「ピンチはまさにチャンスとなった」窮地に追い込まれたときの方向転換が、新生・武内製薬の根幹を築く!

2022/10/06 12:30 | 更新 2023/04/17 00:02
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ビジネスを立て直した際のエピソードについてインタビューした
ビジネスを立て直した際のエピソードについてインタビューした

ワックス脱毛の黎明期に参入し、美容領域のD2Cビジネスを展開する、美容系スタートアップ起業「武内製薬 株式会社」。スピード感・機動力を武器に苦難を跳ね返し、起業から10年で事業を軌道に乗せた、代表取締役の金光左儒さんにインタビュー。高校中退して上京してからの9年、起業してからの10年のストーリーを追いながら、武内製薬のイノベーションに迫った。

高校を中退して上京、フリーター生活ののち“とりあえずやってみる精神”で、大学から都議会議員立候補へ

――高校を中退して上京されたそうですね。
【金光左儒】同郷の浜田省吾さんが大好きで。彼は高校を卒業して上京していますけれど、私は我慢できなくて(笑)。朝起きて高校に行くというのに、ちょっとあんまりなじめなかったんですよ。大学に行きたくなったときに、自分で勉強していけばいいやと思い、親を説得して出てきました。

――ご両親を説得するのは大変だったのでは?
【金光左儒】大変でしたね。大検(大学入学資格検定。今の高卒認定試験)を取ればいつでも大学入学試験が受けられるので、「取ったら、もう高校をやめて好きに生きていいか」を親と話し合い、説得しました。そして、大検に合格して、17歳の終わりぐらいに東京に出てきました。

武内製薬代表取締役の金光左儒さん
武内製薬代表取締役の金光左儒さん【撮影=オオノマコト】


――東京に出てきて、何をされていたのですか?
【金光左儒】東京では、寿司屋と引越し屋、あと旅館やホテル、遊園地などで住み込みのバイトをよくしていましたね。阿佐ヶ谷に、風呂なしアパートを借りて住んでいたんですけど、どこかへ行って住み込みで2週間働くと10万円ぐらい稼げるんですよ。家賃が3万円ちょっとだったので、その10万円で2カ月暮らして、またお金がなくなると、どこか住み込みに行って2カ月暮らすみたいな暮らしをしていました。

【金光左儒】そんな、さすらいのような生活をしているなかで、「大学ってどんなところだろう?いろいろなことを具体的に勉強してみたい」という気持ちが、だんだん芽生えてきたんです。17歳から24歳まで東京で暮らしながら、1人で生きていくってことは経験したので、次は大学に進学してみようと。「新しい出会いがあるかもしれない。何かおもしろいところがあるかもしれない」って思ったんですよ。24歳から1年間、高円寺にあるコンビニの夜勤バイトをしながら受験勉強をして入学試験に合格したんです。

――大学在学中は何をされました?
【金光左儒】大学に入ったら、自分の知らない世界を広げることに挑戦したいと思っていました。そのため、まず法律をしっかり勉強することと、楽しそうなバイトをやってみることを、目標に掲げて大学生活をスタートしました。そして間もなくすると、先輩が国会議員の秘書のバイトを紹介してくれたので、秘書に挑戦してみることにしたんです。
そのバイトを続けていくうちに、「政治家もなかなかおもしろいな、政治の世界もおもしろいな」って感じて。秘書をさせていただいていた先生に相談して、当時の与党だった民主党から新宿区議会議員選挙に立候補したんです。

――おもしろそうだからっていうのが、一番の行動原理なんですね。
【金光左儒】そうですね。何か自分の知らないところに飛び込んでいきたいというような、あの気持ちは忘れられないですね。 “とりあえずやってみる”という姿勢は、今も会社の基本姿勢のひとつにもなっています。

