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「伝統は守っていくものでもあり、創っていくものでもある」。沖縄が好きすぎて東京から移住した“紅型作家”の葛藤と発見

2022/11/30 11:00 | 更新 2023/04/16 23:45
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沖縄の魅力や紅型作家という仕事について聞いてみた
沖縄の魅力や紅型作家という仕事について聞いてみた

沖縄の染物「紅型」(びんがた)は、日本を代表する染物のうちのひとつ。その歴史は古く、琉球王朝時代の王族の衣装としても親しまれてきた。沖縄の自然豊かな風土や日本本土、諸外国との交易の中で育まれてきた紅型は、ほかが追随することができない独自の美しさや大胆さなど幾多の特徴を持つ。

沖縄本島南部の海沿いの街・南城市(なんじょうし)で営む「紅型雑貨 虹亀商店」は、創業15年。店長であり作家の亀谷明日香さんは、高校生のころに沖縄に魅了され、東京から移住して大学で紅型を学んだあと、そのままこの伝統工芸を仕事とした。亀谷さんの作品には、伝統的な紅型の特徴と独自の視点から見た“沖縄”が描かれている。亀谷さんが“運命”を感じた沖縄の魅力、そして紅型作家という仕事について話を聞いてみた。

沖縄が好きすぎて高校生のとき、単身で沖縄に何度も長期滞在した経験を持つ虹亀商店店長・亀谷明日香さん
沖縄が好きすぎて高校生のとき、単身で沖縄に何度も長期滞在した経験を持つ虹亀商店店長・亀谷明日香さん


ーー沖縄との出合いを教えてください。
【亀谷明日香】沖縄に初めて来たのは高校1年生のころ。バイトで貯めたお金で友達と2人で来ました。そのときは1週間ぐらいいろいろなところを旅しました。今のようにLCCといった格安航空会社などがない時代なので、「船の旅」で安く料金をおさえて沖縄に来ました。50数時間の船旅だったので、船酔いがすごかった(笑)。行きは船、帰りは飛行機。そのときの旅が忘れられなくて。それからしょっちゅう沖縄に来ていました。

【亀谷明日香】私は、生まれは北海道で育ちは東京の吉祥寺です。吉祥寺はいいところですが、自分はそこまで便利なものがそろってなくていいから、のんびり自然がいっぱいあるところに住みたいと思っていました。沖縄に出合って沖縄に夢中になって、バイトでお金を貯めては沖縄に来るという生活を高校のときずっとしていました。長い休みだと2カ月近く沖縄に滞在していました。でも2カ月滞在となると、安い宿でもけっこうお金がかかる。2000~3000円ぐらいでユースホステルに泊まっていましたが、「安宿」というものが出てくるのはもっとあとなので、当時はユースホステルが一番安い宿でした。でも、ユースホステルでもお金がかかり長く泊まることができないので、テントを買って、当時「キャンプOK」のビーチにテントを張りました。できるだけ長く沖縄にいたい一心でした。

360度海に囲まれた沖縄に強く惹かれたと語る
360度海に囲まれた沖縄に強く惹かれたと語る


【亀谷明日香】「ひとりで危なくない?大丈夫?」と心配する人もいましたが、私と同じようにテントを張る人もいました。でも高校生はいなくて、皆さんもう少しお姉さん、お兄さんでした。大学でワンダーフォーゲル部の人やキャンプ好きのおじさんとか。私の年齢でのキャンプは珍しかったから、みんな気にかけてくれて。私は出会いがよかったですね。本当にいい人ばかりに会いました。キャンプも最初は沖縄本島でしたが、だんだん離島のほうが楽しくなってきて。一番ハマったのが波照間島。完全にハマってしまいました。「ニシ浜」というところがあって、いまはキャンプができなくなっているのですが、そこにテントを張って、自分の家のように過ごしていました(笑)。

【亀谷明日香】長くいると、島の人もおもしろがったり気にかけてくれたり。普段は、島の商店でスパゲッティや缶詰などを買って自分で火を起こして調理していたのですが、皆さんが「ごはん食べてる?」とか声をかけてくれて。「うちの墓掃除してくれたら、ごはん食べさせてあげるよ」とか(笑)。島にもいっぱい知り合いができて、楽しく過ごしていました。

ーー度胸のある高校生ですね!いくら好きでも、高校卒業してすぐの沖縄移住に迷いはなかったのでしょうか?
【亀谷明日香】もう全然!少しもなかったです。沖縄との出合いが私にとっては衝撃的だったので、とにかく沖縄に行きたい一心でしたね。東京にいても、沖縄のことしか考えられなかったくらい。もともと絵が好きだったので、「絵の学校に行って絵を描く仕事をしたい」とは思っていました。高校卒業後、沖縄県立芸術大学に入り、そこで紅型と出合い、勉強をしました。大学卒業後はすぐに自分のお店を持ち、そこからはひとりでずっと紅型一直線です。

