毎日の生活にドキドキやわくわく、そしてホロリなど様々な感情を届けてくれるNHK連続テレビ小説(通称朝ドラ)。毎日が発見ネットではエンタメライターの田幸和歌子さんに、楽しみ方や豆知識を語っていただく連載をお届けしています。今週は「巧みな構成」について。あなたはどのように観ましたか?
※本記事にはネタバレが含まれています。

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長田育恵作・神木隆之介主演のNHK連続テレビ小説『らんまん』の第8週「シロツメクサ」が放送された。本作は、明治の世を天真らんまんに駆け抜けた高知出身の植物学者・槙野万太郎(神木隆之介)の人生をモデルにしたオリジナルストーリー。
「花や果実は植物の盛りです。けど、それだけが美しいわけじゃない。硬うて小さい種から芽吹いて伸びて、どんどん変わっていく。どういてそうなるのか、植物はいつでも不思議で美しいですき」
今週は、万太郎が語った植物の不思議さ・美しさと、人間の多面性が重なり合う巧みな構成になっていた。その焦点となるのが、万太郎が通い始めた東京大学植物学教室の田邊教授(要潤)である。
先週、助教授の徳永(田中哲司)や講師・大窪(今野浩喜)らが、小学校中退の万太郎を見下す中、万太郎の持参した植物標本や植物画を評価し、植物学教室に通うことを許可した田邊教授は、唯一の理解者に見えた。学びたい思いから、待ちきれず朝早く通う万太郎の姿に、蘭光先生(寺脇康文)の「名教館」に通っていた時を思い出す。
しかし、その熱意は肩透かしを食らう。万太郎は学生たちと植物について話したいのに、波多野(前原滉)や藤丸(前原瑞樹)ら受け入れられない。講義を受け、課題をこなし、研究もしなければいけない学生たちにとって、自分の好きなことばかりしていて、教授となぜか高知の縁で"お気に入り"に見える万太郎は、得体のしれない存在なのだ。また、教室お抱えの画工・野宮(亀田佳明)に絵を見せてくれと頼んでも断られてしまう。
見事だったのは、そうした万太郎の孤独感を、独りよがりの内面の独白でなく、俯瞰での「異物感」として差配人・りん(安藤玉恵)の言葉から浮き彫りにする構成だ。
万太郎はりんを誘って竹雄(志尊淳)が働く西洋料理屋に行く。りんは、よそ者扱いされる万太郎の胸中を知り、よそ者は怖い、まして「玄関じゃなく、いきなり縁側からあがりこんだようなもん」と言い、「分からないものは気味悪いよ」と周囲の反応を率直に代弁する。そこで映し出されたステーキは、まさに万太郎だ。人柄がわかり、「悪い人じゃない、変わった人だって分かって良かった」だけ。そして、竹雄に箸を所望し、ステーキを頬張る。良いモノであっても、わからないうちは不気味で怖いものなのだ。
さらに、万太郎の背中を押してくれるのは、竹雄だ。同志を得たつもりが、一人のときよりも孤独だと万太郎がこぼすと、竹雄はこうはっぱをかける。
「研究室のお人らは、さぞご苦労されて大学の門をくぐられたがでしょう。けんどわしは、捨ててきたもんの重さなら、若は引けを取らんと思うちょります」
大事な人を裏切り、草花を極めることを選んだのだから、誰が何を言おうと好きにしたらいい――そう励まされ、万太郎は倉木(大東駿介)に案内を頼み、植物採集に出かける。藤丸が癒しを求めてウサギに餌をあげていたことを思い出し、ウサギにあげるためとシロツメクサを持ち帰った万太郎は、藤丸と波多野と徐々に打ち解けていく。
しかし、その一方、藤丸と波多野から「教授は美しいものが好き」「美しいとは完全なものだけを指す」「今は鹿鳴館に夢中」という、意外な一面を聞く。さらに万太郎は、精巧な植物画と、微妙な竹雄の肖像画とを見せ、自分は植物以外全然ダメだと打ち明けると、警戒心を解いた野宮は画工になったいきさつを話し、万太郎に教授には逆らわないよう忠告する。
しかも、田邊教授は自身が完全でないものは美しくないと捨てていた植物を、万太郎がかき集めてそれぞれ植物の過程で標本にし、「植物の一生」としてまとめた絵を目にすると、それを譲ってくれと言う。
一方、寿恵子(浜辺美波)は、万太郎にもらった牡丹の絵をもとに職人が作った新しい和菓子を万太郎に見せると、嬉しくなった万太郎は目の前で次々に植物画を描いて見せ、植物図鑑を作ることを思いつく。それが万太郎の植物の一生を描いた絵につながるわけだが、あるとき寿恵子が叔母・みえ(宮澤エマ)に託され、元薩摩藩士の実業家・高藤(伊礼彼方)のもとへ届けに行くと、そこには田邊教授の姿が......。
それにしても、先週は万太郎の理解者で味方に見えていた田邊教授の多面性を、植物になぞらえて描いたことには唸らされる。
「花や果実」という盛りだけ見てもわからない。種からどう芽吹いて、どう伸びて、どう変わっていくかを知らないと理解できないのは、植物も人間も同じ。そしてそれは、田邊教授だけでなく、万太郎も同じだ。本人の言葉を使わず、周りの発言から人物像が見えてくる、見事な導線だった。



文/田幸和歌子