ピエトロドレッシングが累計出荷本数3億本を突破!一軒のレストランからスタートした福岡の会社が全国のファンに愛され続ける理由

東京ウォーカー(全国版)

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1980年の創業から43年、“野菜嫌いがなおる魔法のドレッシング”として、全国の人に愛されているピエトロドレッシング。その原点でもある定番フレーバーの『ピエトロドレッシング 和風しょうゆ』が、今年(2023年)5月に累計出荷本数3億本を突破した。もともと福岡の一軒のレストランで提供していたドレッシングが、全国の人に長く愛され続ける商品となった理由と会社の魅力について、株式会社ピエトロの広報室長・松田詩織さんに話を伺った。熱心なファンの心をがっちりつかむ、ピエトロの魅力とは!?

株式会社ピエトロ 広報室長 松田詩織さん【撮影=樋口涼】


『ピエトロドレッシング 和風しょうゆ』、3億本突破!感謝の願いを叶える『ありがとうチャレンジ』を実施

ーー看板商品『ピエトロドレッシング 和風しょうゆ』の累計出荷本数3億本突破、おめでとうございます。ユーザーの反響や社内での反応はいかがでしたか?
【松田詩織】ありがとうございます。「こんなに使っていただいていたんだ」ってあらためて驚きましたし、すごくうれしい気持ちになりました。これまでに1億、2億本の通過地点もあったはずなんですけど、実は、今までしっかり数えたことがなかったんです。ある日「そういえば、ピエトロドレッシング 和風しょうゆって看板商品だけど、何本ぐらい売っているんだろうね?」という疑問の声が出て、数えてみたら「あれ?3億本がまもなくじゃない?」って気づいたんです(笑)。それが、去年(2022年)のことだったんですよ。

ーー数えていなかったんですね(笑)。
【松田詩織】弊社は、業務用を作っていないので、純粋に家庭用商品だけで3億本ということは、それだけお客様と接点があった証しなんですよね。「おめでとう」とか「これからも応援し続けるよ」という、たくさんの応援の言葉をいただいたので、社員一同「よし頑張るぞ!」という気持ちでいます。そうやって応援してくださるお客様に、これからも物語を伝えられるようにしていきたいです。

ーーそれにしてもインパクトが強い数だと思いました。2022年12月にスタートした『ありがとうチャレンジ』についても教えてください。
【松田詩織】『ありがとうチャレンジ』は、ピエトロおじさんに“叶えてほしい願い”を募集して、その中から3つの願いを叶えるという企画です。3億本の突破を目前にして「こういうことができたらいいよね」と話していて、昨年の夏ぐらいに準備を始めました。私たちとしては、やっぱり「ピエトロにまつわる願いを叶えたい」と考えていましたが、裏では、「ピエトロに叶えてほしい願いってあるのかな?」と思ったり、実際にご応募があるかどうか不安になったりもしました。でも蓋を開けてみると、多くのお客様からピエトロおじさんに対するお願いが届いたんです。

ーー叶えることが決まっている願いはありますか?
【松田詩織】叶えさせていただく『ありがとうチャレンジ』の第1弾は、「ピエトロのドレッシングがとてもおいしいです。だからそのおいしさの秘密を知るために工場見学がしたい」という願いを叶えることにしました。これは、本当にピエトロに興味をお持ちくださっているのがわかる、ありがたい願いのひとつでした。そこで、2023年8月26日(土)に『ピエトロ工場見学ツアー』を開催します(※応募は7月26日で終了)。福岡県古賀(こが)市にあるピエトロの工場に6組12名をお招きし、解説付きのドレッシング製造工程見学やタマネギカット体験、サラダスパゲティの試食会などを行う予定です。

【松田詩織】動画配信で一部をお見せしていましたが、実は工場は、最近までメディアの方をはじめ、社外の方は基本的に入れない場所でした。もともと異物混入などトラブルを防ぐため、創業者の村田(邦彦)が厳しく制限していたという経緯があり、さらにコロナ禍もあったため、社員ですらなかなか入れない場所でした。今回、一般の方が工場に入るということが初めての試みなんですよ。経営陣に「これだけのお客様から『見たい』と言っていただいている」と掛け合い、なんとか実現することができました。