常に「おもしろいかどうか」を判断基準としている
常に「おもしろいかどうか」を判断基準としている【撮影=オオノマコト】


ワックス脱毛事業で起業!海外ドラマのヒットもありブームに乗ってシェアトップに

――会社の始まりはワックス脱毛なんですよね。キッカケは何だったんですか?
【金光左儒】はい。当時の日本には、ワックス脱毛事業がまだあまりなかったんですね。ただ、需要はあったので、施術を受けるのにどこも1カ月待ちみたいな状況だったんですよ。単価がすごく高いのに原価がかからないので、明らかに需給のバランスと価格設定の均衡がとれていませんでした。それで「もし参入したら、市場が大きくなったときに、リーディングカンパニーのポジションが取れるんじゃないか?」と気がついたんですよね。それで、アルバイトで貯めた300万円と、創業融資で銀行から借りた500万円の合計800万を元手に、2013年8月に池袋に1店舗目をオープンしたのが第一歩でした。

【金光左儒】でも、当初は苦しかったですね…。3日間お客さんが1人も来ない日もありました。ホットペッパービューティーにも広告を出したりしたのですが、そもそも検索されない。ニーズが我々の想像より少なかったんですね。さらに、FacebookやGoogleに広告を出そうにも、検索ボリュームが少なすぎて広告が出せなかったんです。だから、駅前でビラを配ったり、近所のお店にちょっとポストカード置いてもらったり、地道な活動をしていました。

「3日間お客さんが1人も来ない日も…」起業したての苦しかった時期について語る
「3日間お客さんが1人も来ない日も…」起業したての苦しかった時期について語る【撮影=オオノマコト】


【金光左儒】ところが、その年の12月にある転機が訪れました。それは、『セックス・アンド・ザ・シティ』というアメリカのドラマが日本で放送されんです。ドラマの中で、主人公のサラ・ジェシカ・パーカーがワックス脱毛をしていたのが理由でした。放送後、若い女性を中心にSNSで「ワックス脱毛が気になる」みたいなコメントが増えてきて。そして、「東京・ワックス脱毛の店」ってネットで検索すると、うちのお店が一番上にヒットしたんです。なぜかというと、お客さんが来ない間に、私が唯一やっていたのがSEO対策だったんです(笑)。

【金光左儒】いつか来るであろうブームに備えて、“ワックス脱毛”や“ブラジリアンワックス”ってキーワードで検索したときに、ちゃんと一番上にヒットするように準備していました。周りのお店はSEO対策を全くやっていなかったので、一人勝ち状態でしたね(笑)。おかげで、10月は1週間でお客さんが2、3人だったのに、年末には2〜3カ月先まで予約がいっぱいの状態に変わったんです。そこで、従業員を増やして、店舗も4店舗に増やしました。

――ブームが急に訪れたんですね。
【金光左儒】でも、市場の成長スピードが速く、お店を増やしても売り上げが伸びなくなってきました。我々のようなスタートアップ企業だと資金的にも限りがあるので…。そこで、次の手として、商材の販売と技術のスクーリングを考案しました。ワックス脱毛のスクールを作り、技術を教えて、独立した人に商材を販売する事業を、2014年にスタートさせたんです。それが物販事業の始まりですね。

【金光左儒】これが狙いどおりに大成功でして、施術者養成スクールとして日本一にもなりました。でも、同じことをする会社がたくさん出てきたんですよ…。このままの状態だとシェアが取れないので、次に始めたのがOEMです。ワックス脱毛剤を大量生産して、製造フェーズのシェアを取り切れば、さすがにシェアをキープできるだろうっていうことで始めたんです。

【金光左儒】2014年から1年間ほど、ワックス脱毛剤の処方開発を、自宅のキッチンでひたすら繰り返す毎日でした。夜中に私が一生懸命試作をしたものを、パートナーが店で試してフィードバックをもらい、また夜な夜な鍋でワックスを作って。そして、ついにこれは!という試作品が完成し、2015年に足立区に自社工場を作り、大量生産を開始しました。

ブームも一時的なもの…早々に次の手を打つ
ブームも一時的なもの…早々に次の手を打つ【撮影=オオノマコト】


――国産のワックスだったんですね。
【金光左儒】そうですね。我々が生産を始めるまで、日本製のワックス脱毛剤はなかったですし、大量生産できる会社もなかったんです。そういった意味でも、我々が最初にそのポジションを獲得できたことは、ワックス脱毛の事業ドメインにおいて、すごく大きかったと思います。

