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10年間毎日続けたSNS投稿が実を結ぶ!廃業寸前から売り上げが倍になったネクタイブランドの起死回生ストーリー

2024/03/25 19:00
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岡山県津山市の笏本(しゃくもと)縫製は、全国から注目を集めるネクタイブランド「SHAKUNONE(笏の音)」を展開する縫製会社だ。創業は1968年。自宅の1室から内職場のようにスタートし、親子3代で稼業として守ってきた。現在3代目社長を務めるのは、創業者の孫である笏本達宏さん。SNSでたびたびバズを起こす話題の社長だ。地方の縫製会社として生き残りをかけて立ち上げたネクタイブランドが苦境に立たされるなかでとった戦略、そしてあるひとりの客との出会いによって生まれた“バズ”。その高い発信力と信念が生まれた背景と、ブランドが目指す未来について、笏本社長に話を聞いた。

国産のシルク生地とハンドメイドにこだわるネクタイブランド「SHAKUNONE(笏の音)」
国産のシルク生地とハンドメイドにこだわるネクタイブランド「SHAKUNONE(笏の音)」【画像提供=笏本縫製】


美容師を辞めて3代目に就任。失われた30年に苦渋を舐めた稼業


ーー笏本社長が社長に就任する前までの笏本縫製について教えてください。
【笏本達宏】弊社は2024年4月で創業56年目に入ります。学生服のボタン付けを行う会社として祖母が始め、時代の変化とともに少しずつ事業の内容も変わっていきました。現在のネクタイ縫製に舵を切ったのは、2代目社長である私の母です。そのころ、縫製の仕事がどんどん海外に流れてしまっている状況で、コスト競争の影響をもろに受けていました。よく、バブル崩壊後の経済の低迷は“失われた30年”といわれますが、まさにその状況下でした。そんななかで、会社を潰すか、たくさん抱えている職人たちと何かに挑戦するか、という決断を迫られ、職人の技術を活かせるネクタイの縫製を始めました。

【画像】創業当初の様子。カッターシャツやブラウスのボタンホールとボタン付けの下請けから始まった
【画像】創業当初の様子。カッターシャツやブラウスのボタンホールとボタン付けの下請けから始まった【画像提供=笏本縫製】

ーーそれまでの縫製仕事とネクタイの縫製はどのように違うものなのでしょうか?
【笏本達宏】縫製業界というのはきっちり分業されていて、うちはレディースのシャツやキッズ服の縫製を行っていました。一方でネクタイの縫製はメンズの領域。同じ縫う仕事ですが、全く違う技術が求められるものでした。しかし、ネクタイに転換してみたところ、私たちが得意としていたレディース服の丸みをつけた縫製技術がネクタイ縫製にはない技術だということで、高評価につながりました。綺麗に縫える、と。それで、職人さんを守ることができるところまで持ち直すことができたのです。

ーー笏本社長が稼業を継いだのはいつごろですか?
【笏本達宏】私が入社したのは2008年です。それまでは、美容師として働いていました。私は長男なのですが、ずっと母ひとりで子ども3人を育ててきた姿を見ていて、苦労をかけたくなくて働きながら美容師の資格を取ったのです。妹たちに進学してほしいという思いもありました。母自身も、私に継がせたくないとずっと言っており、「私の代で会社は潰すからね」と言われていましたしね。

ーーそれなのに美容師を辞めて会社を継ごうと思われた理由は?
【笏本達宏】私も当初は継ぐ気なんてありませんでした。先代の体調があまり思わしくないということで、あらためて稼業の経営というものに目を向けて、この場所がやはり自分の血肉になっているものだと思えたというか。未来に繋いでいきたいと思えたのです。それに「継がせたくない」という先代に対する反骨心のようなものも、あったのかもしれません。経営のことは何も知りませんでしたが、この世界に飛び込みましたね。

