私たちがPCやインターネット上で記事や書類を見るときに使用している文書フォーマット「PDF」。これはPortable Document Formatの略称で、アメリカのアドビ システムズ社(現アドビ社。以下、アドビ)が開発した電子文書のファイル形式だ。文書を紙に印刷したときと同じレイアウトで保存でき、PCやスマートフォンといったデバイスや、WindowsやmacOSといったオペレーションシステムなど、どのような環境で開いても同一に表示することができる。

そんなPDFは、2023年で誕生30周年を迎える。今でこそPCやスマートフォンを使う人であればおなじみの文書フォーマットだが、PDFが発表された1993年当時はまだまだインターネットやウェブサービスが普及していなかったことや、最先端の技術だったためにコンテンツが出回っておらず、利用する人が少なかったなどの理由で、世に広めるのにさまざまな壁があったのだとか。

今回は、PDFの誕生秘話や開発の意図、そしてこれからのPDFの進む未来の姿について、アドビのマーケティング本部、立川太郎さんにインタビューを行った。

今回お話を聞いたアドビ株式会社 マーケティング本部の立川太郎さん
今回お話を聞いたアドビ株式会社 マーケティング本部の立川太郎さん【撮影=福井求】


「人々の働き方を変えたかった」PDF誕生秘話

PDFはアドビ創業者のジョン・ワーノックとチャールズ・ゲシキという2人の技術者が開発したフォーマットだ。実は、PDFには前身となった技術がある。それが、彼らが1984年に開発したPostScript(R)(ポストスクリプト)というページ記述言語だ。

「この言語が開発された当時は、ちょうどレーザープリンターが開発された時代でした。それ以前のプリンターは出力されるテキストや画像はギザギザで、PCでの見た目と違うものが出てきたりといった問題が当たり前の時代だったんですね。そこで、あらゆるプリンターできれいに文字や画像が印刷できる方法として開発されたのがPostScriptでした」

【写真】アドビ共同創業者のジョン・ワーノック(右)とチャールズ・ゲシキ(左)。ゼロックス社に在籍していた2人は、ゼロックス社が出し渋っていたInterpress(PostScriptの前身となる記述言語)を世に出すため、会社を飛び出して独立し、アドビを立ち上げた
【写真】アドビ共同創業者のジョン・ワーノック(右)とチャールズ・ゲシキ(左)。ゼロックス社に在籍していた2人は、ゼロックス社が出し渋っていたInterpress(PostScriptの前身となる記述言語)を世に出すため、会社を飛び出して独立し、アドビを立ち上げた【提供=アドビ】


PostScriptの具体的な特徴は、テキストや画像を数学的に表現できる言語であること。そのため、プリンターの解像度の高低にかかわらず、高いクオリティで画像やテキストが印刷できるようになり、その後のデスクトップ・パブリッシングの普及に大きな役割を果たした。

しかし、PostScriptによって見た目どおりの印刷物が出せるようになったものの、WindowsやMacといった異なるオペレーティングシステムの間で電子文書が確実に交換ができないという問題があった。そこで、この問題を解決すべく、1991年にジョン・ワーノックとチャールズ・ゲシキの2人は、どんなデバイスやオペレーティングシステムで文書を開いても、作成時の見た目のまま表示・印刷できるフォーマット、「PDF」の開発を行うことになった。

「このプロジェクトは『The Camelot Project』と呼ばれています。ジョン・ワーノックは『ドキュメントは、いかなるディスプレイでも閲覧でき、最新のプリンターであれば機器の種類を問わず印刷できるべきである。この問題を解決できれば、人々の働き方は根本から変わるだろう。』という言葉を残しています。彼はこのころから社会を変えたいという技術者としての欲望があり、まさにそれを実現したのがPDFでした」

The Camelot Projectと名付けられたPDFの設計思想を書いたメモ
The Camelot Projectと名付けられたPDFの設計思想を書いたメモ【提供=アドビ】


アドビが目指したのは「PDFのインフラ化」

PDFそのものの開発は成功したものの、発表当初は世の中への頒布にかなり苦戦したそうだ。1993年にこのAdobe Acrobat 1.0という最初のバージョンがリリースされたが、これまでにない新しいフォーマットだったこと、そして当時は文書を読むための「Acrobat Reader」というアプリを有料で販売していたのが原因だった。

「新しいフォーマットだったために当時はコンテンツが世の中に全く出回っておらず、何のためにAcrobat Readerを買わなければいけないのかが理解されなかったそうです。そのため、最初はとても苦労したというふうに聞いています。このような事態を解決するために、翌年の1994年にAdobe Acrobat 2.0を発表した際、Acrobat Readerを無償で配布するようになりました」