――10年前は、SEO対策をどこもやってなかったとおっしゃっていましたが、そこに気づけた理由は何ですか?
【金光左儒】開業資金を貯めるためのアルバイト先が、ちょうどIT系のベンチャーだったんです。そこでコンテンツマーケティングのような、ウェブの広告の運用代行みたいなことをやっていました。おかげで、SEO対策の知識が身についていたんですよね。でも、やっぱりアルバイトでやったのと、自分でやるのとは違ったので、本当にいろいろ調べて手を動かしながら、軌道修正してやったっていう感じですね。

成長期から窮地へ転落。そして現在の事業へとつながる方向転換へ

――ワックスを自社生産するようになって、その後どう成長したのですか?
【金光左儒】ワックスを自社生産し、OEM事業を始めるまでは軌道に乗っていたんですが、数年も経つとトレンドが停滞してしまうんですよね。それでもう一度、市場を活性化させて上昇トレンドをつくろうと、電車の中吊り広告や、大きなWeb広告を打ったりしたのですが、結果的に大失敗でした。我々は、ワックス脱毛1本でやっていたので、あっという間に窮地に立たされてしまいました。

――復活するためにされたことは?
【金光左儒】2018〜2019年頃、「このままワックス脱毛一本だと本当にまずい。何か新しいことを始めていかないと、これ以上の成長がない」と窮地に追い込まれたときに、経営幹部で集まってアイデアを出し合い方向転換することにしました。ワックスの製造設備工場と化粧品の許認可を持っていて、ECで物を売っていたので、この2つを組み合わせて何か突破口が見い出せないかを考えたんです。そこで思いついたのが、ECで売れる商品をいち早くスピーディーに企画・研究開発をして、自社の工場や研究設備を使って商品化して、それをECで販売するD2Cビジネスでした。我々が持っているもので、できるものって何だろう?って、みんなで考えてやった苦肉の策みたいな感じですね。

【金光左儒】これを2019年ぐらいから本格的に始めると、これがグッと形にはまって、再び波に乗ることができました。そして、現在の事業もまさにその延長線上で、どんどん新しい商品を開発して売るみたいなことを今も続けています。

――そこから這い上がるために、何が必要だったんですか?
【金光左儒】創業時から「ワックス脱毛のリーディングカンパニーになる!ワックス脱毛で突き抜けるんだ!」という思いで、会社組織を作って、私も毎日そのことしか言ってなかったんです。そのテンションから、「今日からワックス脱毛のことは忘れて、新しいことをやるぞ!」って、社内で言うのは相当な覚悟とエネルギーが必要でしたね。あのときは、私も相当な覚悟を見せて説明できたので、仲間の納得を得ることができて、また熱量高く団結して方向をグッと変えることができました。

――一緒についてきてくれた社員の皆さんも優れた人たちだったのですね。
【金光左儒】本当にそうですね。方向転換する直前に、大企業から来てくれたメンバーが多かったんですよ。みんなワックス脱毛で日本一になって、ワックス脱毛市場でリーディングカンパニーになって上場するぞっていう気持ちで入ってきてくれたので…。入社して早々に、「ちょっとワックス脱毛市場もうこれ以上は厳しいから方向転換しよう」と説明するのは本当に大変でしたね。

――方向転換する際、ほかに考えていたアイディアはありますか?
【金光左儒】当時は我々の工場を活用したOEM事業で、まず目先の売り上げと利益を取りにいくことだけを考えていました。OEM営業をとにかく頑張ろうっていうのと、ECでいち早く売れるものを企画・製造して、すぐに販売しようっていう、この2つしか思いつかなくて両方をとにかくやったって感じです。

――もう思いつきを100%実行したんですね。
【金光左儒】そうなんですよ。それしかもうないっていう感じで、これを失敗したら、もう我々に未来はないというぐらい、切羽詰まった感じでしたね。