ーー熱烈なピエトロファンの方が多いですね。
【松田詩織】他企業さんにも、ファンの方がいらっしゃると思うんですけど、ちょっと違うのは、やっぱり一軒のレストランから始まっているということですね。単純な商品のファンという方だけでなく、お店にご家族や大切な人との思い出があるファンの方が多いんです。例えば、初デートがピエトロで、その後ご結婚されて子どもも大きくなって…というお話はよく伺います。もしかしたら、そういったストーリーが、ほかの企業さんとは少し違うところなのかなと思っています。

【松田詩織】それから、2020年の創業40周年のタイミングで、口を閉じていたり目を開いていたり、ピエトロおじさんにも多くのバリエーションが誕生していて「かわいい!」という声もたくさんいただいています。ピエトロおじさんにまつわるお願いもかなり多かったことも印象的でしたね。「ピエトロおじさんに会いたい」とか「一緒に写真を撮りたい」とか、「ピエトロおじさんのグッズが欲しい」というお願いもありました。そういったお願いを見て、「ピエトロおじさんってそんなに人気だったんだ」って、あらためて思いました。

【松田詩織】さらにいうと、お願いだけじゃなく、ピエトロへの応援メッセージであったり、ピエトロの思い出とか、そういったことを書いてくださったお客様がたくさんいらっしゃって、「これは本当に私たちの財産だな」と実感しました。今後につながるお声も得られたので、とてもありがたいと思っています。

一軒のレストランから始まったピエトロのおいしさの秘密。手間暇をかけた味わいへのこだわり

ーー一軒のレストランから始まった株式会社ピエトロ、その歩みや事業展開について教えていただけますか?
【松田詩織】1980年12月に福岡市天神にできた一軒のパスタレストランが始まりです。当時のスパゲティは、温め直した茹で置きのソフト麺にソースをかけたミートソースか、ナポリタンが主流で、福岡にはアルデンテのパスタがまだほとんどなかったそうなんです。そんな時代背景もあり、創業者の村田が「東京のスパゲティ専門店『壁の穴』で食した、茹でたてのアルデンテのパスタを楽しんでほしい」と考え、『洋麺屋ピエトロ』という36席しかない小さなお店をスタートさせました。当初、“炊きたてのご飯に合うものは、茹でたてのパスタにも合う”というコンセプトのもと、高菜や明太子などを使った和と洋を融合させたメニューを考案したんです。今では当たり前ですが、当時はそうしたメニューが画期的でした。

【写真】ピエトロは1980年福岡の天神にオープンした『洋麺屋ピエトロ』からスタートした


【松田詩織】ドレッシングに関しては、当時の福岡では麺類はうどんやラーメンなど、すぐ出てくるのが当たり前という文化だったので、「博多もんは待てんやろ」と、スパゲティの提供を待っていただく間にサラダを出したことが始まりです。そして、「日本人の味覚に合うようなドレッシングをかけてサラダを出せないか?」と模索していたそうです。そんななか、酸っぱいドレッシングが苦手だった村田が、醤油と少々のレモンを絞って生野菜を食べていたのをヒントにオレンジ色のキャップの『ピエトロドレッシング 和風しょうゆ』が誕生しました。

懐かしのピエトロドレッシング


ーーすごい。博多の人のせっかちさが、ある意味、きっかけになったんですね。
【松田詩織】前菜でサラダを出すっていうこと自体も、まだ珍しかったと思います。付け合わせでちょこっとサラダがのっているぐらいの感じだったそうです。ドレッシングを販売するようになったきっかけは、あるお客様が「ピエトロのドレッシングだと、野菜嫌いの家族がサラダを食べるので分けてほしい」と尋ねてきたので、煮沸消毒したワインボトルに入れて「400円くらいですかね」とお代をいただいてお渡ししたんです。そうしたら「購入できるらしいわよ」と、その後も同じように買いにくる方がいらっしゃいました。当時は、酸味の強いドレッシングが多かったようで、女性はそうでもなかったようですが、サラダを習慣的に食べる男性やお子さんは少なかったようなんです。家庭で家族に野菜を食べてほしいというお母さんの悩みもあり、広まっていったというのも理由のひとつのようです。本当にいろいろなことが珍しかったみたいで、口コミでピエトロのことを広めていただきました。

【松田詩織】そして、創業から半年後の1981年に、レストランでドレッシングの販売を始めました。1983年からは百貨店でも取り扱いしていただくことになりました。当初は、地域一番店に置きたいという創業者の強い想いがあったので、自社レストランと百貨店のみで販売していたんです。

