「作家ペン」という愛称で親しまれている「ぺんてるサインペン」(以下、サインペン)。サラっとした書き心地やシンプルなデザインが世代や年齢、職業、国籍を問わず好評で、日本をはじめ世界の100以上の国と地域で愛されている。

そんなサインペンは1963年生まれ。2023年は誕生60周年の還暦を迎える記念すべき年だ。今でこそコンビニや文房具屋で当たり前に見かける商品だが、発売当初はまったくと言っていいほど売れず、マーケティングにもかなり苦戦したのだとか。サインペンが世界で知られる存在になった背景には、ある“2つの奇跡”があった。

今回は、ぺんてる株式会社(以下、ぺんてる)製品戦略部 マーケティンググループの中沢英和さんに、サインペンが生まれたきっかけや世界中で大ヒットした理由、そして「なぜ“サインペン”という名前なの?」という素朴な疑問などについてインタビューを行った。

今回お話を聞いたマーケティンググループの中沢英和さんと小平玲菜さん
今回お話を聞いたマーケティンググループの中沢英和さんと小平玲菜さん【撮影=後藤巧】


サインペン誕生のきっかけは「油性インキの裏移り」

ぺんてるがサインペンを発売したのは1963年のこと。この商品を開発したきっかけには、その3年前に発売した油性ペン「ぺんてるペン」が想定外の使われ方をされたことがあった。これはペン先にアクリル繊維を用いて細字を書けるようにしたもので、太いペン先の油性ペンが一般的だった当時としては画期的な商品だったという。

「細字にしたことで封書や葉書に使われるようになりました。ですが、このような使われ方を想定していない油性インキのペンだったため、滲みや裏移りなどの問題が生じてしまいました。そこで、『ならば水性ならどうだろうか』ということになり、世界初の中綿を使った水性ペンを開発することになりました」

中沢さんは商品のマーケティングを担当しているという
中沢さんは商品のマーケティングを担当しているという【撮影=後藤巧】


しかし、中綿の水性ペンは世界中のどのメーカーも開発できていなかったこともあり、開発は難航。インキの配合や中綿の材質、ペン先の開発など、数えきれないほどの試作が行われ、気が遠くなるほどの組み合わせの実験が繰り返された。

また、現在でこそおなじみとなったペンのデザインが生まれたのもこの頃。一般的な丸型ではなく「六角軸」になっているのは、転がりにくさや手へのフィット感、高級感を出すためだ。デザイナーが木を削って精密なモデルを作成し、他社に真似されにくい唯一無二のデザインを考案した。

(写真左)初代サインペン (写真中央)初代発売から1か月後に軸色をインキ色にしたサインペン (写真右)現在のサインペン
(写真左)初代サインペン (写真中央)初代発売から1か月後に軸色をインキ色にしたサインペン (写真右)現在のサインペン【画像提供=ぺんてる】


技術面やデザイン面などでさまざまな試行錯誤を重ね、3年の開発期間を経てようやく誕生したこのペン。当時の開発担当者たちは「サインペン」という名前をつけることにした。

「1960年代は日本人が海外に憧れを持ちはじめた時代でした。開発者たちも欧米人が日常的にサインをすることに憧れ、『サインってカッコよくない?』と恋焦がれたそうです。そこで世界で通用するように『サインペン』と名づけたと聞いています。また、細めの水性フェルトペン全般を“サインペン”と呼ぶことがありますが、この商品名がきっかけで一般名詞化しました」

ぺんてるには過去のサインペンが保存されている
ぺんてるには過去のサインペンが保存されている【画像提供=ぺんてる】


日本からアメリカ、果ては宇宙まで⁉︎起こった「2つの奇跡」

ぺんてるが満を持して発売したサインペンだが、発売当初はまったく注目されずに泣かず飛ばずだったそうだ。大手企業や芸能人に売り込んだり、レコード会社とタイアップしたりとさまざまなプロモーションを行うも、手応えは今ひとつだった。

「なんとか起死回生を図ろうとありとあらゆることに挑戦しました。そんな折、当時の営業担当者が『サインといえばアメリカでしょ!』と、商品をシカゴの国際見本市に持って行きました。ですが、展示会での来場者の反応はイマイチで、結局サンプルを配布するだけに終わってしまいました」

1963年のシカゴ見本市。この時は全然話題にならなかったとか
1963年のシカゴ見本市。この時は全然話題にならなかったとか【画像提供=ぺんてる】

発売当初のぺんてるサインペンの販促パッケージ
発売当初のぺんてるサインペンの販促パッケージ【撮影=後藤巧】


だが、ここで奇跡が起こる。サンプルを受け取った来場者のひとりが大統領報道官で、その後、偶然にもアメリカ合衆国第36代大統領リンドン・ジョンソンの手に渡ることに。彼がその書き味を気に入って、ぺんてるに一気に24ダース(288本)の注文を入れたという。そして、政治や社会情勢などを扱うアメリカの大手週刊誌『ニューズウィーク』がこの話を取り上げ、同国での人気に火がつくことになった。

さらにその数年後、1965年にNASAの有人宇宙飛行計画「ジェミニ」で、宇宙飛行士がサインペンを宇宙に持ち出したという“2つ目の奇跡"が起こる。サインペンは重力や上下左右に関係なく、細かい空間を液体が浸透していく「毛細管現象」が起こることから、無重力空間でもインキ漏れせず書くことができたのがNASAに採用された大きな理由だった。そこから世界での知名度は一気に向上し、大ヒット商品になった。

「アメリカでの人気によって世界中に広まり、1960年代半ば以降には売れ行きが急速に拡大していきました。最終的に通算22億本を超える売上を叩き出し、世界中どこでも見かける商品になりました」

宇宙飛行士の右肩のポケットにはサインペンのクリップが
宇宙飛行士の右肩のポケットにはサインペンのクリップが【画像提供=ぺんてる】

発売初期のフランス語の広告。世界中で愛される商品になった
発売初期のフランス語の広告。世界中で愛される商品になった【画像提供=ぺんてる】