レトルトカレーを代表する商品といえば「ボンカレー」を思い出す人も多いのではないだろうか。ボンカレーは大塚食品株式会社(以下、大塚食品)が販売するレトルトパウチのカレーだ。湯煎やレンジで数分間温めるだけで誰でも手軽にカレーを作ることができるこの商品は、2023年で誕生55周年を迎えた。
 
ボンカレーはレトルトカレーとして最も歴史が長く、2022年には「最長寿のレトルトカレーブランド」としてギネス世界記録(TM)に認定されたほどだ。そんな史上初のレトルトカレーとして生まれたボンカレーは、研究開発の過程でさまざまな困難を乗り越え、そして宣伝や営業活動に力を注いだことで大ヒット商品となった。
 
今回は大塚食品 製品部 食品担当 レトルト担当PMの中島千旭さんに、ボンカレーの誕生秘話や開発背景、ロングセラーになった理由などについて話を聞いた。

ボンカレーがギネス世界記録に認定されたときの様子
ボンカレーがギネス世界記録に認定されたときの様子

史上初のレトルトパウチカレー誕生秘話

ボンカレーが誕生したのは1968年。その4年前、関西でカレー粉や即席固形カレーを製造販売していた会社を、大塚グループが引き継いだのが大塚食品、そしてカレー事業の始まりだった。しかし、当時はカレー粉や缶詰のメーカー競争がとても激しく、新参者の大塚食品は「参入しても勝ち目がない」と考えていたという。
 
「そんな折、ひとりの社員が米国のパッケージ専門誌を眺めていて、その中に軍用のソーセージを真空パックした携帯食の記事が出ているのを発見しました。そこからヒントを得て、この技術とカレーを組み合わせられないかと考えて『お湯で温めるだけで誰もが失敗しない一人前のカレー』の開発に取り組むことになりました」

大塚食品製品部 食品担当 レトルト担当PMの中島千旭さん
大塚食品製品部 食品担当 レトルト担当PMの中島千旭さん

【写真】1968年に発売した初代ボンカレー
【写真】1968年に発売した初代ボンカレー

 
そして1968年、4年の歳月をかけて大塚食品はレトルトカレーを開発。当時、大塚食品ではレトルトパウチを作る技術を持ち合わせていなかったので、イチから協力会社を作りあげたという。また、開発時は温めている間にパウチが破けてしまったり、熱を加えることによって具材や味に違いが出てしまったりと、さまざまな失敗を繰り返したそうだ。
 
「カレーの味を安定させるためにいろいろな実験を繰り返しました。また、カレー自体の開発にも力を入れていて、玉ねぎを60分じっくり飴色になるまで炒めることにこだわっています。ルーからカレーを作る際にこの工程が最も時間がかかります。そのため、ボンカレーではこの工程をあえて入れることで、家庭での時間短縮ができると考えています」

1968年発売の初代ボンカレーのパウチ。当初は透明だった
1968年発売の初代ボンカレーのパウチ。当初は透明だった

 

改良と宣伝を重ねてロングセラーに

4年の月日を経て発売にいたったボンカレーだが、当時はパウチが半透明だったために光が入ってしまい、風味が落ちやすかったという。また、レトルトでも賞味期限が冬場3カ月、夏場2カ月程度という今では考えられない短さだったり、振動などの衝撃に弱く輸送中に破損したりとさまざまな課題を抱えていたそうだ。
 
「冷蔵庫が普及しきっていない当時としてはボンカレーの賞味期限が非常に長かったために、消費者に『保存料が入っているのでは?』と疑われたこともありました。また、当時は1パック80円で、外食のうどんが50~60円程度の時代にはやや割高の商品でした。そのため価格に見合った価値を伝えるのにとても苦労しました」

1969年にアルミパウチに変更された
1969年にアルミパウチに変更された

 
レトルトパウチのカレーは消費者が初めて目にするものだったこともあり、なかなか受け入れられないという状態が続いたという。その後、さらに賞味期限と強度を上げるために半透明のパウチからアルミのものへ変更。その結果、賞味期限を2年に延ばすことができ、全国展開が可能となった。
 
そして、もうひとつ力を入れていたのが宣伝だった。発売後、女優の松山容子さんがボンカレーを持った「ホーロー看板」を全国に設置することに。20人の営業が自転車に看板を積んでお店を巡り、全国の店先に約9万5000枚もの看板を取り付けたという。当時の宣伝方法といえばテレビCMか新聞広告という二択の状態。そこでホーロー看板を用いることで、お店に来た人に直接宣伝ができることを狙った戦略だった。