ーー百貨店には、商品を一緒にブランディングしていく強みがありますよね。
【松田詩織】そうですね。今で言う最初のバズりも、日本橋三越本店さんに置いていただくようになってから、販促部の方から「テレフォンショッピングに出ませんか?」とお声がけいただいて。福岡でもまだ知名度が高くはなかったので、どのくらい売れるか予想もつかなかったけれど、周りからは「10本入が100ケース、1000本もいけば御の字だよ」と言われていたなか、その約10倍の940ケース、9400本の注文が入ったらしく、寝ずに仕込み続けたというエピソードが残っています(笑)。福岡土産としてのシェアも次第に確立していき、CAさんやビジネスマンの方がお土産として購入されるようになりました。

【松田詩織】ただ、そうして認知されるようになったのですが、そのうち模倣品が出回るようになってしまったんです。何も知らない方に「これがピエトロと同じものか」と思われてしまう可能性もありました。そこで少しずつ戦略を変えていき、1995年から量販店での販売も始め、大きくシェアを伸ばしたという感じです。

ーー大ヒット商品に歴史ありですね。
【松田詩織】紆余曲折あったようですが、やっぱり、その都度その都度、村田が判断をしてくれて今にいたっています。我々の事業を説明させていただくと、大きく5本の柱があります。レストランとドレッシング、パスタソース。それから、冷凍食品とスープ、この5つの軸で事業を展開しています。例えばパスタソースの場合ですと、レストランにいらっしゃっていたお客様が転勤になり、「転勤先にレストランがないけど、またピエトロのパスタが食べたい」という声をたくさんいただいたので、レトルトのパスタソースを開発しました。スープも『PIETRO A DAY』としてブランド化されています。パスタソースもスープも、直火で手作りの工程を大切に作っています。これは、きっとレストラン発祥のピエトロだからこそできると思っています。

【松田詩織】本当に手間がかかっていて、工場なのに、包丁もあれば火もあるんです。ですから、私たちは「大きな厨房」と呼んでいて、給食センターのような雰囲気なんです。そして、製造するメンバーには、実際にレストランで腕を振るっていた元シェフがいるので、彼らを「シェフ」と呼び、工程表のことを「レシピ」と呼んでいます。そんな工場には大きな寸胴鍋があり、シェフが鍋をかき混ぜながら香りを嗅ぎつつ、味見をして商品を作っています。レシピとしては「何分後にコレとアレを入れる」と決まっていますが、素材も年間を通して日々変化していますし、最終的には彼らの五感を使った判断も大切にしています。こういう部分も他企業さんと違う部分かもしれませんね。

“大きな厨房”と呼ばれるピエトロドレッシングの製造工場には、1つで280mlが180本しか作れない寸胴鍋が並ぶ


【松田詩織】開発のメンバーには管理栄養士の資格を持っている社員もいますし、ここにも元シェフがたくさんいるんですよ。そういった人たちに教えてもらいながら、シェフの経験がない人たちも開発に携わっています。工業製品的に、原料を数値化して掛け合わせるのではなく、レストランや家庭で実際に調理するように作り、それを工場で少し大きな規模で作るならどうしたらいいか?と、段階を追ってレシピ作りをしています。このあたりもピエトロ独自なのかもしれませんね。

ーー効率よりも質を重視。この手間暇をかけることへの想いはどういった考えから生まれたものですか?
【松田詩織】ピエトロのルーツは一軒のレストランにあり、レストランのおいしさをご家庭に届けるという想いから始まっています。会社には “「おいしさ」と「健康」を追い続けます”という、レストランで培ってきた味わいやおいしさを守り続ける経営基本方針があるんです。ですから、手間暇かけて工場で製造することに対し、「いや、絶対に効率重視すべだ」といった反発は、少なくとも私が知る限り、ありません。創業者をはじめ諸先輩方が守ってきてくれたもの、お客様が支持してくださったものを守ること、それが会社全体で何よりも大事にしているところなので、製造する人たちは本当に大変だと思います。

【松田詩織】ドレッシングに使われるタマネギひとつとっても、ものすごいこだわりがあります。皮剥きからカットまで1個1個手作業で行っているんですよ。まず第三工場で皮を剥いて第一工場に運ばれます。そして、流れてくる皮が剥かれたタマネギを手に取り、頭とお尻をカットして半分に割り、1個1個鮮度を目で確認しています。タマネギは切った瞬間からどんどん風味が飛んでしまうので、新鮮なものを使うとなるとそのタイミングでカットするしか方法がないんです。そのため、タマネギを切り始めてボトルに詰められるまで、わずか15分しかかからないんです。

