岨手由貴子監督にインタビューを行った / 撮影:ブルータス海田
【写真】カッコイイけどチャーミング…絶妙なバランスで演じる阿部寛の“ビビり演技”

阿部寛主演ドラマ「すべて忘れてしまうから」でメガホンを取るのは、気鋭の映像クリエーター・岨手由貴子ら3人の監督たち。同ドラマは、今最も注目される作家の1人である燃え殻の同名エッセイが原作。阿部演じる作家“M”を主人公に、消えた恋人“F”(尾野真千子)を巡る、大人の心に染みわたるミステリアスでビタースイートなラブストーリーだ。このほど3人の監督の内の1人である岨手監督にインタビューを行い、短編エッセイをドラマ化する際に意識した点や主人公の作家“M”を演じる阿部の印象、見どころの1つであるBar 灯台のシーンに込められた思いなどについて語ってもらった。

ディズニーの公式動画配信サービス・ディズニープラスのコンテンツブランド「スター」で毎週水曜昼4:00より独占配信中の同ドラマ。物語の主人公となる“M”を阿部、“M”の失踪した彼女“F”を尾野が演じる他、“M”の行きつけであり、物語のキーとなる舞台“Bar 灯台”のオーナーをChara、同じバーで働く元バンドマンの料理人を宮藤官九郎、“F”と何やら関係のある謎の美女役で大島優子、そして“F”の姉を名乗る女性役で酒井美紀が出演。さらに、エンディング楽曲を毎話異なる10組のアーティストが担当している。

感情の機微を大事にするドラマに

「すべて忘れてしまうから」第3話より / (C)Moegara, FUSOSHA 2020
――燃え殻さんのエッセイをドラマの脚本にする作業で意識した点はありますか?

原作は短編エッセイで1つの物語があるわけではなかったので、書かれていることをただ具現化してドラマを作っていくというのは不可能なんです。それを前提にしながらエッセイに書かれている世界観の倫理などを自分の中に1回取り込んで再構築していった感じです。

燃え殻さんがエッセイで拾っている日常の中の印象に残ったことや感情の機微みたいなことを大事にするようなドラマにしたいと思って脚色しました。

――あのエッセイがミステリー要素のある大人のラブストーリーになったことに驚きました。

燃え殻さんは「全く変えてもらっていいです」って言ってくださるかなりレアな原作者。脚本を書く前に燃え殻さんとお食事をしながらいろんなお話ができたので安心して物語を作ることができました。

――登場人物の名前を“M”や“F”にした意図はどんなところにありますか?

今回のドラマに関しては、匿名性があったからできたという感じがしています。同じ名前の響きでも漢字だけで脳内の人物像というのは変わりますし、名前は当然あった方がいいんですけど、バーを舞台に物語が展開されるという点も大きいのかなと。

バーで出会っても相手の全部を知らないというか、それぞれが自分の一部分しか明かさないような大人たちの話というのがテーマとしてあって。そういう意味では“M”や“F”という匿名の名前にしたことで、その独特の世界観を表現できたんじゃないのかなと思っています。

――主人公“M”を演じている阿部さんの印象はいかがですか?

阿部さんはとにかくお芝居が面白くて。キャスティングが決まった段階から“M”は「私が演じてほしい阿部寛像」みたいな感じで完全に当て書き。阿部さんに怒られちゃうかもしれないですけど、すごくチャーミングであり、カッコよくもある。ちょっとおとぼけな面白さを演じられるのに、切実さもあるみたいなそういう阿部さんを思い描きながら脚本を書いていきました。

――撮影現場で“M”について阿部さんと話し合ったりしたんですか?

現場では“M”のイメージをいかに具現化していくかっていう作業になるんです。まずは阿部さんがテストで1回お芝居をされて、それに対して私が思うセリフの言い回しや動きを伝えていく感じ。阿部さんはすぐに私がリクエストしたことを理解してくださって、例えばセリフを1つ変えた時もなぜそうなるのかを役の心情までしっかりと汲み取って演じてくださいました。

誰かの言葉に対してうなずいたり、ただ黙っているだけでもその受けの芝居が面白い。ずっと飽きずに見ていられるなって思いました。

主人公なのに“受けの芝居”が中心

――主演なのにずっと受けの芝居を見ていられるってズルい俳優さんですね(笑)。

ホントにそうなんです(笑)。主人公を演じていてこんなに受けの芝居をさせられる機会もなかなかないんじゃないかなと思います。今回はゲストを含め、いろんな方たちが出演されていますけど、登場人物はみんなキャラクターが濃いから自分の役をどうやって演じようかなってすごく考えて現場に来られたと思うんですね。

その中で阿部さんは、あんなに主体性のない男を演じながらもリアクションや受け答えが面白いから結果的に相手のキャラクターも立つし、主人公の“M”もどんどん魅力的になっていく。ゲストで出演された俳優の方にとってもすごく刺激的だったんじゃないかなと思っています。

――“M”をはじめ、個性豊かな客たちが集まる「Bar 灯台」のオーナー・カオル役のCharaさんとは現場でどんなふうに向き合ったんですか?

