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「観光客に依存してしまっていた」。あぶらとり紙屋だと思われている「よーじや」が創業120周年にして脱観光依存に挑むワケ

2024/04/26 12:00
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京都を代表する老舗ブランドの「よーじや」。その名前を聞けば、多くの人が「あぶらとり紙」を思い浮かべるだろう。実はよーじやは各種スキンケア用品の販売や飲食店も手がけているのだが、そのことはあまり知られていない。

そんなよーじやが今、“脱観光依存”を掲げてあぶらとり紙のイメージから脱却を図っているという。今回は、よーじやの歴史を紐解くとともに、「120年めのイメチェン。」と題したプロジェクトについて、よーじやグループ 代表取締役の國枝昂さんに話を聞いた。

京都土産の定番といえば、「よーじや」のあぶらとり紙だが…
京都土産の定番といえば、「よーじや」のあぶらとり紙だが…


人気ドラマの影響で“あぶらとり紙のよーじや”になるが…

“京都のあぶらとり紙屋さん”という印象が強いよーじやだが、もともとは舞台用の化粧品を取り扱う行商だった。1904年に創業し、1915年に京都・新京極通に「國枝商店」を構えてからは、化粧品だけでなく西洋のバッグやアクセサリーなどの輸入品を中心に販売していたという。

「あぶらとり紙で有名になる前のよーじやは、京都の人が通う化粧品屋さんでした。店舗の立地的に花街からも近いので、芸妓さんや舞妓さんも利用してくださっていたようです。地元の方にとっては『外国の商品を買いに行ける貴重な場所』で、時代の先端を行くパイオニア的な存在だったと聞いています」

大正時代のよーじやでは、バッグやアクセサリーなども売っていたようだ
大正時代のよーじやでは、バッグやアクセサリーなども売っていたようだ


後に企業の顔となるあぶらとり紙は、大正時代に販売を開始。もともと舞台役者向けの商品だったが、徐々に一般人からも人気が出るようになる。昭和時代には、地元の人があぶらとり紙を求めて行列を作るほどだったそうだ。

京都市民が利用する店だったよーじやに変化が起きたのは、90年代のこと。当時話題となったドラマであぶらとり紙が小道具として使われたことがきっかけだった。

「1990年の1月ごろに放送されたドラマ『家政婦は見た!』で、主演の市原悦子さんが京都に行き、よーじやのあぶらとり紙を人と取り合う、というシーンがありました。画面に大きくロゴマークが映ったことで、弊社の知名度が一気に上がったんです」

空前のあぶらとり紙ブームが起こり、さまざまなメディアで取り上げられるように。その結果、“京都のあぶらとり紙の店”というイメージが確立されていった。しかしそのことが、後によーじやに危機をもたらす理由となってしまう。

大正時代のあぶらとり紙を限定復刻販売したもの。発売から一瞬で完売し、現在は入手できない
大正時代のあぶらとり紙を限定復刻販売したもの。発売から一瞬で完売し、現在は入手できない


「あぶらとり紙が注目されたことで、よーじやは“京都らしさ”を求められるようになりました。『よーじやに行けば京都っぽいものが手に入れられる』と、いわば“観光地化”してしまったんですね。顧客層もガラリと入れ替わり、地元民から観光客がメインになりました」

100年企業(※)の多くが、創業時の伝統を守りながら歴史を歩んできた。一方、よーじやは「この30年で今のブランドが築き上げられた」と國枝さんは語る。
※創業から100年を経過した企業のこと

「30年の歴史の中で、有名企業にはなれました。ですが、あぶらとり紙と京都観光のイメージしかなく、観光ビジネスで安定してしまっていたのも事実です。その状況に対し、社内で誰も危機感を持っていなかった。私が社長に就任したあと、その危機感を伝える難しさを感じていたところで、コロナ禍がやってきたんです」

2020年の新型コロナウイルス感染症の拡大により、よーじやは9割以上の売り上げ減少に見舞われる。観光客に依存するビジネスモデルを続けたがゆえの出来事だった。そのことが契機となり、“観光に依存しない経営”を目指していくこととなる。