ドレッシングに使われるタマネギは、皮剥きからカットまで1個1個、人の手で仕込まれている【画像=カウテレビジョン提供】


ーーそう聞くと、より大切に使いたくなりますね。
【松田詩織】私たち社員やパートナーさんの愛情がこもっているので、たくさん使ってください!弊社では、パートさんのことを「パートナーさん」と呼んでいるのですが、「“おいしくなれ”って思いながら切っている」と、以前お話を伺ったときに語ってくれました。自分が切ったタマネギがドレッシングになり、お客様のもとへ届いていることを常に意識しながら作ってくださっているんです。そういう想いやこだわりをタマネギに込めながら、15分という短時間で作っているんです。

【松田詩織】そんなこだわりのドレッシングは、生タイプなので賞味期限が短いんです。加熱処理をすると賞味期限は延びますが、風味が飛んでしまいます。ピエトロとしては、味を守るために生タイプじゃないとダメですし、今の作り方じゃないといけない。効率は悪いですが、味を守りながら頑張って作っています。

ビシソワーズ作りを手伝った際に、その大変さを実感したという松田さん【撮影=樋口涼】


【松田詩織】それから、私の実体験として驚いたことがあります。国産ジャガイモを使用したヴィシソワーズを販売しているのですが、ミキサーで細かくしたあと、口当たりをよくするために手作業でザルを使い濾しているんです。お手伝いしたときに、めちゃくちゃ腰が痛くなったんですよ(苦笑)。でも、おいしさのためにそれだけ手間暇を惜しまないんですよね。ビシソワーズはほかのメーカーさんも発売されていますし、おいしいものはたくさんあるはずです。でも、ピエトロのビシソワーズをなぜ選んで買ってくださるのかというと、やっぱり滑らかな口当たりや味わいが違うんだと思うんです。「もしかしたら、ほかの類似商品にはない部分だから支持されているのかも」と思うと、やっぱり味の妥協はできないですし、お客様をがっかりさせたくないから、効率よりもおいしさを選んでいるわけです。“おいしいものじゃないと、絶対に出さない”という姿勢は、創業43年目になった今も守り続けていることですし、創業者が亡くなってからも、みんな、そこだけは絶対ブレさせないですね。

お客様とファンとのつながりを大切に、絆を深めるピエトロの想いとは?

ーー3億本を突破後に『100万人へおいしさ届けるプロジェクト』をスタートされましたが、これはどういったプロジェクトでしょうか?
【松田詩織】プロジェクト発足の背景としては、3億本突破を経て、あらためてお客様に感謝の気持ちを伝えたいという想いがあります。3億本突破までにいろいろな企画を催し、お客様にピエトロとの思い出を書いてもらう企画も行っていました。そのなかに「ピエトロドレッシングで子どもの野菜嫌いが治った」という声がたくさんあったんです。

『100万人へおいしさ届けるプロジェクト』は、使い切りサイズの『ピエトロドレッシング 和風しょうゆ』(15ml)を、100万人へお届けして野菜嫌いをなくすプロジェクト


【松田詩織】これまでも取り組んできた活動である“野菜嫌いをナオソ。”をスローガンに、野菜嫌いを治すことを目的とした『100万人へおいしさ届けるプロジェクト』を発足させました。その一環として、野菜がちょっと苦手な方においしく野菜を食べてもらうため、15ミリリットルのお試しサイズですが、『ピエトロドレッシング 和風しょうゆ』を100万人の方にお渡ししています。

【松田詩織】創業当時の「ピエトロドレッシングだと野菜が食べられた」という経験を思い返しながら、それをさらに広めたいという想いもあり、現社長の高橋(泰行)も「大きな夢だけど、ピエトロが日本中の野菜嫌いをなくすんだ」とよく言っています。「それぐらいのことがピエトロにはできると思っているから、それをみんなで目指してやっていきたい」という話をしていて、その実現のためのひとつの施策として、プロジェクトを発足させました。今後は小学校や幼稚園などでも実施できるといいなという考えがあり、まだ未確定の部分も多いですが、そういったところでお渡ししながら、大人の方はもちろん、お子様をメインに、積極的に野菜を食べられる体験をしていただけるような活動をしています。「これは私たちの使命だ」とあらためて感じています。

