乙武洋匡さん
乙武洋匡さん【撮影=阿部昌也】

ベストセラー作家、スポーツジャーナリスト、テレビキャスター、タレント・インフルエンサー、教職員、さらにはサッカークラブのGMといった経歴を持つ乙武洋匡さん。惜しくも当選はならなかったが、今年は政治の道へのチャレンジも果たした。実に多岐に渡るキャリを誇る乙武さんへのインタビューを3回にわたってお届け。今回は、政治家を志した理由、その行動力の源について話を聞いた。

――参院選から2カ月、お疲れ様でした。政治家を志した理由についてあらためて教えてください。
【乙武洋匡】ありがとうございます。選挙に出る、出ないにかかわらず、私自身、ずっと目指しているものが、多様性のある社会です。多様性やダイバーシティは、ここ数年でよく耳にするようにはなったものの、具体的にどういうものなのかというと、人それぞれイメージしているものが違ったり、逆に、ぼやっとしていて具体的につかめていない方も多いと思うんです。私の中では「選択肢がたくさんあって、自分に合った選択肢を、自由に選ぶことができる社会」が、本当の意味での多様性であり、ダイバーシティなのかなと思っているんですよね。では今の日本が、そういった多様性のある社会なのか、つまり選択肢が多く用意されていて、それを一人ひとりが選べる社会になっているのかというと、先進国だといわれているわりには、決してそうなってはいないんじゃないかと感じます。わかりやすい例が、同性愛者であっても結婚できる社会になっているか、というとなっていない。障害があっても働ける社会になっているか、というと、少しずつ改善されてはいるものの、まだまだそうなってはいない。家にお金がないと進学ができないとか、境遇によって有利・不利の差が大きかったり、選択肢が著しく少なかったりするのが今の現状かなと思うんですよね。そこに選択肢を増やしていくということを、私は活動を通してやってきたつもりです。

【乙武洋匡】その活動というのが、メディアでメッセージを発信していくこと。オールドメディアや自分自身のSNSを通じて、発信してきたつもりでしたが、『五体不満足』を出してから24年経って、「ある程度、皆さんの意識を変えてきたぞ」という自負もある一方で、24年やってこれくらいということは、「今後20年やったらこれくらいかな」という、天井というか成長曲線も見えてきました。成長曲線の20年後が自分が引退を迎えるであろう時期で、その先を見たときに、僕の中では満足できるレベルではなかったんですよね。じゃあ、もっと違うアプローチが必要なんじゃないかと考えるなかで、30代後半の頃から政治というアプローチが頭の中でどんどん大きくなり始めました。本来であれば、6年前の2016年にチャレンジをするはずでしたが、私自身のプライベートの問題があり、出馬できる状況にはなかった。6年間、政治という道が閉ざされたなかで、あれこれ考え、悩んだものの、政治という選択肢以上に、この多様性ある社会を実現するために自分が取るべき、ふさわしいと思えるアプローチが見つからなかった。多くの人の信頼を失ったけれども、「今一度チャレンジしてみよう」というのが、今回のチャレンジでした。

乙武洋匡さん
乙武洋匡さん【撮影=阿部昌也】

――政治、つまり「仕組みを変える」領域へのチャレンジということですね。
【乙武洋匡】そのとおりです。活動を続けてきて、社会を変えるには重要なことが3つあると思っています。ひとつ目は、“人々の意識を変える”という部分。これは、私が24年かけて取り組んできたことだと思うんです。そして、二つ目がテクノロジー。吉藤オリィ(吉藤健太朗/オリィ研究所)さんが開発した「OriHime(オリヒメ)」という遠隔操作の分身ロボットによって、寝たきりの方が働けるようになったりとか、今年(2022年)5月まで取り組ませていただいた「乙武義足プロジェクト」のように、両足のない方でも歩ける可能性が出てきたりとか。こういったことも、テクノロジーによるひとつの可能性だと思います。そして、三つ目が、世の中のルールや仕組みを変えていく部分。これは、政治家にならないとどうしてもできないなということで、30代後半の頃から、僕の中で政治というものが大きくなってきました。

