ホラー界の実力派作家によるオールタイムベスト!
『影牢 現代ホラー小説傑作集』

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

『影牢 現代ホラー小説傑作集』

『影牢 現代ホラー小説傑作集』文庫巻末解説

解説
朝宮 運河(ライター・書評家)

 今年(二〇二三年)、角川ホラー文庫は創刊三十周年を迎えた。一九九三年四月、ホラーの語を冠した日本で初めての文庫レーベルとして産声をあげた角川ホラー文庫は、今日まで数多くのベストセラー・話題作を世に送り出し、現代ホラーシーンの象徴的存在としてジャンルの発展に寄与してきたといえる。
 本書『影牢 現代ホラー小説傑作集』は、その節目の年を記念して編纂された、角川ホラー文庫オリジナルのアンソロジーである。一九九三年以降に発表されたホラー短編の中から、現代ホラーの傑作と呼ぶにふさわしい八編を収録した。日本のホラー小説三十年の精華を収めた、まさに〝ベスト・オブ・ベスト〟ともいうべきアンソロジーになったように思う。

 収録各編の解説に先だって、現代日本ホラー小説の歩みを簡単にふり返っておきたい。
 わが国において「ホラー」というジャンル名が一般に広く知られるようになったのは一九八〇年代のことである。『13日の金曜日』(一九八〇年)、『死霊のはらわた』(一九八一年)などの特殊効果を駆使した、刺激の強いスプラッター映画の大流行によって、ホラーブームが到来。『ハロウィン』(一九八五年創刊)に代表されるホラーコミック専門誌が多数誕生するなど、出版界にもその影響は波及していく。
 小説ではこの時期、夢枕獏、菊地秀行らの怪奇的・伝奇的なアクション小説が人気を博し、ホラー表現が読者に受け入れられる下地を作った。一方で朝松健、田中文雄、竹河聖などホラージャンルを明確に意識した新しい作家も活躍し始める。この時期(八〇年代半ばから後半)を日本ホラーの期と呼んでいいだろう。
 一九九〇年前後になると、スティーヴン・キングに代表される海外モダンホラーの影響下に、新しい娯楽小説としてのホラーを志向した長編が相次いで現れる。小池真理子『墓地を見おろす家』(一九八八年)、篠田節子『絹の変容』(一九九一年)、小野不由美『魔性の子』(同)、坂東眞砂子『死国』(一九九三年)。現代日本のホラーを象徴するキャラクター・山村貞子を生み出した鈴木光司『リング』の刊行も一九九一年。今日なお読み継がれる国産ホラーの名作が、数年のうちに集中して刊行されているのは壮観である。その結果、九〇年代初頭の出版界では、ホラーに熱い視線が注がれることになった。
 こうした流れを受けて一九九三年、角川書店とフジテレビジョンは日本ホラー小説大賞を創設。それにあわせて日本初のホラー専門文庫レーベルである、角川ホラー文庫も創刊される。日本ホラー小説大賞からは瀬名秀明『パラサイト・イヴ』(一九九五年)、貴志祐介『黒い家』(一九九七年)などのベストセラーが誕生。日本ホラー小説大賞の創設と角川ホラー文庫の創刊は、ホラーがミステリやSFと並ぶ小説ジャンルとして自立するうえで、極めて重要な意味をもつ出来事であった。

 ところで読者の中には、そもそもホラー小説とはどういうものなのか、という疑問を抱く方がいるかもしれない。ホラーの定義についてはさまざまな議論があるが、とりあえず〝恐怖を主題とした小説〟というのが最大公約数的な答えだろう。しかし恐怖といってもさまざまな種類があり、小説にも多くの形式がある。具体的にはどのような作品を指すのか。
 その答えはまさに本書の中にある。本書に登場する作家たちは、草創期からホラーに携わってきたこのジャンルの先駆者であり、あるいは怪奇幻想文学への関心を早くから公言してきたよき理解者だ。そしていずれもエンターテインメントの第一線で長年活躍してきた実力派である。名手が腕によりをかけて執筆した八編には、日本のホラー小説の神髄が詰まっている、といっても過言ではないだろう。
 収録作の選定にあたっては、ホラー小説としての完成度・達成度の高さを重視したのはもちろん、それぞれの書き手の個性が色濃く反映されたものであることも重視した。結果として、バブル崩壊後の東京湾岸を舞台にしたモダンホラーから、陰惨にして哀切な時代小説まで、多彩なモチーフ・テーマの作品が一堂に会することとなった。
 以下、収録作について簡単なコメントを述べておこう。

 鈴木光司「浮遊する水」
「リング」シリーズで知られる著者の第一短編集『仄暗い水の底から』(一九九六年)の巻頭を飾った作品。マンションの屋上で赤いバッグを拾ったことに端を発する異変が、シングルマザーの主人公を深い孤独へと追いやっていく。恐怖の対象を直接描かない暗示的な手法が、大都会を浮遊する暗い水のイメージと相まって、不気味な読後感をもたらす。二〇〇二年『仄暗い水の底から』のタイトルで映画化、後にハリウッドでリメイクもされた。

 坂東眞砂子「猿祈願」
 不倫の末に結ばれた男の実家に向かう語り手は、立ち寄った寺でのぼり猿という風習を知る。土俗的な題材を扱った短編集『屍の聲』(一九九六年)には、虐げられてきた女性たちの叫びが、怪異となって渦を巻いている。衝撃的な幕切れをもつこの作品も例外ではない。二〇一四年に逝去した著者は、各地の民間信仰に取材し、人間の欲望を力強く描く長短編を数多く残した。フォークホラーが人気を集める今、あらためて読み直されるべき作家だろう。