移住することに迷いはなかったという
移住することに迷いはなかったという


ーー絵は小さいころから好きだったのでしょうか?
【亀谷明日香】はい。幼稚園や小学校とか、絵だけは成績がよかったんです。高校の選択授業では1年かけて自分の自画像を描いたり、絵を描くことと向き合っていました。東京芸大、武蔵野美大、多摩美術大などの美大を目指す予備校にも通っていました。「絵の道にいく」と決めていたんですけど、それよりも沖縄への気持ちが強くなって。一時は親もどうなることか心配していたと思います。

ーー進学での沖縄移住は人生の岐路、人生のターニングポイントだったのではないでしょうか?
【亀谷明日香】はい。そこからガラッと人生が変わりました。でもまだ「絵を仕事にする」とは、その頃は想像をしていなかったです。沖縄が好きだから、大好きな沖縄を知るために、沖縄の博物館などを回って沖縄の伝統的な織物や紅型を勉強していた、という感じです。その中でも「紅型」を選んだのは、もともと絵を描いたり色を扱うのが好きだったからでしょうか。大学の伝統工芸学科は大きく「染、織、陶芸」という分野に分かれていたのですが、私は紅型を専攻で学びたいと直感で思って。これしかないと思ったんですよね。そして、それが自分に合っていた。

ーー沖縄生まれでない亀谷さんが沖縄の伝統文化を手掛けることの難しさや悩み、壁などはありましたか?
【亀谷明日香】はい、自分の気持ちの中で、沖縄の伝統工芸を外から来た自分が関わって「伝統工芸をやっています」と言っていいのか、ずっと悩んでいました。でもその答えはずっと出なくて、こうやったら解決するという道もなかった。ただ時間だけが経って。沖縄に来て4年、それからお店を始めて10年経ったころから、だんだん沖縄の人が訪れてくれるようになりました。最初は地元客より観光客のほうが多かったのですが、沖縄のテレビ番組で取り上げていただいたり、県内の人も読むような雑誌に紹介してもらうことで、だんだん地元客が増えたんです。でも、沖縄の人は目が肥えていますよね。私が紅型に出合うより、もっと昔から身近に紅型があるという人たちですから、その人たちに紅型を見てもらうのは、すごく緊張しました。一般のお客さん相手でもすごく緊張した!

【亀谷明日香】そんなあるとき、「自分たちはずっと紅型を見てきたから、当たり前になってよくわからなくなっているけど、あなたの作品を見て、紅型ってキレイなんだなって思うようになったよ」って、地元のお客さん、年配のおばあちゃんに声をかけてもらって。すごくうれしかったですね。「ありがとうございます」とその場で泣いちゃうぐらいでした。それが一番のきっかけとなって、そのあたりから勇気をもらうような一言をもらえることがどんどん増えました。「紅型やってます」と私が言っていいのか、ずっと悩みながらお店をやっていましたが、その悩みがじわじわと溶けていきました。それに伴って、自分がやっていることに自信が持てて。「紅型を私がやっていてもいいし、喜んでもらえているんだな」って。今はもう「私だから見えているものがある」とか、そういうふうに捉え直して表現しています。時間をかけて、やっとこういうふうに思えてきましたね。

「沖縄の人の前で県外出身の私が“紅型作家”と名乗ってよいか、最初は非常に悩んだ」
「沖縄の人の前で県外出身の私が“紅型作家”と名乗ってよいか、最初は非常に悩んだ」


ーー外から来た亀谷さんだからこそできる紅型作家としてのご自身の強みがあれば教えてください。
【亀谷明日香】沖縄の人だと、沖縄のよさが当たり前になっているんですよね。私が沖縄に来たばかりのときは、紅型の図柄は、沖縄の風景を描いたものはあまりなくて、本土のほうで受け入れられるようなデザインが中心だったんです。沖縄にはない植物や、本土の着物や中国のデザインをもとに発展したものだったので、図柄はそんなに沖縄らしい感じはしなかった。私は県外から沖縄に来たから「もっと沖縄の花や海の生き物を描いたら、すごく沖縄らしくていいのにな」と思っていました。でも前例が多くないのと、私の表現力もなくて、うまく描けなくて。古典的な伝統的な図柄はすごく完成されていて、洗練されていて本当に美しい。自分が描きたい沖縄と、それが表現できない自分にずっと葛藤がありました。今でもずっと試行錯誤しているところはありますが、外から見たからこそ表現できる、沖縄の美しいものを図柄にしていけたらと思っています。