――ありがとうございます。続いて、乙武さんの行動力について。「#乙武大行進」もそうですが、乙武さんの行動力の源泉にあるものを、ご自身ではどう分析されていますか?
【乙武洋匡】先ほどお話した、仕事を選ぶときの基準と、まったく同じなんですよ。「#乙武大行進」については、7月8日、金曜日の昼12時、府中駅の駅前で選挙演説を行う直前に、安倍さんが銃撃されたという一報を受けて、動揺しながらも演説を終わらせました。そして、その日の午後は、ボランティアや聴衆の皆さんの安全を確保するという意味で、街頭演説を取り止めさせていただきました。その空いた時間で何をしようかと考えるなかで、Twitterでも「暴力反対」というメッセージは書き込んだ、YouTubeでも動画でメッセージをお話させていただいた、noteでもTwitterよりも言葉を尽くして、長めの文章で伝えさせていただいた。自分の持ちうるSNSで、しゃべったり、書いたり、いろいろなツールで伝え尽くしたはずなのに、まだ自分の中で「伝え切れていないのではないか」「この体で生きている自分だからこそ、もっと伝えられるやり方があるんじゃないか」ということがずっと頭から離れませんでした。翌日は選挙運動の最終日。ビハインドの状態にある私たちの陣営からすれば、一カ所でも多く演説に回って、支持してくださる方をひとりでも増やしていくことが必要不可欠でしたが、ただ、それ以上に「私じゃないとできない暴力に対する抗議ができないか」と、やっぱり、この想いがずっと頭から離れませんでした。チームの陣営が何時間もかけて、一カ所でも多く回れる段取りを考えてくれていたのですが、私は別室にひとりでこもって考えつづけました。そして考えた結果、「歩こう」という案を思いついたんです。

乙武洋匡さん
乙武洋匡さん【撮影=阿部昌也】

【乙武洋匡】これまでの人生で、一度に歩いた距離の最長がおそらく数百メートルだったので、5.3kmという道のりは未知過ぎて、本当に歩き切れるのか。マネージャーについてくれて十数年、友人時代も含めると21年私に付き添ってくれているキタムラは、私以上に私の体を知ってくれているのですが、そんな彼が、渋谷駅を越えた宮益坂くらいでギブアップするんじゃないかと思っていたくらい、本当に無謀なチャレンジでした。でも、思いついてしまったらやらずにはいられない。その根っこにあるものが何なのかというと、「この抗議方法は私にしかできない」ということ。二本足のある健常者の方が、渋谷のセンター街から国会議事堂まで1時間かけて歩いたところで、「お疲れ様でした」で終わるわけですよ。でも、この“太ももしかない人間”が、太ももとお尻で、熱くなったアスファルトの上を12時間かけて歩く、這うようにして抗議活動をするところにメッセージ性が生まれるのではないか、そこに賭けたんです。

――一方で、世間からの批判の可能性もあったと思います。その怖さはありませんでしたか?
【乙武洋匡】もちろん、怖さはありました。「選挙活動に利用しているのでは?」とか「安倍さんの件を自分の票につなげようとしているのではないか?」という批判や炎上のリスクもあったと思うし、陣営からもそういう不安の声があがり、反対する人間もいました。でも私は、ちょっとでもそういう色気があったら、それこそ伝わってしまうと思っていました。ただ、私の中では、打算や色気というものが1ミリもなく、純粋に「暴力がまかり通る世の中になってしまったら、自分は非力かつ無力になってしまう。だからこそ、この体だからこそ、暴力を許してはならないんだ」というメッセージを人一倍伝えたかった。この想いから、「これは選挙を度外視してでもやらせてほしい」とチームのみんなに伝え、前夜にYouTubeを通して発信もさせていただきました。私の中の混じり気のない想いを、時間を置かずにすぐにぶつけたからこそ、誤解をする方がほとんどいらっしゃらずに、メッセージを受け止めていただけたのかなと思っています。これは自分にしかできない。この想いが根本にあったからこそ、チャレンジすることができたと考えています。

この記事のひときわ#やくにたつ
・キャリアを振り返り、成長曲線の未来を予測する
・打算のない純粋な想いを、時間を置かずに伝える

取材・文=浅野祐介/撮影=阿部昌也