武内製薬の五反田オフィスの様子
武内製薬の五反田オフィスの様子【撮影=オオノマコト】


――その切羽詰まったときに、周りの社員さんからリアクションはありましたか?
【金光左儒】やはり、離脱してしまった社員もいました。当時15、16名でやっていた会社だったので、4、5名も辞めてしまったのは辛い経験でした。
ただ、あのとき決断をして、しっかりと目指すべきところに旗を立てて、「ここを目指す」って言い切ってやってきたというのは、すごく大事なことでしたね。

――それは今でも、芯として残ってることですか?
【金光左儒】もちろんです。工場があって、ECで物を売るチームもいて、研究開発する研究員もいて、物流もある。このサプライチェーンを一貫して持っていることを最大限活用して、とにかく機動力の武内製薬で突破口を見出していく。自分たちで考えたことを実行するときに、「機動力しか我々の強みはないんだ!」っていうぐらい、自分たちの強みを機動力に置き切ったっていうところがよかったですね。今も自社の強みを語るときには、やっぱり機動力は欠かせないポイントです。

目指す理想像や、人を見る目など、これまでの経験で培った考え方

――金光さんが理想とする社長像はありますか?
【金光左儒】そうですね。私の父が広島で小さな工場をもう45年ぐらいやっているんですけど、私は父が働く姿を見て、社長ってこういう姿なんだなっていうのを思っていました。父は、有言実行というか、自分の決めたことに自分を従わせ、それを1週間とか1カ月ではなく、何年も何十年も続け、ちゃんとやり切る姿を見ていたので、やっぱりそういうところには憧れますし、目指すべき姿だと思っています。自分もそうありたいと、同じように実践しているところですね。

――お父様の背中を見て育ったのですね。
【金光左儒】はい。あと、父は没頭するタイプで、自分のやりたいことに没頭しているときが、父にとっての幸せなんだろうなと、今になってみると思うんです。自分もすごく似ていて、組織と事業をやっていくことに没頭できていることが、すごく幸せな状態なんです。だから、没頭しながらしっかりとやり切ることが、私が目指している社長像というか、経営者像ですね。

自身の失敗を糧に成功へ…目標値の作り方についても聞いてみた
自身の失敗を糧に成功へ…目標値の作り方についても聞いてみた【撮影=オオノマコト】


――今の時代、自分がどう進んでいいか悩んでいる人たちも多くいます。目標の持ち方などアドバイスをいただけますか?
【金光左儒】そうですね。自分自身の話で言いますと、そういう目標が今までなかった。今もないんですけど。“こうでなきゃならない”といった概念みたいなものがあると、理想と現実のギャップを埋めていくことしかできないじゃないですか。もちろん、そういう生き方もあると思いますが、やっぱり、それって結構しんどいんじゃないかな?と思うんですよね。もっと肩の荷を降ろして、「没頭できる何かさえあれば、人生は上出来だ」くらいに考えれば、少し気が楽になると思うんですよ。

【金光左儒】この考え方は、昔も今も変わらないですね。フリーターをやっていたときは、高校中退フリーターみたいな感じで、いわば社会的弱者みたいな見え方だったと思うんですけど、でもそのときの幸福度も今の幸福度も全く変わらないんですよ。あのときは、いろいろな仕事をしながら自由に生きて、その日やりたいこと、例えば「読みたい本を一日中読んで過ごす」とかにも純粋に没頭できて、すごく充実していて豊かな時間だったなと思います。もちろん今だって、家族がいて会社があって、それぞれに没頭できているので、もう十分満足で幸せっていう感じですね。だから、“こうでなきゃならない”っていう、思い込みをなくすようにすることは大切だと思います。

――ちなみに今まで人生の中で一番の挫折って何ですか?
【金光左儒】会社が方向転換したときに辞めた社員の中に、本当に昔からついてきてくれた仲間もいたことです。その仲間が辞めたときはすごく辛かったですね。