ーー紅型作品を作りはじめた当時から、亀谷さんがずっと描き続けている図柄はありますか?
【亀谷明日香】あります。大学のころから描き続けている「やどかり」の絵です。「やどかりの夢」という絵本も出しました。お話を書く「わたなべなおか」さんという方にお声がけいただき、生まれた作品です。彼女がやどかりの話を書きたいと思ったとき、私が描いたやどかりの作品を見てくださって話が進みました。やどかりは沖縄に来たときからずっと描いていて、大切にしている題材のひとつです。あとはキジムナーとかも、昔からずっと描いている。一番の代表作は「コーラル」という柄。これはテーブル珊瑚を海の中で見たときのイメージで作ったデザインなのですが、初期に描いたデザイン。これがずっと私の代表的なモチーフとなっています。

初期から描き続けているのは「やどかり」。ご縁があって、やどかりをモチーフにした絵本製作に関わった
初期から描き続けているのは「やどかり」。ご縁があって、やどかりをモチーフにした絵本製作に関わった

代表作である「コーラル」というデザインは、テーブル珊瑚を海の中で見たときのイメージから生まれた
代表作である「コーラル」というデザインは、テーブル珊瑚を海の中で見たときのイメージから生まれた


ーー今後変えていきたいこと、紅型の工芸の世界で新しくチャレンジしたいことを教えてください。
【亀谷明日香】お店の名前に「紅型雑貨」という名前を付けていますが、それは紅型をより身近に感じてもらいたいという気持ちから生まれています。私が沖縄に来たばかりの当時は、紅型を手に入れたい、自分で持ちたいと思っていても、すごく高価なものや着物や帯など、そういったものがメインでした。高校卒業したばかりの私が手に入れられるものは全然なかったんです。私が欲しかったのは、自分でも頑張れば手に入れられるようなものや、身近に感じられるもの。そういうものがもっとあったらいいのにと思いました。

【亀谷明日香】伝統工芸はすごく手がかかるものなので、もちろん値段も高価になるのが当たり前。すごくこだわってデザインも作るので、どうしても値段が高くなってしまう。でも一般の生活に関係のないものより、生活の中に取り込んでいけるものがもっとあったらいいなと思っています。沖縄に来た最初から、その思いはあります。うちは手染めのものと、プリントで気軽に使ってもらえるもので分けて作っているのですが、手染めのものは、ある程度高価なもの。プリントで作った絵はがきやシールは子どもでも手に入れられるものと分けています。これからも作りたいものは無限大にあります(笑)。

子どもたちのお小遣いでも購入できる絵はがきなどの安価な商品も取り扱う
子どもたちのお小遣いでも購入できる絵はがきなどの安価な商品も取り扱う


ーー紅型作家をしているうえで「これは絶対に変えてはいけない」、「変えず受け継いでいきたい」と思う点を教えてください。
【亀谷明日香】県内の伝統工芸に携わっている人たちと勉強会で一緒になったり、お互いの現状を話したりすることがあるのですが、その中で共通で出てくるものは、「伝統は守っていくものでもあるし、創っていくものでもある。新しい伝統を自分たちが創っていく気持ちになろう」ということです。守らなきゃいけないものと、変えなきゃいけないものは、すごく難しい線引きです。今の時代はPCでパパっとデザインを作ろうと思ったら作れるじゃないですか。でもこうやってコツコツ鉛筆で下書きして、型紙に写し取って、時間をかけて型紙を彫って、何日もかけて染め重ねて。そうじゃないと描けない線もあるし、そうじゃなきゃ出せない色もあり、風合いもあり、やればやるほどそういうものがあると感じています。手垢にまみれて作ったものは、すごく力がこもっているし、沖縄ならではの力というか特別なものが込められていると思う。手作業じゃなくてもできるものがどんなに増えても、手作業から生み出されるものには、ほかに変わることができない何かがあるなと思います。

「手垢にまみれた手作りの作品には、手作りにしかできない“手作りの魅力”が込められている」
「手垢にまみれた手作りの作品には、手作りにしかできない“手作りの魅力”が込められている」


ーーこうじゃなきゃ紅型じゃない、というものはありますか?
【亀谷明日香】前々までは「こうしなきゃ」という気持ちもありましたが、最近は「こういう手法も取り入れたらおもしろいんじゃないかな」と思うようになりました。でもそれは、作家さんそれぞれが、自分にとっての紅型とは何をもって紅型とするのか、何を大切にしたいのか、自分自身と対話して決めることだと思います。線一本、色一色をとっても自分の中で対話するし、ほかの作家さんとも対話するし、その繰り返しの中でそれぞれの「紅型」が生まれると思います。「紅型とは何か」という答えは自分の中にあると思っています。

