インドからイギリス、そして日本に伝わり、今や日本人の国民食とも言えるくらいに普及している「カレーライス」。遡ること100年前、エスビー食品株式会社(以下、エスビー食品)の創業者・山崎峯次郎氏が、日本初の国産カレー粉の製造に開発したことから、日本のカレー文化が発展したと言っても過言ではない。

ロングセラー商品「赤缶カレー粉」を生み出したエスビー食品は、2023年で創業100周年。これを記念して、エスビー食品では「赤缶カレーパウダールウ」「カレー粉スティック」という、歴史のある赤缶カレー粉を使いながらも、かつ令和の現代に合った新商品を開発・発売した。

実は、これらは社員全員からの公募によりできた商品。100周年記念事業の一環として商品案を募ったところ、アイデアが殺到。その中で最も100周年にふさわしいものを開発・商品化したという背景があった。今回は、エスビー食品100年の歩みや記念商品の開発秘話について、エスビー食品 広報・IR室の田代真春さんにインタビューを行った。

エスビー食品 広報・IR室の田代真春さん
エスビー食品 広報・IR室の田代真春さん【撮影=福井求】


“失敗作”がきっかけで誕生!日本初の国産カレー粉開発秘話

エスビー食品の創業者、山崎峯次郎氏は埼玉県北葛飾郡金杉村(現松伏町)にて生を受けた。17歳で単身上京しソース屋に勤めていた頃、ふとしたきっかけで人生初のカレーライスを食べることに。口に運んでみると、あまりのおいしさに衝撃と感動を覚え、「なんとしても自分で国産のカレー粉を作りたい!」と一念発起。カレー粉の開発に没頭することとなった。

「当時のカレー粉はイギリスからの舶来品しかなかったので、誰もその作り方を知りませんでした。峯次郎がさまざまな人に聞き歩くも、何も情報が入らない日々が続きました。そんな折、生薬のひとつ『ウイキョウ』の説明の中に『カレーの原料としても使われる』と書かれていることを偶然見つけ、生薬を解析すればカレー粉の原材料に行き着くのでは?という確信が生まれます。こうして峯次郎はカレーに必要な原料を一つひとつ解き明かしていきました」

東京・浅草七軒町にあった「日賀志屋」本社社屋
東京・浅草七軒町にあった「日賀志屋」本社社屋【提供=エスビー食品】

エスビー食品 板橋スパイスセンターにある「スパイス展示館」には、創業当時の1923年から、カレー粉の変遷が展示されている
エスビー食品 板橋スパイスセンターにある「スパイス展示館」には、創業当時の1923年から、カレー粉の変遷が展示されている【提供=エスビー食品】


一見、カレー粉はスパイスを混ぜ合わせるだけで完成すると思われがちだが、実は“熟成”の工程が必要不可欠だ。しかし、当時の山崎氏はそのことを知らずに失敗作を作り続けていたという。そんなある日、山崎氏が年末掃除をしていると、倉庫の奥に放置していた失敗作のひとつからカレー粉のいい香りが。そのときに「カレー粉には熟成が必要なんだ!」ということを発見し、同時にこの失敗作の調合を基礎とし、試行錯誤の末に「奇跡の調合」を完成させ、ついに日本初の国産カレー粉の製造に成功した。

その後、山崎氏は東京・浅草七軒町に、エスビー食品の前身である「日賀志屋」を創業し、業務用のカレー粉を発売。1930年には日本初の家庭用カレー粉「ヒドリ印カレー粉」を発売した。日が昇る勢いで社運が上がるように、鳥が自由に大空をかけめぐるように、商品が日本中に行き渡ってほしいという願いを込め、「太陽」と「鳥」を図案化したヒドリ印を掲載。後の社名の由来になる「太陽=SUN」と「鳥=BIRD」の頭文字の「S&B」を併記した。

1930年に商標とされた、「太陽」と「鳥」を図案化したヒドリ印
1930年に商標とされた、「太陽」と「鳥」を図案化したヒドリ印【提供=エスビー食品】

カレー粉の歴史を説明する田代さん
カレー粉の歴史を説明する田代さん【撮影=福井求】


そして、第二次世界大戦中の原料や物資不足を乗り越え、1949年に社名を「ヱスビー食品株式会社」に改称。山崎氏は戦後の混乱の最中でも満足のいく商品の開発を続け、試行錯誤を繰り返していたという。研究家気質だった山崎氏は一切の妥協を許さず、創業理念である「美味求真」を信条に掲げ、消費者の喜びのため本物のおいしさを追求した。そして、1950年に創業以来培ってきた技術の集大成となる「赤缶カレー粉」の発売に至った。

「赤缶カレー粉は30種類以上のスパイスとハーブをミックスした、まとまりのある芳醇な香りが特徴です。実は、パッケージには国会議事堂が描かれているのをご存じでしょうか。これは戦後間もない当時、国会議事堂が最先端かつ日本を代表する建築物だと言われていたことに由来します。創業者は赤缶カレー粉を『日本を代表する商品にしたい』という気持ちを込めて、国会議事堂のイラストを掲載しました」

1950年発売当時の「赤缶カレー粉」
1950年発売当時の「赤缶カレー粉」【提供=エスビー食品】

板橋にあった工場には「板橋の国会議事堂」と呼ばれ親しまれていた建物があった
板橋にあった工場には「板橋の国会議事堂」と呼ばれ親しまれていた建物があった【提供=エスビー食品】


「我こそは!」とアイデア殺到!新商品の開発背景

創業から100年もの間、エスビー食品は数多くの多彩な商品を展開してきた。日本初の国産カレー製造を皮切りに、香りが際立つ「ゴールデンカレー」や日本初のチューブ入り香辛料、子ども向け即席カレー、スパイスを使用したメニュー訴求型商品など、数々のヒット商品を発売。業界のリーディングカンパニーとしてさまざまなスパイスとハーブの商品を食卓に届けてきた。

2023年に発売した「カレー粉スティック」
2023年に発売した「カレー粉スティック」【提供=エスビー食品】


そして2023年には創業100周年を記念し、赤缶カレー粉の歴史と伝統を引き継いだ「赤缶カレーパウダールウ」「カレー粉スティック」を新発売。これらの開発の裏側には、全社一丸となって100周年を盛り上げていくというエスビー食品の熱い想い、そして社員一人ひとりの「我こそは!」という新たな商品開発への意欲があった。

「2020年12月に、社員全員を対象として記念商品のアイデア公募を行うことにしました。私たち社員にとって、今まで密かに考えていた『こんな商品があったらいいのに』を実現できる100年に一度の大チャンスでした。おもしろいアイデアや心に秘めた思いなどがたくさん集まり、およそ1カ月で850件以上もの商品案が出ました」

2023年に発売した「赤缶カレーパウダールウ」
2023年に発売した「赤缶カレーパウダールウ」【提供=エスビー食品】


商品の審査基準は大きく3つ。「これから100年間、エスビー食品の柱となる商品であること」、「ブランド価値向上につながる商品であること」、そして「2023年までに商品化が可能であること」だった。集まったアイデアをひとつずつ考査し、技術的な難易度の確認、そして必要に応じたマーケティングなどを行い、開発可能なものを絞っていった。

そして、選ばれたアイデアをもとに企画がまとめられ、100回を超える試作を経て、見事「赤缶カレーパウダールウ」「カレー粉スティック」の2つを発売した。赤缶カレー粉は、日本のカレーのスタンダードであり、エスビー食品の原点にして頂点の存在。そのため、エスビー食品を代表する赤缶カレー粉の意思を継ぐ、2つの商品が100周年記念商品として選ばれた。