食育イベント(料理教室)を通じ子どもの野菜嫌いを解消


ーー貴社の公式サイトを拝見すると、ファンコミュニティなどユーザーの方との触れ合いやコミュニケーションをとても大切にしている印象を受けました。企業としてユーザーの方への想いについても教えてください。
【松田詩織】弊社では、実はお客様とピエトロファンの方を少し分けて考えています。まずお客様は、ピエトロの商品を購入していただいている方、レストランを利用されている方のことを指しています。一軒のレストランから始まっているので、「目の前のお客様にいかに喜んでいただくか?」を追求してきました。これが会社の軸になっています。高橋が商品について「工業製品とは思っていない。私たちは料理をしている」とよく言うのですが、私たちも「商品一つひとつがお客様を笑顔にするんだ」という気持ちでやっているので、そういうところは全員がブレずにやっています。

【松田詩織】もう一方のファンの方は、佐藤尚之さんが提唱されている「ファンベース」という考えを軸に、ピエトロのことが大好きで、どんなときでも応援してくださる方と定義しています。もともと経営陣は、このファンベースという考え方を知っていたそうで、私自身もファンサイトを運営されているある会社の方からご提案いただいていたのですが、創業者の村田がかつて同じようなことを話していたので、「ピエトロにぴったり」だと思ったんです。会社のメンバーに「こういうサイトがあるらしい」と伝えると、みんなが乗り気になってくれて、そして経営陣にこの話をしたところ、「それ、いいと思っていたんだよね」と、意見が一致したんです。そこから、ファンサイトを作り、ファンを大切にする仕組みづくりを明確にしようと、急速に話が進みました。2020年4月に、ファンとのつながりを深めるファンコミュニケーション室という部署が誕生し、そこでファンサイトを運営し、ファンを集めてファンミーティングを開催しています。

『ピエトロ ファンコミュニティ』は、ピエトロの“好き”を共有できるピエトロのファンサイト

ファンミーティングでの集合写真


【松田詩織】ファンの方のファン度を高め、ピエトロファンを増やし、ファンの方との交流を本気で深めていくなかで、ファンの方が本当にピエトロを応援してくれていることを実感します。誰よりもピエトロのことが大好きで、応援してくださっていて、社員である我々に近いような愛情を持ってくださっているんです。なかには私たちよりもピエトロの歴史をよく知っている方もいて、熱量が本当に高いんです。そういうファンの方とのつながりを持つことで、一緒にピエトロを作り育てていくようなことができたらいいなと考えて活動しています。

ーー2022年5月には『PIETRO VISION』を公開されました。こちらについても教えていただけますか?
【松田詩織】お客様と社会、そして働く私たち、みんながしあわせにつながることが、ピエトロが目指す未来像になっていて、それを実現するために作ったものが『PIETRO VISION』です。この『PIETRO VISION MAP』を作成するにあたっても、創業者の言葉が生かされているんです。弊社には、村田の言葉をつづった『ピエトロ スピリッツ』という、“村田語録”のような冊子があって、最新版には共同創業者で現会長の西川(啓子)の言葉も記されています。村田が残してくれた言葉を、私たちは今も大切にしています。

『ピエトロ スピリッツ』を手に、村田氏の言葉を紹介してくれる松田さん【撮影=樋口涼】

『PIETRO VISION MAP』には、ピエトロで働く人たち全員の「こうなりたい」「こんな未来にしたい」という想いのつながりや関係性が描かれている


ーー先ほどの話にもあった、ファンベースとも考え方が近しいですね。
【松田詩織】そうなんですよ。1周回って、今の私たちに響く言葉ばかりなんです。そして、“おいしい”へのこだわりも、あらためて「深いな」って思います。やっぱりそれは、目の前のお客さんに「おいしい」と言われたことが村田にとって宝物であり、世界中でそう言われたいという気持ちがあったからこそ、味作りをブレさせないというルーツにつながっているのだと思います。村田の「仕事も遊びも一生懸命」という言葉は、私の座右の銘にもなっているんです。この言葉は、すごく今の時代に当てはまる言葉ですよね。時代の先を行く人だったな、とあらためて感じています。村田は趣味もプロレベルだったので、それが仕事にも生きていたんですね。