1993年発売当初の「Adobe Acrobat 1.0」
1993年発売当初の「Adobe Acrobat 1.0」【提供=アドビ】


無料配布を行った結果、次第にPDFが広まっていったという。特に、文書をどのような環境でも閲覧できるという特徴から、出版業界をはじめとした文書を扱う業界で重宝されるようになった。これまでは編集や校正業務のために印刷物を郵送する必要があったが、次第にその作業がPDFで行われるようになっていき、それに伴いフォーマットが世に広まっていった。

「ほかにもウェブの普及という要因があります。プレスリリースやIR情報など外部に発信する情報をウェブで公開したい企業にとっては、内容が容易に改ざんできないPDFを使うメリットは大きかったです。また、ウェブサイトからAcrobat Readerがダウンロードできるようになったことで、配布数が一気に拡大しました」

そして、もうひとつの要因がPDFの国際規格化だ。それまでPDFのプロパティはアドビが所有していたが、2008年にPDFの仕様書を標準化団体に譲渡することに。そして国際標準化機構(ISO)の規格承認を受けて国際規格(ISO 32000-1)となり、その技術が広く活用されることで、現在では世界中で最も信頼できるファイルフォーマットのひとつとして普及することになった。

「国際規格となったことで、インフラとしてのPDFの役割はどんどん増していったと思います。会社としては収益を上げることが大事なのは確かですが、根底には『社会にインパクトを残したいんだ』という創業者の想いがあるように感じますね。アドビがより便利な社会を実現するために、どういうことができるんだろうという視点で考えた結果としての行動だと思います」

アドビ ドキュメント クラウドの歴史
アドビ ドキュメント クラウドの歴史【提供=アドビ】


文書コンテンツのさらなる進化!PDFの目指す未来

今や文書フォーマット=PDFと認識されるようになり、誰もが気軽にさまざまな文書にアクセスしたり、配布したりできるようになった。現在では3兆を超えるPDF文書が存在するほどに普及しているが、そのほとんどが保存されてそのままの状態になっているのだとか。このような状況に対し、立川さんは「PDFは文書の死に場所ではない」と話す。

「PDFといえば最終フォーマットであり、『PDFにしたら保管して終わり』というイメージがあると思います。ですが、蓄積された大切な情報資産をどう活用していくかが、今後は重要になってきます。たとえば、企業が保有しているPDFのデータを抽出して、社内で有効活用するといったケースも実際に出てきているので、そういった動きは増えてくると思います」

「今後もPDFをよろしくおねがいします!」と立川さん
「今後もPDFをよろしくおねがいします!」と立川さん【撮影=福井求】


また、近年ではペーパーレス化やリモートワークの普及に伴い、Acrobatでの電子契約の利用が高まっているそうだ。ほかにもPDF内の文書を直接編集したり、申し込みフォームを作成してそのまま記入してもらったりなど、「読む」だけにとどまらない動的なフォーマットとして使われることが増えてきているのだという。PDFは文書の最終地点ではなく、今や新たな出発点としても利用されている。

「これから先、さまざまなデバイスが出てくると思いますが、どのような環境でもレイアウト崩れせずに表示させられるという思想は残り続けると思います。一方で、スマートフォンなど小さな画面ではやはり見づらいときがあります。そのような際に見出しを大きくしたり、レイアウトを変えて見やすくできるような機能を一部言語でサポートしています。変わるところと変わらないところ、そのあたりを柔軟にしていくことで、情報の共有がより自由になっていくと思います」

「また、PDFはテキストやタイムスタンプなど、それぞれのデータが異なったレイヤーに格納されてひとつのコンテナとしてまとまっているという構造です。規格に則って作られているPDFであればAcrobat Readerで100年後も閲覧が可能です。ですが、一方で規格を遵守していない廉価なPDF作成ソフトで作られたPDFも出回っていて、レイアウト崩れが起こったり閲覧不可能になったりという問題も起こっています。そのため、規格に則ったPDFを使うことは非常に重要です」

PDFの構造についての図。情報がレイヤー構造になっている。このPDFの規格が遵守されていないとレイアウト崩れなどの問題が起こるのだとか
PDFの構造についての図。情報がレイヤー構造になっている。このPDFの規格が遵守されていないとレイアウト崩れなどの問題が起こるのだとか【提供=アドビ】


1993年に誕生して、今年30周年を迎えたPDF。このフォーマット開発の裏には、30年後のペーパーレスの時代を予見したアドビ創業者の先見の明があった。私たちの文書の使い方や働き方を紙ベースから電子ベースに変えたPDF。今後もAcrobatの新機能によって、今までの常識を一変させてしまうかもしれない。PDFにはそんな無限の可能性が秘められている。

この記事のひときわ#やくにたつ
・プロダクトは働き方を変える力を持つ
・問題の解決がヒット商品を生み出すヒントに
・標準化や規格化も頒布の方法のひとつ

取材・文=福井求(にげば企画)