「出会いと体験を広げる」をミッションとして、有志のイベントから大型フェスまで幅広いイベント・コミュニティを支援するPeatix(ピーティックス)。2022年5月12日にサービス開始11周年を迎え、そのユーザー数は840万人を超える。コロナ禍を乗り越え、成長を続けるPeatixが行う“コミュニティマーケティング”とは?CMOの藤田祐司さんに話を聞いた。

Peatix 共同創業者/取締役CMO・藤田祐司さん
Peatix 共同創業者/取締役CMO・藤田祐司さん【撮影=阿部昌也 】


――まずは、Peatixの事業内容について教えてください。
【藤田祐司】Peatixは2011年5月に始まったサービスで、イベントとコミュニティを支援するプラットフォームを展開しています。一般的には、イベントのチケッティングなどを想像されるかと思いますが、それだけではありません。我々のサービスを使ってくださる方のなかで多いケースとして“草の根の活動”をされている方たちが多く、規模でいうと20〜30人から、小さいと3人くらいの集まりといったところのサポートにも注力しています。Peatixは、そういったコミュニティ活動をしている方たちを支援するプラットフォームとなっています。わかりやすくいうと、まずはイベントの集客。それから、Peatixは無料のイベントでも使っていただけるようになっていて、その場合の使用料は0円です。有料でのイベントを開催したいという方の場合は、その課金の部分もPeatixがサポートしています。

【藤田祐司】もうひとつ事業として伸びてきているのが、広告事業です。もともと集客がPeatixの強みではあるのですが、その集客をより加速させたいというニーズが特に企業の利用においては多くあります。通常どおりPeatixを使っていただいても集客エンジンは動きますが、もっと多くの人に参加していただきたい場合の広告事業、これが柱のひとつになってきています。

――利用者全体の規模はどれくらいですか?
【藤田祐司】グローバル展開で、現在、ユーザー数が840万人。グループ(主催者)の数は約13万グループとなっています。ありがたいことに、多くの方にPeatixを使っていただいています。

――ユーザーの方は各地に満遍なくいるのでしょうか?
【藤田祐司】活動が活発なのはやはり都市圏が多く、日本でいうと東京エリアのユーザーがもともと多かったです。最近は関西エリア、名古屋や福岡といったエリアも伸びています。いわゆる都市圏が大きいですね。ただ、コロナ禍でオンラインの活用がすごく増えたことによって、エリアを越境するような動きが出てきました。以前だと都市圏以外でイベントやコミュニティ活動をしても、そこまで人が集まらないという課題があったのですが、今はオンラインを活用することで、東京の人も地方のイベントに参加できるなど場所が関係なくなってきていて、利用の幅がどんどん広がっていると感じます。ただ、ビジネスの規模としては、やはり都市圏は大きいと思います。

――創業の経緯や当時の想いについて教えていただけますか?
【藤田祐司】我々は今、「Peatix」というサービスで社名が「Peatix Inc.」、日本だと「Peatix Japan」となりますが、もともとは2009年から同じチームで「Orinoco」という別の会社を運営していました。当時、いろいろな事業を展開していたのですが、3つくらいチャレンジしては撤退してというパターンをずっと繰り返していて…。しかし、個人ではなくチームのメンバーがいますし、どうにかしてビジネスを創っていかなければならないということで、コンサルティングの事業や、システム制作の受託事業をしながら売上をつくり、自社サービスでのチャレンジを行う、という状況でした。2010年の秋ごろ、その時点で自社サービスはほぼ残っていなかったのですが、「もう一度、自分たちのサービスを持ちたいよね」という考えに至りました。

【藤田祐司】もともとOrinocoの創業理念のひとつでもあり、これは今、Peatixでも継承しているのですが、「個のエンパワーメントを応援する」ことをテーマに掲げています。このテーマを実現するために何ができるのかをいろいろ考えながら進んでいくなかで、イベントやコミュニティ活動の支援に着目しました。2010年、2011年ごろだと、たとえば個人でイベントを開催しようと思っても、チケットを販売するための方法はぴあさんやローチケさんといった大手のサービスしかなく、個人では“確実に売る”方法もわからない。そこをサポートできるようなサービスが誕生すれば、そういった方の活動をより支援できるのではないかと考えました。また、当時、アメリカなどでは、我々にとっての大先輩になるようなスタートアップ企業がものすごく伸びているという状況があり、これはビジネスとしてもかなりポテンシャルがあるし、世の中のコミュニティや個人をサポートする意義もある。そう考えて、Peatixの立ち上げを決め、創業へと至りました。

