第9話「帰還」が放送された / (C)つくしあきひと・竹書房/メイドインアビス「烈日の黄金郷」製作委員会
【画像】醜悪な姿を持つジュロイモー

アニメ「メイドインアビス 烈日の黄金郷」(毎週水曜日深夜1:05~、TOKYO MXほか)の第9話が8月31日に放送された。リコの元に帰ってきたレグと、母の元へ還ってきたファプタ。「帰還」と題し、物語が大きく動く重要なターンとなった今話だが、映像中には他にも大小いくつかのポイントが散りばめられていた。シーンへの考察を含め、今回のエピソードを振り返ってみたい。(以下、ネタバレが含まれます)

憧れを止められないリコ。思考が近いからこそ読めたワズキャンの狙い

「メイドインアビス」の象徴ワードに、“憧れへの挑戦”というものがある。呪われた大穴アビスに挑む探窟家の中でも、冒険という憧れが未知への恐れを上回る者たち。しかし、決して足を止めない憧れは、時に人の道から外れる行為にも繋がることがある。黎明卿ボンボルドはその最たる例と呼べるが、これまでの冒険から分かるように、実はリコもかなりネジの外れた思考を持っている。それは今回、ワズキャンの思惑を喝破したシーンにも覗ける部分だった。

村の成り立ちについてワズキャンの主導を知ったリコだが、「嫌いになっちゃったかい?」と問われたときの表情に見えたのは、嫌悪よりも戸惑いだ。同じ冒険の足を止めない者として、ワズキャンを否定せず、ともすれば理解者になりそうなリコの感性。だからこそ、ワズキャンがまだ冒険を諦めていないことに気付いたのだろう。そして、欲望の揺藍を使えるのは人の子どもだけ。自分に揺藍を使わせて、再び村のヒトたちが冒険に出られるようにするというのがワズキャンの狙いなのだと。

ワズキャンは、肯定はしないが否定もしない。ただ、リコの思考がそこまでたどり着くとは思っていなかったのだろう。表情のない成れ果て顔にも驚きはありありと感じ取れた。ワズキャンはどのようにして冒険に出ようとしているのか。リコが言うように、再び欲望の揺藍に願いを掛けるのか。成れ果て村を作ってから150年間、人の子どもが来るのを待ち続けていたのだとしたら、彼の冒険への執念は恐ろしいものだが、それを見抜いたリコもまた“やるだけのことはやる”という同種の考えを持つ探究者と言えるのだろう。

ワズキャンと共通点を持つリコ / (C)つくしあきひと・竹書房/メイドインアビス「烈日の黄金郷」製作委員会

ファプタを拒んでいた母イルミューイの結界

アビスのルールをも書き換えるレグの火葬砲をもって、母イルミューイの胎内である成れ果て村に帰還したファプタ。リコ、レグ、ナナチは何の問題もなく村に入ることができたが、なぜ今までファプタには無理だったのか。ヴエコによれば“性質上”ということだが、それ以上は言及されていない。考えられるのは、ファプタが村に敵意を持つ者ということだ。

母を想うファプタだが、村に敵意を持つゆえに、ヴエコを守るため何者でも拒絶するイルミューイの潜在的な意思に拒まれる。また、子であるからこそ、ファプタは村の結界(膜)を越えられなかったとも考えられる。ファプタにとって、村はいわば母の胎内だ。産まれた子が再び胎内に戻ることは決して叶わない。その入口を作るために、ルールの書き換えが必要だったのだろう。

イルミューイが守ろうとする存在・ヴエコ / (C)つくしあきひと・竹書房/メイドインアビス「烈日の黄金郷」製作委員会
そんな敵対者の侵入に、村の守護者ジュロイモーが抹殺に動く。村の成れ果てが比較的嫌悪感の少ない姿であるのに対し、ジュロイモーだけが醜悪な姿であったのは、イルミューイがヴエコを育てたクズ男の記憶から生んだからであるからだと分かった。ジュロイモーは清算の黒いねばねばを取り込みファプタを襲うが、ファプタは逆にそれを取り込んで傷を癒す。黒いねばねばの正体は、かつてイルミューイが産み続け、食われ、亡くなった赤子の命の姿だ。最後に生まれた末の子ファプタと1つになるのは当然の帰結だったのかもしれない。

