『夜を着こなせたなら』(短歌研究社)
『夜を着こなせたなら』(短歌研究社)

 こんなに豪華で繊細な歌集を初めて見た。

 山階基の第二歌集『夜を着こなせたなら』(短歌研究社)は、その本の作りからして特別感がある歌集である。装幀は名久井直子、表紙の装画は高山燦基が担当。箔押し加工を施したコスモテック社のnote(https://note.com/cosmotech/n/n5220b39b1c5d』)によると、表紙はつやつや、つるつるのグロスPP加工に、「トラストカラー箔」(見る角度によってピンクからグリーンへと光彩が変化するメタリック箔)が使用されている。

 発売に先立ち書影が公開されてから、その表紙の絢爛さに注目が集まっていたが、中身もキラキラと輝く粒揃いの短歌ばかりだ。山階の歌は「大きなこと」は言わない。日常にある、ともすれば見落としてしまうような、ちいさな風景から歌がつくられている。

『夜を着こなせたなら』は、三章に分けられ、二十の連作から成る。このような歌から始まる。

頬に雨あたりはじめる風のなか生きているのに慣れるのはいつ

 初句五音「頬に雨」で、いったん切れる(一泊置かれる)ことの効果は、読者も経験したことがあるであろう「あっ、雨だ」と気づく瞬間の想起だ。結句「慣れるのは/いつ」の二音が切ない。

食パンの焦げたところを削るにはこそばゆい音たてるほかなく

「そうだよね」と頷いてしまいそうになる一首だ。皿の上か、シンクの上かで、フォークか何かで削っているのであろう。絶対に皆したことがある、当たり前の、だからこそ歌にはしなかった風景が、こんなにも新鮮に提示されている。

 本書には恋の連作がある。ただの恋ではない。恋を失っていく様を描写した連作だ。いくつか紹介しよう。

恋人は恋人でなくなりながらおちゃらけている写真の浜辺

 写真の浜辺。おちゃらけているのは写真になった過去なのだ。

失恋を話しだしたらはりせんを構えるような顔をするばか

 しかし、その隣にあるのが

うまいもん食べよるときに笑わんと表情筋がもったいないわ

 である。恋にベタりと執着せず、どこか放っているような感覚がする。いやしかし、「放っておかないと、いられない」ような失恋もあるのだ、と思い出す。

 本書の最後の連作にはこのような歌がある。

また冷めた牛乳をあたためなおすこれはわたしの日記ではない

梅雨晴れにゆるくかわいていたシャツは汗ばむように夜更けを揺れる

 山階の歌は、読者も経験したことのある普通の日常を詠んでいるはずなのに、それを俯瞰で再提示してくる。食事を共にしているときに写真を撮られ、翌日にそれを送ってくる友人のように。我々の生活は特別なのだ。生きて暮らすということは、よく観察してみれば、確かに。

文=高松霞

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