ーー仕事で苦手なものはありますか?苦手な仕事との向き合い方なども教えてください。
【亀谷明日香】苦手なもののひとつとして「紗張り(しゃばり)」という作業があります。紅型って、基本的には全部台所でできちゃうような、そういう作業ばっかりです。基本的には体に優しい成分でできています。洗ったら落ちますし。紙も糊も。糊はもち米と米ぬかを混ぜて蒸したものだったり、あとは絵の具を定着するための「豆汁(ごじる)」は大豆を水でふやかしてすり潰してしぼった汁です。そんな中で、ひとつだけすっごくケミカルなものを使う作業があるんです。型紙に紗(しゃ)というシルクの網を貼っていって、型紙を固定させる作業。シンナーやカシュー(人工漆塗料)を使いますが、それが私はすっごく苦手で。本来、紅型作家なら全工程をできなくちゃいけないんだけど、私はその作業は苦手です。紅型はひとりの人が基本的に全部やるものなので、本当はマルチにならなきゃいけないんだけど、みんな苦手な作業はどうしてるんだろうと思っていました。

「紅型はほとんどが台所でできるような作業。でもどうしても苦手な作業はある」
「紅型はほとんどが台所でできるような作業。でもどうしても苦手な作業はある」


ーーどうやって克服したんでしょうか?
【亀谷明日香】同じ紅型作家さんに恥をしのんで聞きに行って教えてもらいました。本来は大学のときに学んでマスターしなきゃいけなかったのですが、全然マスターできなくて。いろいろな紅型作家さんを訪ねて「今さら聞けない話」を聞いてまわりました(笑)。そのうち、同行したうちのスタッフのほうがどんどんできるようになっちゃって(笑)。人間やっぱり苦手なことはあります。なんでもかんでも自分でやるのは難しい。

「恥をしのんで同業者に聞きに行ったこともある。同行したうちのスタッフがどんどん上手になっていった(笑)」
「恥をしのんで同業者に聞きに行ったこともある。同行したうちのスタッフがどんどん上手になっていった(笑)」


【亀谷明日香】ほかにもあります。工房に勤めている人だったら、作品作りはやっているけど実際の対面販売はしないという作家さんがほとんどだと思いますが、私は“商店あってこそ”というスタイルでやっているので、「値段設定も自分でやらなければいけない」というのが最初は難しかったですね。自分が作ったものに、どう値段を付けていいかわからないんですよ。私が一個人としてのアーティストだったらどういう値段を付けても、売れても売れなくても自分の自由だけど、やっぱり伝統工芸を背負っている以上、勝手なことをしてはいけない、とういう感じを私は持っています。なので、以前はお値段設定が苦手でした。極端ですけど、ほかが3万円なのにうちが1000円とかで売っていたら「何やってるんだ」と思われてもしょうがない。相場を見ながら値段を付けなきゃいけないですよね。でも自分で自分の作品の値段付けるって、自分に自信がないと付けられないんですよ。だから最初は、「もういいよ、もらって~」とか言っていました(笑)。

【亀谷明日香】そんなふうに、苦手なことが最初はたくさんありました。でも「苦手」とばかり言ってはいられないので、紅型を商売として成立させていくために、四苦八苦しながらもやっていくなかで自然と感覚がつかめてきて、気付けばもう苦手ではなくなっていました。今は全然苦手じゃないです。ただ、「苦手なことを頑張って克服するのもひとつの道。でももし、得意な人がそばにいたら得意な人に助けてもらうという手もある」ということも、メッセージとして伝えたいですね。

海が見える沖縄の古民家で営む「虹亀商店」。紅型の高級な作品だけでなく子どもが購入できるような作品も同時に販売
海が見える沖縄の古民家で営む「虹亀商店」。紅型の高級な作品だけでなく子どもが購入できるような作品も同時に販売


この記事のひときわ#やくにたつ
・外の視点だからこそ見えるものを大切にする
・伝統は守っていくものでもあるし、創っていくものでもある
・自分自身との対話の中で新しいものを生み出す
・苦手なことは、得意な人に助けてもらうのもひとつの手

取材・文=小鍋悠/撮影=ミヤイチ“ポルコ”マサヒコ/取材協力=沖縄県、沖縄観光コンベンションビューロー(OCVB)

【プロフィール】亀谷 明日香(かめがい あすか)。「紅型雑貨 虹亀商店」代表。紅型作家。1977年、東京都出身。1996年に沖縄に惚れ込んで移住。沖縄県立芸術大学にて伝統工芸「紅型」を学ぶ。その後2009年、沖縄県南城市にて工房を併設する店舗「紅型雑貨 虹亀商店」をオープン。沖縄の風景や動植物を描いたオリジナルのデザインで、日常使いできる新しい伝統工芸を日々制作している。

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