「コロナ禍であらためて、我々は飲食業界のように“心配される存在”ではなかったと突き付けられました。“観光客のためのお店”とカテゴライズされているから、売り上げが減ってもしかたないと捉えられてしまう。もっと地元の方に『自分たちが買って支えてあげよう』と思っていただけるお店にならないといけない。その思いもあり、“脱観光依存”を掲げることとなりました」

「京都に来たから買っていこう」ではなく、「よーじやだから買おう」と思ってもらえるブランドになりたい。その目標に向かって、「120年めのイメチェン。」が始まった。

よーじやグループ 代表取締役の國枝昂さん
よーじやグループ 代表取締役の國枝昂さん


商品パッケージを一新して「あぶらとり紙」からの卒業を図る

よーじや創業120周年を迎えるに先立ち、2023年末にリリースされたフェイシャルケアブランド「su-ha(すーは)」。よーじやが長年追求してきた「品質のよいスキンケアアイテム」の技術をぎゅっと詰め込んだ新ブランドだ。パッケージをよく見ると、どこか見覚えのある小さなロゴが。このロゴには、新しいよーじやの覚悟が込められているという。

「みなさんがイメージするよーじやのロゴって、あぶらとり紙のパッケージの表紙なんですよね。ロゴなのに『あぶらとり紙』って書いてあるのは、私としては非常に違和感があるなと思っていて。実はあぶらとり紙の売り上げって、今は全体の1割強しかないんですよ」

“素肌”と、深呼吸するときの“スーハ―”のリズムから名付けられた「su-ha(すーは)」
“素肌”と、深呼吸するときの“スーハ―”のリズムから名付けられた「su-ha(すーは)」


お土産需要として残るあぶらとり紙と、そのブランドイメージにどう向き合っていくか。考えた末に、“あぶらとり紙に頼らないブランド作りの象徴”として、新しいロゴの採用にいたったそうだ。

「120周年を機に、商品の良さで選ばれるブランドを目指していきたい。その思いから、あえてパッと見てよーじやの商品だとわからないロゴにしています。あぶらとり紙は我々を大きくしてくれた存在であることに間違いはありません。でも、今『あぶらとり紙屋さんです、買いに来てください』というメッセージ性を出すのは、違うのではないかと思います。ロゴマークに『あぶらとり紙』のひと言を入れるのはもう終わり。そんな気持ちが込められています」

北海道初出店となる「よーじや 札幌ステラプレイス店」
北海道初出店となる「よーじや 札幌ステラプレイス店」


「京都の人に誇りに思ってもらえる企業に」

日常的に地元の人々に利用してもらえるブランドを目指し、スキンケアだけでなくカフェや蕎麦屋などの飲食事業も展開しているよーじやグループ。これまで以上にファンに支えられる企業になるべく、全国への店舗展開を計画しているそうだ。

「ポップアップショップの出店を通して、『よーじやのファンがしっかりと作れている』と手ごたえを感じた土地に店舗を構えています。その地域の方々に支えられてビジネスが成り立つ状況を目指している途中ですね。観光依存という反省を活かしつつ、飲食業を含むよーじやグループ内の各ブランドをしっかり育てていくつもりです。そうすることで、京都の方に誇りに思ってもらえて、より愛される企業になるのではないかと思っています」

“脱観光依存”を目指してよーじやグループが運営している十割蕎麦専門店「10そば」
“脱観光依存”を目指してよーじやグループが運営している十割蕎麦専門店「10そば」

「これからもよーじやをよろしくお願いします!」と國枝さん。“京都への恩返し”が目標だという
「これからもよーじやをよろしくお願いします!」と國枝さん。“京都への恩返し”が目標だという


創業120年にしてリスタートを切ったよーじやは、これからどのように変化していくのだろうか。「あぶらとり紙を愛用している」という人も、逆に「あぶらとり紙を使ったことがない」という人も、よーじやの新たな挑戦に注目してみては?

取材・文=倉本菜生(にげば企画)

よーじや 公式サイト:https://www.yojiya.co.jp/

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