 宮部みゆき「影牢」
『半七捕物帳』『青蛙堂鬼談』の岡本綺堂を敬愛する著者は、怪異を扱った時代小説を精力的に執筆している。そこには江戸の人々の暮らしが生き生きと描かれている一方、超自然的な存在が人の運命を左右してしまう瞬間が、容赦のない筆致で写し取られている。ある商家の崩壊を語った本作は、複数の解釈が可能なリドル・ストーリー的幕切れに工夫がある。粒よりの怪談集『あやし』(二〇〇〇年)の中でも、ひときわヘヴィーで陰惨な一作だ。

 三津田信三「集まった四人」
 初対面のメンバー三人と山に登ることになった語り手は、気まずい思いのまま山頂を目指す。姿を見せない発案者に何があったのか。「作家三部作」(二〇〇一~二〇〇三年)、『のぞきめ』(二〇一二年)など著者自身が語り手を務める一連の実話系ホラーは、後続世代にも大きな影響を与えている。ここでは著者得意のメタ的手法と民俗学的モチーフを盛りこんだ本編を『怪談のテープ起こし』(二〇一六年)から選んだ。不条理感覚に満ちた怪異描写が出色である。

 小池真理子「山荘奇譚」
 祟られたマンションを舞台にした『墓地を見おろす家』により、スティーヴン・キング風のモダンホラー長編にをつけた著者は、短編でも優れたホラーを発表。『水無月の墓』(一九九六年)、『異形のものたち』(二〇一七年)などの短編集には、独特の美と戦慄がしている。後者に収められた本編では、テレビマンが非現実の世界に魅入られていくさまが、練達の語り口で描かれている。著者が見た夢がもとになったという地下室の描写が実に不気味だ。

 綾辻行人「バースデー・プレゼント」
 伝説的デビュー作『十角館の殺人』(一九八七年)以降、本格ミステリを牽引してきた著者は大のホラー愛好家としても知られ、「囁き」シリーズ(一九八八~一九九三年)、「殺人鬼」シリーズ(一九九〇~一九九三年)など国産ホラーの重要作を早くから発表している。『眼球綺譚』(一九九五年)収録の本作は、記憶の不確かさ、という綾辻作品に通底するテーマを扱った幻想ホラー。くり返されるシュプレヒコールとともに浮かぶ映像は、怖ろしくも的だ。

 加門七海「い子」
 元学芸員という経歴をもつ著者は、民俗学・宗教・オカルト・古典文学などに造詣が深く、それらの知識を生かした小説やノンフィクションで無二の存在感を示している。その根底にあるのは歴史を積み重ねてきた先人への敬意と、神や霊など見えない存在への畏怖の念だ。『美しい家』(二〇〇七年)に収められた本作は、東京の地下に眠る無数の死者の声に耳を傾けるかのような一編。重層的な語りによって、生者と死者の世界が二重写しとなり、読者を迷わせる。

 有栖川有栖「赤い月、廃駅の上に」
『赤い月、廃駅の上に』(二〇〇九年)は本格ミステリの第一人者である著者が、鉄道と怪談という二つの偏愛対象を組み合わせた短編集。その表題作である本作は、鉄道忌避伝説という魅力的なモチーフを盛りこみながら、廃駅での恐怖の一夜を鬼気迫る筆致で描いている。ホラーのお約束に忠実な結末も嬉しい。著者はこの後、大阪の天王寺七坂を舞台にした『幻坂』(二〇一三年)を発表、怪談小説の名手であることをあらためて印象づけた。

 最後に言い添えておくと、本書の姉妹編として『七つのカップ 現代ホラー小説傑作集』が同時刊行されている。両者を併読すれば、現代ホラーの手法・表現の豊かさをさらに知ることができるはずだ。
 日本のホラー小説は、こんなにも刺激的で面白い。本書の編纂作業を進めながら、何度となく頭に浮かんだのはこのシンプルな事実だった。本書を手にした皆さんにも、同じように感じていただけると幸いである。

作品紹介・あらすじ

『影牢 現代ホラー小説傑作集』

影牢 現代ホラー小説傑作集
著 者:綾辻行人、有栖川有栖、加門七海、小池真理子、鈴木光司、坂東眞砂子、三津田信三、宮部みゆき
編 者:朝宮運河
発売日:2023年12月22日

ホラー界をリードする作家らの代表作ばかりを収録したオールタイムベスト
『七つのカップ 現代ホラー小説傑作集』と対をなす傑作ホラー短編8選。大都会の暗い水の不気味さを描く鈴木光司の「浮遊する水」。ある商家の崩壊を
陰惨に語る宮部みゆきの時代怪談「影牢」。美しく幻想的な恐怖を描く小池真理子の不気味な地下室が舞台の「山荘奇譚」。記憶の不確かさと蠱惑的世界を
描いた綾辻行人の「バースデー・プレゼント」など、ホラー界の実力派作家によるオールタイムベスト! 解説・朝宮運河

【収録作】鈴木光司「浮遊する水」(『仄暗い水の底から』角川ホラー文庫
坂東眞砂子「猿祈願」(『屍の聲』集英社文庫
宮部みゆき「影牢」(『あやし』
三津田信三「集まった四人」(『怪談のテープ起こし』集英社文庫
小池真理子「山荘奇譚」(『異形のものたち』角川ホラー文庫
綾辻行人「バースデー・プレゼント」(『眼球綺譚』角川文庫
加門七海「迷(まよ)い子」(『美しい家』光文社文庫
有栖川有栖「赤い月、廃駅の上に」(『赤い月、廃駅の上に』

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