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恋愛との決別『あざとくて何が悪いの?』/テレビお久しぶり#92

長らくテレビを見ていなかったライター・城戸さんが、TVerで見た番組を独特な視点で語る連載です。今回は『私のバカせまい史』(毎週木曜夜9:00-、フジテレビ)をチョイス。

私は傘が嫌いだ『私のバカせまい史』

今まで誰も調べたことのない”バカせまい歴史”を徹底研究し、その成果を独自の考察で発表する番組『私のバカせまい史』。すこぶる面白い番組であり、この連載でも何度か取り上げさせていただいている。演者に椅子が用意されておらず、階段状の段差に座っているというのが良いですよね。興味津々に話を聞いている、という感じがよく出ている。今回のテーマは、『なまはげ社会適応史』と『傘の進化史』。そもそもが犯罪的で暴力的な文化であるなまはげが、時代の変化と共にどういう変遷を遂げていったのか、という『なまはげ社会適応史』も非常に興味深いものであったので、是非本編をご覧いただきたいのだが、今回の記事では、『傘の進化史』について話をさせていただきたい。

傘って進化しないよなあ、というのは、番組内でも語られているように、確かに我々の共通認識だろう。我々の知る傘はいつだってあの形の、あの使い方のものだ。しかしこれまでに、多種多様なハイテク傘が次々と開発され、発売されてきたという歴史が確かにあったのだという。光る傘だったり、折れる傘だったり、空を飛ぶ傘まで、あらゆるハイテク傘が発明されては、そのどれもが忘れ去られてきたのだと。哀しき傘、確かに、ちょっと考えてみたところで、実用的なハイテク傘というのはそう浮かばない。持ち運びに便利で、手が塞がらず、風にも強く、足元だけが濡れたりすることもない傘……。なるほど。傘など差さなきゃいいのである。

私は傘が嫌いだ。手が塞がるのも嫌いだし、どうせ濡れるのも嫌いだ。不衛生にも思えて、できれば触りたくもない。雨はいまいましいものだが、傘はそれ以上にいまいましい。使い終わって畳んだあとも濡れているのが特にマヌケだ。いや、傘そのものよりも、傘を差しているにもかかわらず、肩や足元が濡れている人間が何よりマヌケなのだ。結局濡れてしまうのだ。一体なにが悲しくて雨より傘を選択しているのだろう。

番組内では、年間で8,000万本もの傘が日本で売れていると語られる。マヌケ極まりない数字だ。雨が降るたび人々がこぞって買うせいか、とにかく傘は高くなっている。500円じゃどこでだって買えない。しかもすぐに盗まれる。傘を盗む奴はこの世で一番のマヌケだ。高級車でも盗むのならいざ知らず、「濡れないために」という、ごくごく小さな自分の都合の為に罪を犯している。何の美徳もありゃしない。便秘だからといって人のウンコを盗んでいるようなもの。雨が空の排尿だとするならば、傘は空の排便である。

おっと、これまでに相当数の傘を盗まれてきた怒りから、つい我を忘れて訳の分からないことを口走ってしまった。ずいぶん傘の悪口を言ってきたが、私も仕事柄パソコンを持ち歩いているので、雨は大敵、よく傘の世話になる。だから、傘にマヌケと言い放つ資格などないし、映画の画面で見る傘はやっぱりカッコいい。雨の都会で、皆が等しく傘を差して歩いているビジュアルには圧巻の美しさがあると認めよう。しかし、当事者としての不愉快さがどうしても抜けない。最近は、それなりの雨でも、パソコンは厳重にケースに入れて、傘を差さないようにしている。傘を持つストレスのほうが、雨に濡れるストレスを凌駕するのだ。いつか、正々堂々と、傘をマヌケ扱いできるようになりたい。何かをマヌケ扱いするなら、まず自分を改めなければならない。同じ理由でスマートフォンも捨てた。もちろん、スマートフォンがマヌケだからである。