴的だと思いますが、ネガティブな意見や反応も出やすいなかで、メンタル状態を保つ秘訣はありますか?メンタルの強さについて、ご自身の分析はどうですか?
【乙武洋匡】メンタルが強い・弱いには、いろいろな要素があって、私がネット上で「あいつは鋼のメンタルだ」などと言われるのは、批判に強いということだと思います。そこに関しては、まったく気にならないですし、どれだけ罵倒されても気になりません。それは、「私のことを、どれだけ知ってるんじゃい」という思いもあれば、自分の活動方針を一点の曇りもなく、自分自身が信じていられるから。他者からの批判は、本当に気にならないです。でも、たとえば、信じていた仲間と袂を分かつことになったり、身近な方が離れていくようなことがあると、メンタル的にまいってしまうことがあるので、満遍なくメンタルが強いのかというと、そうでもないと思います。

乙武洋匡さん
乙武洋匡さん【撮影=阿部昌也】

――次に気持ちの切り替えについてお聞きします。リフレッシュ方法や失敗からの立ち直り方で、心掛けていることはありますか?
【乙武洋匡】軸をふたつ以上、持つことが大事だと思います。例えば、いじめの問題は、子どもの世界だけでなく、大人の世界でもよくありますよね。でも、いじめによる自殺となると子どものほうが圧倒的に多いのは、多くの子どもは学校というひとつのコミュニティしか持てていないから。その世界で居場所を失ってしまうと「この世の終わりだ」と感じてしまうことが多いからだと思います。大人は、勤務先などひとつのコミュニティでいじめに遭ったとしても「転職すればいいや」とか「こっちのコミュニティで居場所を探せばいいや」とか、少し視野が広く持てているからこそ、自ら死を選ぶまでにいたる方は少ないと思うんですよね。同じように、挫けたり、ひとつの分野でうまくいかなかったりしても、「今はこっちがうまくいってるからいい」といったように、軸やコミュニティをふたつ以上持っていれば、すべてが塞がれているような心持ちにならずにすむと思うんです。

【乙武洋匡】以前、パラリンピアのインタビューをしていたときに教えてもらったことなんですが、パラバドミントンの選手で長島(理)さんという方がいて、彼は日本ですば抜けてランキングの高い優秀なプレーヤーであると同時に、LIXILという会社の研究者で、特許も取得するほどの、とても優秀な方なんです。「研究者としてのハードワークを抱え、なおかつ成果も出していて、競技でも結果を残している。どうやっているんですか?仕事を数年休んで、競技に集中したほうがよくないですか?」とお聞きしたところ、「それは違うんです。やっぱり、仕事も競技もスランプがあります。もし仕事でスランプを迎えたら『バドミントンに打ち込もう』って思ったらいいし、バドミントンでスランプを迎えたら『今は仕事に打ち込もう』と気分転換を図ることができる。どちらかがうまくいっていたらいいので、むしろふたつあるほうが、メンタルが楽になるんです」と教えていただきました。このお話は目から鱗で、とても勉強になったんです。

この記事のひときわ#やくにたつ
・“決め決めのプラン”を立てても、社会の条件は変わってくる
・リスクだと思われていたことが武器になる
・軸やコミュニティをふたつ以上持つ

取材・文=浅野祐介/撮影=阿部昌也