私を含めた3人の監督はみんなそうだと思うんですけど、例えば「ドアを開けて3歩歩いたらここで立ち止まってください」みたいな演出はしていないんです。俳優の方たちの持ち味を生かしてよりキャラクターを豊かにしていくような演出をしていました。

Charaさんも阿部さんと同じように当て書き。もちろんカオルという人物を演じてくださっているんですけど、できるだけCharaさんの自然な動きを優先して撮っていました。私から細かい演出をしたことはないです。

――バーのシーンは、とてもすてきな時間が流れています。

私自身が20代前半の時にああいうカジュアルな感じのバーで5年ぐらいアルバイトをしていたんです。お客さんと一緒にダラダラ飲みながらしゃべるだけだったんですけど、今はもう亡くなってしまった方もいるし、全然連絡をしていない人もいる。でも、その数年間で出会ったお客さんやバイト仲間と過ごしていた時間は私の中に確実にあって。ある一定の距離感が心地良かったような気がします。

大人のモラトリアムな時間みたいな、ふらっとやって来ては去っていく場所でもある。人が出ていってまた入って来るというある種の寂しさや刹那的な豊かさのようなニュアンスをスタッフ全員で共有していて。「Bar 灯台」のセットもすごく印象的なドアを作ってくださいました。

プロデューサーの強靭な意思を強く感じるエンディング

――毎回変わるエンディングでは、いろいろなアーティストのライブが楽しめますね。

燃え殻さんとプロデューサーとお食事をした時に、プロデューサーが「毎回違うミュージシャンがバーに来てライブをするっていうのができたら面白いよね」って仰っていたんです。確かに面白いけど難しいだろうなと思っていたら、本当にやることになって。ある程度予算をかけて作れるってなった時に目に見える派手さではなくて、どちらかというと地味なストーリーをフィルムでじっくり撮ったり、普通ではなかなか集まらないようなミュージシャンをブッキングしたり。そういうところにお金をかけて撮ろうとする企画ってプロデューサーの強靭な意思を強く感じますよね。

普段の生活の中でも、どこにお金をかけるかでその人の価値観が見えてくると思うんですよ。作品を手掛けるプロデューサーにも同じことが言えますよね。

――フィルムの質感が味わい深い世界観を醸し出しているような気がします。

今回は「記憶」もテーマの1つ。特に後半は、そこがかなり重要なポイントになってきます。前半は結構くだらない話が多いんですけどね(笑)。編集をしながらある種のあいまいさ、境界線のあいまいさみたいなことを表現する時にフィルムで撮ったという意味をすごく強く感じました。フィルムでの撮影が実現できてよかったなと思っています。

――“M”にとっての「Bar 灯台」のようなお気に入りの場所、落ち着けるような場所はありますか?

普段は金沢に住んでいて子どももいるので、最近は1人で飲みに行くという機会がないんです。ただ、毎日行く喫茶店で執筆作業をしているんですけど、そこで過ごす1人の時間はとても落ち着きますね。

チャンスをくれた人たちに感謝

岨手由貴子監督 / 撮影:ブルータス海田
――タイトルの「すべて忘れてしまうから」にちなんで、忘れられない思い出やエピソードはありますか?

最近物忘れがひどくて(笑)、全部忘れていくんですけど忘れちゃいけないという意味で言うと、最近「オフィス・シロウズ」という制作会社のプロデューサー・佐々木史朗さんがお亡くなりになって、私もお別れ会に出席したんです。

そこで、いろんな映画関係者や知り合いと会ってお別れのビデオみたいなものを見ている時に改めて思ったことがあって。私が自主映画を撮っていた頃にある映画祭で佐々木さんが審査員を務められていたんですよ。その時は何も受賞できなかったんですけど、佐々木さんが私の作品をすごく褒めてくださったんです。

その後、勉強になるからということで佐々木さんの会社が手掛ける作品の現場に呼んでいただいたりして。映画業界はフリーランスが多いから新人研修みたいに手取り足取り教えてもらうということはないですけど、私がこうやって映画の仕事に携わることができているのは佐々木さんをはじめ、いろんなチャンスをくれた人たちに育ててもらったからなんだなと。その感謝の気持ちを絶対に忘れちゃいけないなって、お別れ会の席ですごく感じました。

私はまだキャリアが浅いですけど、自分ができること教えられることを若い世代に伝えていけたらいいなと思っています。

◆取材・文=小池貴之