ピエトロ創業者の村田邦彦氏【画像=カウテレビジョン提供】


【松田詩織】創業40周年をきっかけに、同年代ごとにメンバーが分かれ、“未来のなりたい姿”というテーマで「10年後の2030年にどうなっていたいか?」を考えるグループワークを実施したんです。コロナ中もリモートを活用して何十回と話し合う機会を設けてもらい、「ああなりたい。こうなりたい」と議論しました。そこで出てきた2175個の想いを88個に絞ったところ、「お客様のしあわせ」「社会のしあわせ」「働く私たちのしあわせ」の関係性が見えたので、それをMAPで表現しました。どの企業さんも、ビジョンやパーパス(目的・意図、存在意義)を持っていると思いますが、ピエトロのビジョンは、みんなで作ったものなんです。社長の高橋も「新入社員やパートナーさんが一目見ただけでもわかるような言葉で書いてある。かっこいい言葉ではないかもしれないけど、みんなで作ったということが何より誇らしい」と言っています。自分たちのことを自分事として考えられたことは、すごく大きな収穫となっています。

ピエトロが目指す、しあわせをつなぐ未来へ

ーー最後に、ピエトロが目指す今後について教えてください。
【松田詩織】しあわせつながる会社になることが、今後、目指す姿です。もう、この一言がすべてかなと思っています。「三方良し」ってよく言いますよね。私たちも「お客様と社会のしあわせがあって、私たちもしあわせであること。そして、私たちがしあわせじゃないと、お客様も社会もしあわせにできない」と考えています。みんながそれぞれしあわせになって、それをピエトロがつなげていけたらいいなって思っています。

【松田詩織】高橋も以前は“しあわせ”という言葉は、世代的にも、恥ずかしくて口に出しづらかったそうです。でも、「みんなが考えてくれたことがきっかけで、しあわせについてさらに真剣に考えるようになったし、自分で言葉として表現するようになった」と言っています。「ピエトロで働いている人たち、そしてその周りの人たちがしあわせになれば、しあわせってどんどん派生していく。もちろんお客様のこともしあわせにして、そのお客様がまたつながっていけば、みんながしあわせになる」、「もう日本中みんなしあわせになるよね。もっといけば世界中しあわせになれる」って、まじめに考えています。日本の幸せ度数の数値はもともと低いそうですが、最近さらに低くなったんですね。それを知った高橋が「どんどんつながっていけば、みんなしあわせになっていくと思うんだ。きれいごとかもしれないけど、でもそれが、ピエトロにはできるんじゃないかと考えている」って、そう言ったんです。経営者が心からそう思っていて、それを社員に言ってくれるだけで、既にしあわせなことだなって思ったんです。

創業者の想いを胸に、跡を継いだ経営陣たちが社員と一丸となって未来へレールをつなげている【撮影=樋口涼】


【松田詩織】やっぱり、みんな村田に惚れ込んでついてきたので、村田が亡くなったときは「どうなるんだろう?」っていう不安もありました。ですから、『ピエトロ スピリッツ』はすごく大切な指針になっています。

【松田詩織】村田の意思を引き継ぎいだ現経営陣の3人は、新しいことにたくさんチャレンジをさせてくれます。3人だけで決めることもできるはずですが、そうじゃないんですよね。以前、高橋が「村田社長は機関車みたいな人だった。村田社長の車輪でみんなが動いていた感じだったけど、僕には正直そういうことはできない。でも、みんなの力を引き出すことはできると思っているから、みんなでピエトロを一緒に作っていきたい」という話をしてくれていて、よく「新幹線」に例えるんですけど、みんなにモーターが付いて進んでいく、そういう会社を目指して、会社も第2フェーズに入っているんだと感じます。みんなで未来に向かっている感じがすごくするんですよ。同時に、村田の残してくれたものが、ちゃんとみんなのなかに残っていて、軸は絶対にブレない。これがピエトロらしさだと思います。

ーーとても壮大なお話を聞かせていただきました。松田さんがピエトロを大好きだっていうことも伝わってきました。
【松田詩織】私は入社直後、1年だけですが、村田の側で社長秘書をさせてもらったんです。会社への愛情の深さは、その1年の影響も大きかったのかもしれませんね。

【松田詩織】でも、みんな本当にピエトロが大好きなんですよ。もちろん働いていたらいろいろありますし、たまには愚痴を言うこともありますが(苦笑)、会社への愛情を持てていることはしあわせなことだし、それがきっとお客様にも伝わっていくんじゃないかと思います。例えば、レストランに行ってスタッフさんを含めてお店の雰囲気がよかったら、うれしい気分になるじゃないですか。同じように、お客様にしあわせをお届けしながら、しあわせをどんどん波及できるような会社であり続けたいと思います。

取材=浅野祐介、取材・文=北村康行、撮影=樋口涼

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