初代ホーロー看板。現在ではマニアを中心に高価で取引されているという
初代ホーロー看板。現在ではマニアを中心に高価で取引されているという

 
また、1972年には落語家の笑福亭仁鶴さんを起用したCMを放送。内容は時代劇「子連れ狼」のパロディーで、浪人風の衣装をした仁鶴さんが「3分間待つのだぞ」と決め台詞を言うというもの。「湯煎3分でできる」「誰でも手軽に食事が用意できる」という商品の特徴を捉えた内容が大ヒット。このCMのおかげで全国的にボンカレーが認知され、現在でも続くロングセラーになった。

「ボンカレーゴールド 中辛」
「ボンカレーゴールド 中辛」

「ボンカレーゴールド 辛口」
「ボンカレーゴールド 辛口」

 

すべての世代に愛されているボンカレー

55年の歴史を持つボンカレーは親から子へ、子から孫へと受け継がれているブランド。若い世代では商品を知ったきっかけが『お父さんやお母さんが食べていた』といった人も多いのだとか。そのため、ボンカレーは大塚食品の商品の中でも特にブランド認知率が下がらない商品だという。積極的にCMを打っていなくても、すべての世代に知られているという圧倒的な強みがある。

「ボンカレーネオ」
「ボンカレーネオ」

 
そんなボンカレーの主な購入者層は30~50代の主婦。買い置きしてストックにしたり今晩の献立として利用したりと、家庭を中心にさまざまな使い方がされているという。また、2021年より続くコロナ禍でのステイホームや近年の共働き世代の増加などもあって、世代や属性を問わず、さまざまな人たちに重宝されるようになった。
 
「レトルト食品のいいところは、手間をかけずに一人前から調理ができることです。そして好きな辛さや味、ブランドが選べることも大きな特徴です。例えば家庭でカレーを作った場合、辛さを子どもに合わせなければいけませんが、レトルトだとそれぞれが好きなものを選べるので、家族全員が満足のいく食事ができます。このようにして全世代に訴求できることがボンカレーの強みですね」

「ボンカレークック 中辛」
「ボンカレークック 中辛」

 
「食品は家庭に入り込むことが大事」と話す中島さん。一度、家庭や家族間で定着すれば、子どもが成長して商品から離れたとしても、家庭を持ったり子どもができたりといったタイミングで戻ってきてもらえる可能性も高くなるという。このようにボンカレーが世代を超えて受け継がれているのは、いつ作っても失敗せずにおいしく作れるという、ブランドが持つ安心感があると言えるだろう。
 

「おいしさ三重丸!」ボンカレーの“良さ”を追求して

ボンカレーはレトルトパウチの技術革新をはじめ、さまざまな進化を遂げている。2003年には箱ごとレンジでの加熱が可能になり、2016年には主力商品であるボンカレーゴールドの野菜がすべて国産のものに変更されるなど、より便利で安全に食べられるような工夫がされている。今後のボンカレーが目指す目標や野望について、中島さんに聞いた。
 
「まずはボンカレーの味を守り続けることが第一ですね。小さいころに家族みんなで食べたといった、消費者がボンカレーに抱く情緒的な思い出を大事にしながら、ブランドイメージを作り上げていくことを大切にしていきます。そして社会が目まぐるしく変容していくなかで、時代の流れに合わせた商品開発をしていきたいですね」

「ボンカレーベジ スパイシートマトカレー 辛口」
「ボンカレーベジ スパイシートマトカレー 辛口」

 
最近では動物性の材料を一切使用していない「ボンカレーベジ」を発売するなど、多様化する価値観や食の好みに合わせた選択肢を提供するため、さまざまなレパートリーの商品を展開している。

ボンカレーを片手に商品の説明をする中島さん
ボンカレーを片手に商品の説明をする中島さん

中島さんの企画開発する新商品に期待が止まらない
中島さんの企画開発する新商品に期待が止まらない

 
パッケージの特徴である赤・黄・オレンジの三重丸は「より良い!」「おいしさ三重丸」という意味が込められている。そしてボンカレーの“ボン”はフランス語で「良い」という意味だ。ブランド全体に良いおいしさを届けたいという大塚食品の思いが込められているボンカレーは、これからどのように進化していくのだろうか。今後の活躍に期待が止まらない。
 
取材・文=福井求(にげば企画)