社員に対しては「仕事の結果を責めても人は責めない」がモットー
社員に対しては「仕事の結果を責めても人は責めない」がモットー【撮影=オオノマコト】


――それを乗り越えて切り替えるためのリフレッシュ方法はありますか?
【金光左儒】それは私も知りたいですね(笑)。そのことは、今でもショックなんです。そういう失敗や挫折は、辛かった経験としてあまり鮮度が衰えることなく残っているんですよ。逆にそうならないように、気をつけています。

【金光左儒】当時は、やっぱりいろいろな理由で人が離反したと思うんですよね。組織のあり方を考えてこなかったことは、すごく反省しました。「会社が成長して、みんなでワイワイできればいいじゃん」ぐらいの感じでやっていたんです。今振り返ってみると、すごくワンマンで、給料もボーナスも、私の目先三寸でそのときに決めるみたいな感じでした。それらのことも、人の感情の離反につながっちゃったのかなと思います。その失敗の学びを、その後の組織作りに生かして、なるべく恣意的な評価の入り込む余地がないよい評価制度や組織を作る点に、ものすごくエネルギーをかけています。

――ご自身の失敗が会社の成功へのきっかけになっていくわけですね。
【金光左儒】そうですね。あと、“仕事の結果を責めても人は責めない”という考え方をするようにしています。そのため、何でそうなったかっていうのを冷静に振り返って、ちゃんとPDCA(Plan、Do、Check、Action)を回せば、必ず改善していくというマインドを心がけています。

――一緒に働きたい、仕事をしたいと思える人ってどんな人ですか?
【金光左儒】やっぱ明るくて元気で素直な人ですね。そういった人と一緒に夢中になって、同じ目標に向かって頑張っていくっていうのをやりたいんです。

現在の武内製薬の主力製品
現在の武内製薬の主力製品【撮影=オオノマコト】


――この人いいなって思うポイントってどこになりますか?
【金光左儒】やっぱり素直な部分ですね。素直なことってすごく大事で、“仕事の結果を責めても人は責めない”という場面で、素直な人ほど、そこがすごく切り離せるんですよ。そうじゃない人って仕事で、「ここがダメだったよ」って言うと、自分が傷ついちゃうんですよね。「自分が責められている」と感じて。そして責められないようにするために、ますます素直じゃなくなって言い訳などでプロテクトしていく。自分自身を守るために素直になれなくなっているんですよ。素直な人はちゃんと「失敗は失敗で、自分は自分」みたいな受け止め方ができて、「この失敗を正すためには、こうすればよかったんだ。じゃあ、今後のやり方を変えていこう」という判断がすぐできるので、そういう人はすごく成長が早いんですよね。そういった人とやっぱり働きたいですね。

――今後、会社をどう成長させたいですか?
【金光左儒】そうですね。やっぱり我々は、まだまだ発展途上なので、目指すべきところは、どの家庭にもひとつや2つ製品があるような大手製薬会社ですね。コスメやビューティー、ウェルネス領域の大手EC企業になりたいと思います。

――そのためには、しなければならないことっていうのは?
【金光左儒】そのためには、まだまだたくさん魅力ある商品をたくさん生み出していって、それをECだけでなく、オフラインでもしっかり販売していくことが必要だと考えています。

この記事のひときわ#やくにたつ
・自分の中の「おもしろい」の感覚を信じる
・新しいアイデアはスピーディーに形にする
・自分たちの強みをより明確に絞る
・没頭できるほど好きなことを見つける
・仕事の結果を責めても人は責めない

取材・文=北村康行/撮影=オオノマコト

【プロフィール】金光 左儒(かねみつ さじゅ)。武内製薬株式会社 代表取締役社長。1984年広島県出身。都内に2か所の自社工場を持ち、化粧品・プロテイン・サプリメントのOEM受託などを行うD2Cメーカーを経営。高校中退して上京、フリーターを経て大検(高認)を取得し、25才で早稲田大学法学部入学。在学中に区議会議員選挙に立候補し落選。大学中退後に武内製薬株式会社を起業し、10期目を迎える。

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