ベリングキャット デジタルハンター、国家の嘘を暴く
『ベリングキャット デジタルハンター、国家の嘘を暴く』(エリオット・ヒギンズ/筑摩書房)
 ミステリの用語に「安楽椅子探偵」という言葉がある。現場に出向かずに、証言者や助手などの報告から自室で推理して謎を解く探偵の物語から名付けられたミステリのジャンルである。  そして現実に世界中の事件事故の真相を、自宅に居ながらにして暴いてしまう組織が存在する。証言や助手の報告からではなく、インターネットのオープンな情報によって。  エリオット・ヒギンズ氏の『ベリングキャット デジタルハンター、国家の嘘を暴く』(筑摩書房)は、戦争犯罪から迷い犬の飼い主探しまで、安楽椅子探偵のごとくインターネットのソーシャルメディアやオープンソースから情報を収集し、事の真相にたどり着いてきた調査組織「ベリングキャット」の設立とその活動を創設者である著者自身が語った一冊だ。
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「ベリングキャット」は、シリアの独裁者アサドが自国民に対して化学兵器を使用した証拠を発見し、ロシア政府が関与した英国の暗殺事件の犯人を突き止め、ウクライナ東部上空で乗員乗客298名が乗った〈マレーシア航空17便〉を撃墜した黒幕を暴いたことで世界にその名を知られることになった。もちろんそれらの証拠すべてがインターネットのオープンソースがもととなっている。  例えばシリアのアサドが使用した化学兵器については、反政府組織の支配地域であるダマスカスに着弾したミサイルを撮った現地の人々の動画や写真から再構成して、ミサイルの角度からどの方角から発射されたミサイルだったのかを推測し、アサドの政府軍の基地があった場所から発射されたことを突き止めた。  またマレーシア航空17便の撃墜事件では、2014年当時ウクライナ東部ドンバス地域で親ロシア派とウクライナによる武力紛争が起こっていた中で、ウクライナ、親ロシア派の双方が旅客機を撃墜したのは相手側と主張していた。ベリングキャットはマレーシア航空17便を撃墜したのが親ロシア派であることを突き止めるだけでなく、ミサイルを発射した兵器、それが所属していたロシア軍の部隊名、そして発射を命じた将校までを特定する。  果たしてマレーシア航空17便を撃墜したのは親ロシア派とその黒幕のロシアであったことが白日の下に晒されることになった。  とくにロシアは情報操作と対外プロパガンダにより「情報戦争」を数年前から積極的に行っていたために、「ベリングキャット」にとって最大の敵であるかのように本書にはたびたび立ちはだかる。  中でもロシアの情報戦争の戦術は、第一に都合の悪いことを徹底して「否定」し、第二に原形をとどめないほど事実をネジ曲げでっちあげ「歪曲」する。第三に非難されたら「そっちはどうなんだ」と非難に非難で応酬し「目眩まし」を行い、そしてクレムリンの筋書きにしつこく反論すると「重大な影響が及ぶ」と脅して黙らせるという。  これはまさに現在のウクライナに侵攻したロシア、そしてプーチンが行っていることと重なるのではないだろうか。  また、ソーシャルメディアにまん延する陰謀論や人種差別主義、ヘイトなど過激な事実歪曲を発信する首謀者なき捏造キャンペーン、そしてそれらを取り上げる非主流メディアを著者は「反・事実コミュニティ」と呼び、正しい情報を公開することでベリングキャットがこれら偽情報からの「防火壁(ファイアーウォール)」となっていると語る。 “情報”が真実か偽物かといった渾沌の世界に突入している現代において、それらをオープンソースから徹底的に調査検証し真実を突き止めるベリングキャットの手法は、国家や権力による嘘を暴く武器を市民が遂に手に入れたことを証明し、またとても頼もしい存在と映る。しかしその“武器”もまた、使用する側の立場や考えにより、正義にも悪にもなることは頭の片隅に置いておくべきだろう。  常時行われていると言っても過言ではない現代の「情報戦争」の闘いを知る上でもおススメしたい一冊。 文=すずきたけし