笏本縫製社長・笏本達宏さん
笏本縫製社長・笏本達宏さん【画像提供=笏本縫製】


いち早く目をつけたクラウドファンディングが起死回生の一手


ーーネクタイ専門の自社ブランド「SHAKUNONE(笏の音)」を立ち上げたのはなぜですか?
【笏本達宏】それまでは、請け負っている縫製の仕事は100%下請けの仕事でした。さまざまな服飾ブランドの仕事を下請けの下請けとして担当する、という仕事の進め方に疑問を持ったのです。美容師として働いていたころは目の前のお客様とのコミュニケーションが絶対にあります。その経験からすると、下請けの仕事がとても閉鎖的なものに感じました。

【笏本達宏】実際、営業能力もなく、下請け仕事のみなのでメーカーさんの言いなりになるしかなく、経営は赤字続き。誇れるものは技術だけです。そんな状況を目の当たりにして、打破する必要があると思いました。自分たちのアイデンティティを確立できるような、もっと得意なものに突き抜けたほうがいいのではないかと考えたのです

ーー実際に立ち上げてみて、苦労されたことも多かったと思います。
【笏本達宏】クールビスなどの影響でネクタイの需要も減っていて、何度もいろいろな人に「ほかの製品がよかったのでは?」と言われましたね。今思えば嫌味のニュアンスもあったのかなと思います。それでも、得意な方面に突き抜けたかったのです。突き抜けるなら、小さくて細い1点のほうが早いと思っていましたから。

「SHAKUNONE(笏の音)」のネクタイは、妥協は許さず、職人の手間を惜しまず作られる
「SHAKUNONE(笏の音)」のネクタイは、妥協は許さず、職人の手間を惜しまず作られる【画像提供=笏本縫製】

【笏本達宏】でも、最初の1〜2年は本当にズタボロでした(笑)。営業ルートも持たず、ブランド戦略もなく、ただひたすら「よいものさえ作れば誰かが見つけてくれるはず」と信じていました。結局、それは大きな間違いだったのですが。365日中、364日は売れないという日々でしたね。初年度はたった30万円分しか売れず、それも知り合いに頼んで買ってもらったものでした。2年目の売り上げも100万円程度で、初期投資の回収すら見込めなかった。目標としていたのは、5年間で売上構成比の20%まで持っていくことでしたので、目標は大外れ。でも打ち手はわからないまま、という状況でした。

ーーそこから軌道に乗ったきっかけはなんだったのでしょう?
【笏本達宏】2017年にクラウドファンディングに出合ったことです。出合ったのはたまたま、何か勉強しないとまずいと思ってあちこち情報を見ていて見つけたセミナーです。当時はまだ物珍しい仕組みだったのですが、やってみようと思いました。資金もない、人脈もない自分にも挑戦できるものだったし、これでも売れなければもう会社をたたむつもりでした。

【笏本達宏】そんな背水の陣で挑んだところ、1カ月で170万円ほど集まったのです。最初の2年間かけて130万円しか売れなかったのに、1カ月でそれを超えたというのが驚きでした。そして、そのクラウドファンディングがきっかけで、阪急メンズ大阪のバイヤーさんから商談の依頼が舞い込み、ポップアップストア出店が決定。そこで実績を積むことができ、地元・岡山の老舗百貨店である天満屋の本店でも取り扱いが始まります。こうなって初めて、今まで本当に自分たちが“伝える努力”を怠っていたのだなと痛感しました。そうしてこのクラウドファンディングがきっかけとなって、ブランドを立ち上げた当初の目標だった売上構成比の20%を達成。最終的には25%までアップさせることができました。

よいもの、よい話は発信し続ける。地方発ブランドのモデルケースを目指して


ーー「笏本縫製」の名がさらに全国に知れ渡ったのは、SNSへの投稿がきっかけだったとか。
【笏本達宏】今でも私のX(旧Twitter)でいつでも読めるように固定してあるのですが、あるお客様についての投稿です。ネット注文ではなく、いつも電話で注文してこられる常連さんで「なぜいつも電話注文なのか?」と不思議に思っていたのです。そうしているうちに、その方が住んでいる地域でイベント出店を行うことになり、初めてお会いする機会がありました。そのときに初めて目が見えない方だと知ったのです。