気付いてほしい?ヴエコに近付くパッコヤン

比較的親しみのわく姿の成れ果てたち / (C)つくしあきひと・竹書房/メイドインアビス「烈日の黄金郷」製作委員会
今の村の住人は、全てがガンジャの隊員だったわけではない。村ができて150年の年月。地上では大穴の街オースが生まれ、大勢の探窟家が呪われた大穴に挑んでいった。中にはリコたちのように、ラストダイブを行い、ここにたどり着いた探窟家がいるのも間違いない。最初の礎となったガンジャ隊と、後にたどり着き、冒険を諦めて成れ果てになった探窟家。今話では、古い住人と新しい住人の区別もさりげなく描かれていた。

1つが言語の違い。ヒトツメのパッコヤンが元ガンジャ隊であるのは前話で明らかになっている。彼女たちの仲間はリコたちが話す言葉を「新しい連中の言葉」と言い、理解できていなかった。そして、新しい言葉を話すムーギィは、大穴をアビスと呼んでいた。アビスは後の時代に使われだした大穴の呼称だ。振り返ってみても、ガンジャの隊員は一度もアビスとは口にしていない。きっとムーギィやマジカジャは冒険を諦め、ここでイルミューイに心身を捧げて村の一部になった探窟家なのではないか。

本作では、作中明確に答えが提示されることはあまり多くない。だからこそ映像の端々や会話、キャラクターの表情から読み取れることは多くある。今話で特に登場頻度が上がっていたパッコヤンの存在もその一例だ。彼女はガンジャ隊当時、ヴエコと親しい間柄にあった。アニメではカットされているが、原作には特別な関係だったことが分かる1コマが描かれている。そんな過去があるゆえに、さりげなくヴエコに近付き、気付いてほしそうに、話したそうにもじもじするパッコヤンの姿はとても歯がゆく、可愛らしい光景だった。

ファプタの底知れぬ怒り、憎悪を体現した久野美咲の芝居

レグが約束を果たしたことで村に踏み入れたファプタは、強烈な怒りと憎悪を剥き出しにし、この村の全てを滅ぼすことを宣告する。復讐に満ちた映像の迫力もさることながら、ファプタ役・久野美咲の演技は真に入るすさまじいものだった。

アニメファンの間では、久野の十八番は小さな女の子役で知られている。冒頭、レグにじゃれつくファプタの可愛さがそんな久野の演技にマッチしたものだっただけに、後半、腹の底から復讐を吐き出すファプタの声は落差がすさまじい。第7話ではイルミューイの慟哭を、今話では沸き上がる怒りを表現し、“声の俳優”と言われる声優のすごさを改めて実感させてくれるシーンと言えただろう。

久野自身もキャラクターが声に宿るような感覚にあったようで、放送後には自身のTwitterで、「ファプタの最後の口上のシーンは、怒りを通り越している感情だったので、表現するのがとても難しかったです。ファプタの気持ちになったら自分でもビックリするくらい低い音が出ました…」と、当時のアフレコのことを振り返っている。

目覚めたナナチ。原作を広げるアニメの演出

ラストではベラフの下で夢に捕らわれていたナナチが目を覚ます。ナナチが見ていた夢は、誰のものとは分からない記憶のようなものだった。まるで自分とミーティを見るような2人。ようやく見つけた2人の宝物。これはベラフが見せたものなのか。特に印象的だったのは、このときに流れた安らぎのある歌だった。エンディングロールでは「べラフの子守歌」とクレジットされている。実は原作を開くと、このシーンにはコマの所々に小さな吹き出しがあり、判別のできない何かが書いてある。今回の放送を観るまでこれがベラフの歌だと気付けなかったが、原作を補完するのではなく、このように新たに世界を広げてくれる演出になっているのが本作アニメ化の素晴らしいところだ。

「目覚めの時きた。ナナチ、きたのだ。ここから先は夢ではない」と、まるでナナチを再び冒険に後押しするように目覚めさせたベラフ。彼の真意はどこにあるのか。次回第10話は「拾うものすべて」。これまで予告イラストに描かれたキャラクターは内容とリンクしてきた。地獄の連鎖が続いていたが、次回は夢から覚めたナナチの復活が期待できそうだ。

■文/鈴木康道