――2011年といえば、東日本大震災の年ですね。
【藤田祐司】はい、サービス立ち上げの2カ月前に震災が起きました。もともとは、インディーズアーティストのライブ集客など、エンターテインメントの領域に可能性があると考えていました。Orinoco時代にエンタメ関連のサービスを展開していたこともあり、そのコネクションを生かして動いていたのですが、開発の途中で東日本大震災が起こり、世の中が完全に自粛ムードになりました。一方で、震災を受けて、TwitterやFacebookが一気に広がっていったタイミングとも重なりました。情報を得る目的でSNSが一気に広がり、個人が世の中に発信するツールを本当の意味で持ちはじめた時期でもあり、サービスを5月に立ち上げたタイミングでユーザーの動きを分析すると、震災復興の活動をされている方たちがチャリティイベントを行ったりする形での利用が増えているところが見えたので、我々としてもそこを支援しようと考えました。コミュニティ活動をされている方たちに“ソーシャルグッド割”という名前で、NPOや社会貢献のサービスに対しては原価で有料の部分も提供する形でサービス提供をしました。それが、「Peatixはコミュニティの支援をしていく」という、エンタメなどの領域を想定していたところから方向性を変え、もっともっと草の根のところにグッと入り込んでいく。この今にもつながるシフトチェンジは、震災がきっかけだったなと、振り返ると思います。

――大きな変化のタイミングだったんですね。
【藤田祐司】そうですね。震災もそうですし、我々がサービスを開始してから9年経って、もうすぐ10年というタイミングでコロナ禍が来たので、そういう世の中が大きく変わるタイミングでビジネスのゲームチェンジが行われてきたところはありますね。

時代にあわせてシフトチェンジしながらも「個のエンパワーメントを応援する」という軸はブレない
時代にあわせてシフトチェンジしながらも「個のエンパワーメントを応援する」という軸はブレない【撮影=阿部昌也 】


――次に、立ち上げ前までの藤田さんのキャリアについてお聞かせください。
【藤田祐司】キャリアのスタートは、コミュニティやイベントとはあまり関係なく、インテリジェンス(現:パーソルキャリア)という人材サービスの会社です。人材ビジネスにすごく興味があったので、ものすごい熱量で入ったのですが、新卒で入社した翌年の3月に辞めて、翌年にはアマゾンジャパンに転職という流れでして…(苦笑)。

――わりと早い判断ですね。
【藤田祐司】ご縁があったんです。インテリジェンスで配属されたチームにいた先輩がアマゾンに転職したこともあり、チャンスだと考えて、2003年3月から、ほぼ新卒に近いタイミングでアマゾンジャパンに入りました。いわゆる「マーケットプレイス」という出品ビジネスの立ち上げ時期だったので、営業として古書店やCDショップに営業をかけて、アマゾンを使っていただく、出品していただくための動きを担当しました。その後、コンサルタント的な立場で売上の責任を持ったり、営業マネージャーになったり、計6年ほど所属したのですが、“飲み仲間”みたいな感じのアマゾンの仲の良いメンバーで「そろそろ自分たちでやろうか」という話が出てきて、夜な夜な集まってはブレストして、何をやるかを考えながら「創業しよう」という話になりました。最初は二足の草鞋で、2007年くらいに登記をして動き始めてはいたのですが、本格的にアマゾンを辞めて移ったのは2009年。Orinocoは、アマゾンで出会った仲間と立ち上げた会社です。

――今、本をポチッと買えるのは藤田さんのおかげですね(笑)。
【藤田祐司】いえいえ、僕はもう何も、端っこの埃くらいな感じです(笑)。でも、初期のアマゾンジャパンに入れたのはラッキーだったと思います。すごくいい経験でした。ものすごく混沌としていて、人数も100人くらいしかいなかった時代です。当時20代前半の自分がものすごい裁量を持って、「ビジネスを伸ばせるならやってこい」といった具合でした。当時のアマゾンは完全な赤字企業。いわゆるエリートの人は敬遠するような状態で、ネットバブルが崩壊し、“アマゾンの看板が折れている様子”がメディアに数多く取り上げられているような状況だったので、そんなタイミングだから僕自身も入社できたんだと思います。その頃に入った人は比較的山っ気がある人が多かったので、そういう意味ではいい出会いもあって、Orinocoの創業に至るという感じです。