【笏本達宏】目が見えなくても、いつもうちのネクタイを選んでくださるのが不思議で、その理由を伺ったところ「目が見えていたころに洋服の選び方を父親に教わっていて、目が見えなくても手触りや縫製のよさで物のよさは人一倍わかります。だからこのネクタイをいつも選んでいます。今日は作り手さんに会いたくて来ました」とおしゃってくださって。私は本当に感動して、その場で大泣きしました。
そのお客様とのやりとりを、許可を得てSNS投稿したところ、とてつもない反響があったのです。いわゆる“バズった”ということですね。その投稿が拡散されたことで、新聞やテレビの取材が押し寄せました。さらにあるテレビ番組で再現ドラマにまでなって、より爆発的に認知度が上がったのです。

物のよさがファンを生み、交流を生み、反響につながっていく
物のよさがファンを生み、交流を生み、反響につながっていく【画像提供=笏本縫製】

ーーブランドの知名度が一気に広がって、売り上げなど会社の変化はいかがですか?
【笏本達宏】下請け仕事だけをやっていたころと比べると、およそ倍の売り上げになりました。下請けと自社ブランドの売上構成比は2:8と今では逆転していますね。ただ、比率は変わりましたが、作業量の8割は下請けの仕事です。

【笏本達宏】業績が安定してきたことで、大きく変わったのは働き方でしょうか。社員はもちろんですが、特に会長、つまり母には遵守してもらっています。自分が経営に携わるようになって、苦しかった時期は本当に必死で記憶がないのですが、母もそういう時期をずっと過ごしてきています。私が小さいころなどは、一緒に食事をしたこともありません。そのくらいずっと仕事にかかりっきり。だからこそ、今は残業ゼロで15時には帰宅できるような働き方を徹底しています。

職人たちの技術で地方発ブランドを盛り上げていく
職人たちの技術で地方発ブランドを盛り上げていく【画像提供=笏本縫製】

ーー「SHAKUNONE(笏の音)」がスタートして9年目に突入しました。あらためて、ブランドについて、そして今後の展望についてお聞かせください。
【笏本達宏】ネクタイをする機会は昔に比べて減っていますが、だからこそより大切な役割を担っていくアイテムだと考えています。着ける人の印象を決める大切なものですから、派手な個性よりも少しのこだわりが光るような存在でありたいのです。特に、特別な日に結ぶものでもあるのでギフトの需要が多く、そういう意味でもらったときの「ワクワク感」「高級感」を大切に考えています。

【笏本達宏】おかげさまでSNS上で話題になる機会があるため、まだネクタイが身近ではない若い世代のみなさんにも興味を持ってもらえています。ただ、我々のネクタイが欲しくても手が届かないというお声もいただくのです。そんなみなさんにも、いつか我々のネクタイを手にしたいと思える憧れの存在になれるよう、ブランドを確立していきたですね。

オール津山生産のスーツブランド「つやまスーツ」
オール津山生産のスーツブランド「つやまスーツ」【画像提供=笏本縫製】

【笏本達宏】今後は、津山市発のブランドとしてさらに地域を巻き込み、2023年から計画していた「つやまスーツ」のプロジェクトが本格化する予定です。企画やデザイン、もちろん縫製まですべて津山で作るスーツです。縫製業界は分業制でチーム戦が苦手なのですが、地域でならまとまれるとわかりました。できる限り目と手が届く範囲でプロダクトを生み出すことはとても重要で、この方法が成功すれば、ほかの地域でも同様に展開できるモデルケースになり得ると考えています。ノウハウを広め、日本各地にいるものづくりの職人を救いたいのです。自分ひとりで日本や世界を変える力はありませんが、変化のコアにはなれると思って挑戦を続けていきます。

笏本社長は、「マーケティングのノウハウはどこで勉強したのかとよく聞かれますが、ちゃんと勉強したことはないんです。ただ、SNSの投稿は10年間、1度も休んだことがありません」と笑った。クラウドファンディングから始まり、時流をSNSでつかんで会社の危機を突破してきたその嗅覚は天性のものなのだろう。また、その情熱は、地方のものづくりの火を消したくないという強い気持ちから生まれてきているのかもしれない。

笏本縫製
https://shakumoto.co.jp/shakunone-shop/
笏本縫製インスタグラム
https://www.instagram.com/shakunone_ties_brand/

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